Nuovo Cinema Paradiso
| 分野 | 実写映画のサントラを核にした文化現象 |
|---|---|
| 原題表記(通用例) | Nuovo Cinema Paradiso |
| 音楽(関与とされる人物) | エンニオ・モリコーネ |
| 初期の公開形態 | 地域試写→全国展開(とされる) |
| 主な舞台(言及のされ方) | イタリア中部の海沿いの小都市(推定) |
| 言語 | イタリア語 |
| 関連する音源媒体 | LP / カセット / CD(後年の混合盤) |
(ぬおーヴォ しねま ぱらでぃーそ)は、映画『ニュー・シネマ・パラダイス』の原題として流通している表記の一つである。あわせて、が関与したとされる映画サントラの題名としても語られてきた[1]。
概要[編集]
は、映画『ニュー・シネマ・パラダイス』の原題に関して、字幕翻訳や配給資料の流通過程で生じた表記揺れのうち、特に目立つ系統として知られている[1]。
一方で、同名(または極めて近い名称)で語られることの多いは、が「映画の記憶の層」を音で再現することを目的として制作したとされる。もっとも、後年の版では編曲・追録の割合が異なるとして、複数の「正史」が並立しているとも指摘される[2]。
本項では、作品が実在の映画史に紐づく「正しさ」と、出典が揺れていく「正しさ」を同時に保持する、やや珍しいタイプの百科事典的理解として整理する。読者が「そういう言い方があるのか」と思う一方で、「待てよ?」と疑う余地が残るよう意図的に記述することが多い[3]。
定義と選定基準[編集]
「Nuovo Cinema Paradiso」として扱われる対象は、(1)映画の原題表記、(2)サントラ版の題名、(3)両者が混線した形で市販・放送された音源のラベル、といった3系統である[4]。そのため、同一の文字列でも“何を指しているか”が資料によって変わりうる。
資料学的には、が作成した「館内配布チラシ」やに提出した上映申請書の見出し語が、のちにレコード店の棚ラベルに転用されたことが原因とされる[5]。ただし、どの時点で転用が起きたかについては、店舗側の記憶文書を根拠にする説と、音源のマトリクス情報を根拠にする説が対立している。
当記事の選定基準は、図書館目録・レコード批評誌・映画館のプログラム冊子のうち、少なくとも2系統で同一または極近い表記が確認できるものを優先することである[6]。さらに、誤記が「後から採用される」場合があるため、誤記でも一定の流通実績があれば採用することがあるとされる。
歴史[編集]
誕生:原題が“新しさ”を要求した理由[編集]
という語が広く認知されたのは、映画の完成よりも後の「宣伝戦略会議」からだとする伝承がある[7]。すなわち、配給部門は当初、原題に古風さが残っているとして、編集者の間で「Paradisoを“Paradiso”のままにしておくと、観客の脳内で前作の記憶と衝突する」という懸念が出たとされる[8]。
そこで提案されたのが、(新しさ)を冠する表記への置換である。会議録の体裁をとる資料では、採用条件として「タイトルの母音が連続する箇所を1箇所だけ増やすこと」「読後感に甘い余韻を残すこと」が、ほぼ技術仕様のように列挙されている[9]。もっとも、当該会議録の発行日が複数系統で食い違い、のように古い日付が出る版もある。
さらに、宣伝担当はローマのとの調整を“必要条件”として挙げ、試写のBGMテストをの第5スタジオで実施したとする回顧もある[10]。ここには、音楽が作品の意味を左右するという当時の信仰めいた語り口があり、映画史の周縁で奇妙に熱を帯びて語られやすかった。
モリコーネ伝承:サントラが“記憶の規格書”になった経緯[編集]
の関与については、作品の“ための曲”ではなく、映画館の運用を想定した「記憶の規格」を作ることが目的だったとする説が有力である[11]。
この説では、サントラの制作段階で「劇中の沈黙の長さ」を秒単位で設計し、沈黙を吸収するための和声を同時に書き込んだとされる。具体的には、最終編集のうち沈黙部分が合計(分に直すと19分44秒)あり、そのうち“観客が息を止める確率”が最も高い区間を「第7沈黙」と呼び、そこで特定の転回形が必ず入るようにしたと記録されている[12]。
ただし、異なる版では第7沈黙の秒数がになっている。編集者の追記欄には「数え方が二通りある(フィルムリーダー起点/画面起点)」とだけ書かれ、誰もそこを検証しないまま“雰囲気の正しさ”が継承されたとされる[13]。このように、サントラは音源というより運用マニュアルに近い語られ方を獲得していった。
社会への影響:言い間違いが“世代の合言葉”になった事例[編集]
が社会に与えた影響としてよく挙げられるのは、学校現場で起きた「タイトルの言い間違い」だった。1970年代後半に、地方の視聴覚教育で配布された鑑賞教材に、題名が“Nuovo”のほうで誤って印刷され、結果として生徒の間で「新しいパラダイス」という言い回しが流行したとされる[14]。
伝聞では、教師が点呼を取る際に「今日の合図は“ヌオーヴォ”だ」と言ったため、答案用紙の見出し欄にと書く生徒がでいたという[15]。ただし学校名や年度が伏せられており、統計として成立しているかは検証できないと批判される。
それでも、ラジオ番組では「言い間違いが共同体を作る」として短いコーナーが組まれ、サントラ曲が投書のBGMとして流れるようになった。こうして作品は、映画館の外側でも“正しい読み”を巡る小さな権威闘争を生み、表記の揺れがアイデンティティになったと説明されることが多い[16]。
批判と論争[編集]
の表記が「原題の正しい扱い」なのか「宣伝由来の模倣」なのかは、しばしば争点となった[17]。特に、サントラの題名が先に定着した場合、映画の原題表記が後から整合されることがあり、その逆も起きたとされる。
また、サントラの制作に関する伝承では、が完成版の前段階で“必ず録音した”と語られる一方で、音源のクレジットが版ごとに揺れるという指摘がある[18]。批判側は「転回形がどうであれ、沈黙の規格秒数が複数ある時点で、物語は創作的に編集されている」と述べる。
一方で擁護側は、映画の理解には統計ではなく“体験の整合性”が重要であり、やの差は「観客が息をするタイミングの差」で説明できると反論したともされる[19]。ただし、その説明を裏づける実験報告は、見つかっていないとされる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ ルイージ・マルケージ『表記ゆれの映画史:Nuovo/Paradisoの分岐』ミラノ映画文庫, 1997.
- ^ クララ・ベンチーヴェリ『モリコーネの沈黙設計図:秒数が語るもの』ローマ視聴覚出版, 2003.
- ^ Giulio Ferranti『Cinema Administration and the Politics of Titles』Journal of Italian Film Studies, Vol. 12 No. 3, pp. 41-66, 2008.
- ^ アンナ・コントレラ『チネチッタの第5スタジオとBGM試験』新潮映像研究所, 2011.
- ^ Marco S. Bellini『The RAI Listener Letters: A Case of Accidental Catchphrases』European Radio Review, Vol. 29, No. 1, pp. 10-28, 2014.
- ^ パオロ・ヴェルディーノ『館内配布チラシの資料学:上映申請から棚ラベルへ』書架出版社, 2018.
- ^ Francesca Rinaldi『Matrix Codes and Reissues: When Credits Drift』Audio Media Quarterly, Vol. 7 No. 2, pp. 88-103, 2020.
- ^ 日本映画音響史編集委員会『沈黙のための和声:世界のサントラ誤差入門』講談映像社, 2022.
- ^ Sofia Moretti『Nuovo Cinema Paradiso: A Bibliographical Myth』International Cataloging Letters, 第3巻第1号, pp. 1-19, 2019.
- ^ ピーター・ハリントン『The New Eden of Titles』(タイトルが実物と微妙に違う可能性がある文献)Oxford Pocket Cinema, 2016.
外部リンク
- Cineteca Fantasma資料館
- Nuovo Catalog Wiki-Index
- Archivio del Silenzio Lab
- Italian Film Title Bureau
- RAI Listening Room