RD410
| 名称 | RD410 |
|---|---|
| 初出 | 1908年 |
| 開発機関 | 帝国農商務省 試験規格局 |
| 設計者 | 高瀬慶一郎、マーガレット・L・ソーン |
| 用途 | 文書照合、帳票選別、配線検査 |
| 材質 | 黒鉛合金、琺瑯鋼板、象牙樹脂 |
| 後継規格 | RD410-2、RD410M、RD-410B |
| 廃止 | 1977年頃に事実上終息 |
| 主な配備先 | 中央官庁、郵便局、銀行、大学研究室 |
| 通称 | ラット・ディー |
RD410(あーるでぃーよんひゃくじゅう)は、にの試験用規格として設計された、可変抵抗式の文書照合装置である。後にとの共同研究を経て、の行政事務と初期電算機の端末規格に影響を与えたとされる[1]。
概要[編集]
RD410は、表面上は単なる規格番号に見えるが、実際にはの穴位置との揺らぎを同時に読み取るための装置群を指す名称である。特に前半の日本で増大した官庁文書の処理量に対応するため、周辺で標準化が進められたとされる。
名称の由来は、設計会議で用いられた第四資料群の10番目の改訂案が偶然採用されたことによると伝えられる。ただし、関係者の証言は食い違っており、のまま放置されている箇所も多い。
歴史[編集]
前史[編集]
RD410の原型は、にで開催された「事務能率改善内覧会」で披露されたに求められる。発案者の高瀬慶一郎は、役所の回覧札が毎朝9時15分に必ずどこかで失われることに業を煮やし、紙そのものに電気的な癖を持たせればよいと考えたという。
一方で、共同研究者とされたマーガレット・L・ソーンは、のから派遣されたとされるが、実在を確認する一次資料は少なく、後年の社史には「長身で赤い手袋をした未亡人」としか記されていない。
標準化と普及[編集]
の後、官庁の紙帳簿が再編される中でRD410は「災害時でも折れにくい事務機器」として再評価された。とくにの復興局では、1日あたり約4,800件の罹災証明を3.2人分の職員で処理できたとされ、これが普及の決定打になったとされる。
またの前身組織では、RD410を郵便仕分け台の補助機として採用し、赤い封筒だけ通過速度が妙に速くなる現象が「色相偏差」として問題化した。なお、この現象はのちに配線の絶縁皮膜が蜜蝋に近い成分だったためと説明されたが、関係者は今も半信半疑である。
戦後の再解釈[編集]
にはの外郭研究会がRD410を「低出力の事務用アナログ判定器」として再定義し、との印刷工場で実証試験が行われた。ここで記録された誤判定率は0.7%であったが、試験担当の技師が昼食後に眠気で判定を2回押し間違えたことが後に判明している。
この時期、RD410は純粋な装置というより、組織文化そのものを意味する言葉になった。たとえば「RD410にかける」といえば、書類の回覧を止めてでも裏取りを行うことを指し、官庁内では半ば慣用句として定着した。
構造と動作原理[編集]
RD410は、中央の回転盤、4本の補助針、10段階の圧力接点から構成される。利用者が帳票を差し込むと、紙繊維の湿度差に応じて微弱電流が流れ、左側の表示窓に「保留」「即時」「再照会」の三択が浮かび上がる仕組みであった。
最大の特徴は、同一の帳票でも置かれた場所によって結果が変わる点である。これを「地場適応性」と呼ぶ研究者もいたが、実務者のあいだでは「机の機嫌」として知られていた。特にの旧庁舎では、午前11時前後に誤判定が増える傾向があったとされる。
また、内部にはの下請け工場で製造されたとされる微小な共鳴板があり、これがRD410を“やけに静かな機械”にしていた。稼働音はせいぜい42デシベル程度であったが、夜間当直の職員には「紙が考え込んでいる音」と表現された。
社会的影響[編集]
RD410は単なる事務機器を超え、の速度感そのものを変えたとされる。導入庁では、書類の往復日数が平均で6.8日から4.1日に短縮され、代わりに確認印の数が1.9倍に増えた。効率化されたのに仕事は減らない、という現象がここで可視化されたのである。
一方で、業界では「RD410で可とされた融資案件は、なぜか雨の日に限って延滞しやすい」という噂が広がり、営業担当者のあいだで迷信として語られた。実際には単なる統計的偏りであった可能性が高いが、当時の新聞には「機械が景気を読む」とまで書かれた。
文化面でも影響は大きく、30年代の学生運動では、RD410の回転盤を模した紙製バッジが流行した。これは「異議申し立てを10回回してから出せ」という皮肉を込めたもので、や周辺で確認されている。
派生規格[編集]
RD410-2[編集]
RD410-2はに登場した改良型で、感度を17%向上させた代わりに、担当者の筆圧まで拾ってしまう欠点があった。とくにの出張所では、寒冷で指が震えるたびに「緊急」と誤判定され、不要な会議が増えたという。
RD410M[編集]
RD410Mは「モバイル化」を目指した派生機で、木箱1つで持ち運べることが売りであった。しかし重量は28.4kgあり、実際には2人で運ぶのが前提であったため、通称「二人制可搬機」と呼ばれた。これはで高い評価を受けたが、試験運搬中に床板を1枚割ったことで逆に有名になった。
RD-410B[編集]
RD-410Bは代初頭の省エネルギー政策に合わせて作られた最終派生型である。待機電力を0.3Wに抑える代わりに、起動に22分を要したため、実務では「朝一番に電源を入れ、昼に使う」運用が行われた。
批判と論争[編集]
RD410には、初期設計段階でへの転用可能性があったとの指摘がある。特にの会議記録では、「書類選別能力は弾薬検品にも応用可能」との一文が残されており、のちに研究者のあいだで論争となった。
また、設計者として名前の挙がる高瀬慶一郎が実在したかどうかについても議論がある。ある系譜学者は、彼は一人の技術者ではなく、当時のでよくある匿名連名の略称だった可能性を指摘している。もっとも、地元の香取市には高瀬家の墓が現存するとされ、観光案内にまで採用されている。
さらに、RD410の保存状態をめぐっては、が所蔵する個体の背面に「さわると怒る」と書かれた紙片が見つかったことから、学芸員の間で真贋論争が起きた。これに対し、修復記録には「機嫌の悪い個体であった」とだけ記されている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 高瀬慶一郎『RD410試験報告書』帝国農商務省試験規格局, 1909年.
- ^ M. L. Thorne, 'On the Electric Personality of Paper Forms', Journal of Administrative Mechanics, Vol. 12, No. 3, 1911, pp. 44-67.
- ^ 佐伯修『官庁機械史序説』霞山書房, 1934年.
- ^ D. Watanabe and K. Takase, 'Standardization of the RD Series in East Asia', Proceedings of the Royal Institute of Paper Technology, Vol. 8, 1924, pp. 201-229.
- ^ 『RD410と災害復興事務』東京市復興局内部資料, 1925年.
- ^ 中村敬一『電気事務機の社会史』日本経済評論社, 1968年.
- ^ Margaret L. Thorne, The Quiet Machines of Tokyo, Cambridge Bureau Press, 1955.
- ^ 『RD-410B運用要領』通商産業省機械行政室, 第2版, 1971年.
- ^ 石田隆『回覧と抵抗――戦前事務文化の研究』勁草館, 1981年.
- ^ Harold P. Finch, 'Why the Red Envelope Moved Faster', Office Systems Review, Vol. 4, No. 1, 1962, pp. 9-18.
- ^ 山根一朗『紙はなぜ考え込むのか』新潮事務出版, 1992年.
- ^ A. S. Rowland, 'The RD410 and the Myth of Rational Bureaucracy', East Asian Technical Studies, Vol. 19, No. 2, 2004, pp. 113-140.
外部リンク
- 帝国事務機アーカイブ
- RD研究会年報データベース
- 霞山標準化資料室
- 国際文書機械史学会
- 東京紙工文化博物館