YAZOO先輩
| 名前 | YAZOO先輩 |
|---|---|
| 画像 | YAZOO_senpai.jpg |
| 画像説明 | 再結成時のステージ衣装(銀色の学生鞄風) |
| 画像サイズ | 280px |
| 画像補正 | 0.8 |
| 背景色 | #c41f3a |
| 別名 | イクスギ系先輩/やんほぬ軍曹 |
| 出生名 | 田所(たどころ)浩二(こうじ)/野堀(やほり)綴(つづり) |
| 出身地 | 群馬県前橋市/千葉県船橋市 |
| ジャンル | 学生ロック、擬音ギターポップ、ラジオ文体ソング |
| 職業 | 音楽ユニット |
| 担当楽器 | 田所:ギター/野堀:ボーカル&バスドラム |
| 活動期間 | 1995年 - 1997年、2008年 - |
| レーベル | やんほぬレコード |
| 事務所 | 北関東メロウ事務所 |
| 共同作業者 | サウンド監修:久米田栞(くめだ しおり) |
| メンバー | 田所浩二(syn)/野堀綴(やんほぬ) |
| 旧メンバー | イクッシュ・ホーモ(田所のみ) |
| 公式サイト | http://yazoo-senpai.example |
YAZOO先輩(やずーせんぱい)は、日本の2人組ロックユニットである。所属事務所は。1995年に結成され、1997年に解散、2008年に再結成したとされる[1]。
概要[編集]
YAZOO先輩は、日本の2人組ロックユニットである。所属事務所はであり、レーベルはに置かれていた時期が長いとされる[1]。
彼らの代名詞は、歌詞の途中で突然挿入される「先輩」の呼称と、ギターの開放弦を擬音で実況する手法である。デビュー前の下積みとして、内のラジオ局で「深夜の就活相談BGM」を3分44秒だけ差し替えるアルバイトを行っていた、という逸話が紹介されている[2]。
メンバー[編集]
ユニットは、田所浩二(syn)と野堀綴(やんほぬ)の2名で構成される。田所は主にギターと作詞補助を担当し、野堀はボーカルとリズムパート(バスドラム風の打ち込み)を担当することが多い[3]。
田所は「反射板みたいに目を合わせるコード進行」を好み、野堀は「言い切らない恋愛」を得意とするという整理が、ファンブログのまとめ記事でたびたび引用された[4]。なお、初期のライブでは“先輩”と呼ばれる客席を指名する演出があり、照明担当が「黄色が9%増えた」などの社内記録を残していたとされる[5]。
バンド名の由来[編集]
ユニット名の「YAZOO」は、当時の共同プロデューサーが書き留めた“雑音(ノイズ)を増やして心拍数を隠す”メモの頭文字が元になったと説明されることが多い[6]。一方で、ライブでの自己紹介が「YAZOO先輩、見てくださいませ」で固定化され、敬称が定着したことで、いつしか“キャラ”として先行したとされる[7]。
ただし別説として、田所が脱退前にいたの当時の控室で、冷蔵庫の霜取りシールに「YAZOO」の誤植があったため、野堀がそれを「読み間違いのまま勝つ」と解釈した、という証言もある[8]。この説は出典が薄いものの、再結成ライブのMCでは“シールは本当”として語られ、観客がざわついたと報告されている[9]。
来歴/経歴[編集]
結成(1995年)[編集]
1995年、田所浩二(syn)がを脱退したことを契機に、野堀綴(やんほぬ)とのスタジオで合流した。2人は同年、の小規模ホールで“先輩ごっこ”と称される自主イベントを開き、チケットは合計812枚が捌けたとされる[10]。
当初の曲数は6曲であったが、音源化の際にテイクが33回に増えた。理由は、野堀が「恋の告白を“間違い電話”として歌うには、口の中の温度が3℃違う必要がある」と主張したためとされ、関係者の笑い話として残った[11]。
デビュー前後(1996年)[編集]
1996年、ユニットはからシングル「イキスギ」を先行リリースした。収録曲のうち「お前の事が好きだったんだんだよ」は、仮タイトルが「好きの再生確認」だったという記録が残っており、曲順は発売直前に入れ替えられたとされる[12]。
同年夏の取材で、田所は「サビは“先輩”を裏切らない」と語ったと報じられた。メディア側は比喩として扱ったが、実際にはコーラスの“先輩”が毎回小節の頭で1音だけ先に来る設計であったと後に判明し、音楽ライターのが“職人のわがまま”と評価した[13]。
メジャー期とヒット(1987年の解釈/1997年解散として記録される)[編集]
ユニットの最初のブレイクは、シングル群が“先輩語”として学校現場に波及したことによると整理されている。特に「イキスギ」は、学級だよりの見出しに勝手に引用される事例が相次いだとされ、の教育委員会が一度“校内掲示の自粛”を求めた、とする記事もある[14]。
一方で年表上は、方向性指定に基づき「1987年に解散、2008年再結成」と説明される資料が流通している。ただし一般的なディスコグラフィでは1997年解散として整えられており、この矛盾は編集方針の揺れとして扱われることが多い。なお、当時の新聞見出しには“87年解散説”が小さく掲載され、主張の根拠として「ラジオ公開録音の当日が1987年だった」とする筋が語られた[15]。
再結成(2008年)[編集]
2008年、ユニットはのライブハウスで突如再結成を発表した。再結成の決め手は「休止期間中に、先輩呼びがネットミームになっていたことを“ありがたい”と感じたから」であると、野堀が後年のインタビューで述べた[16]。
再結成後のアルバムは、スタジオの床材を“音を吸わない木材”に換えたというこだわりが話題になった。打ち込みのテンポはBPM158が基準となり、ライブではBPMを±0.7の範囲に収めることが契約上のルールだった、と関係者が語った[17]。
音楽性[編集]
YAZOO先輩の音楽性は、擬音を“歌詞の文体”として扱う点に特色がある。田所のギターは、単純なコード進行を保ちながら、短いタイミングでだけ強く歪む。その歪みの入り方が、野堀の「言い切れない感情」を引き立てる構造として説明されることが多い[18]。
歌詞は、恋愛や友情を語りつつ、途中で必ず“先輩”という役職語に戻る。これにより、聴き手は普段の会話から一段離れた距離感を味わうことになり、結果として歌詞が“口に出しやすい台詞”として普及したとされる[19]。
ただし一部では、呼称の反復が宗教的なものに近いとして批判も出た。もっとも、本人たちは「宗教ではなく、校則が生んだリズムの名残です」と答え、のは“倫理のメタファーとして成功している”と擁護した[20]。
人物[編集]
田所浩二(syn)は、作詞補助の際に必ず“手触りのある言葉”を選ぶことで知られている。彼のメモ帳には、好きな単語を「冷蔵庫に貼っておくと曇るかどうか」で分類した痕跡があり、関係者はそれを「分類が情緒に直結していた」と回想した[21]。
野堀綴(やんほぬ)は、ライブ前の準備で必ず客席に同じ言葉を3回だけ投げる。初期の公演では「聞こえた先輩、立ってください」と言ってから、実際には誰も動かない“沈黙の7秒”を作る演出があったとされる[22]。
また、二人のマネジメントはが担い、スケジュール調整は“移動時間の分数が偶数の日だけ”行うという独自ルールがあった。結果として移動遅延が少なかった一方、偶数日にライブが集中し、翌日の学校行事が揉めた年があったと報告されている[23]。
評価[編集]
YAZOO先輩は、当時の若年層の言葉遣いに影響を与えたユニットとして評価されることがある。特に「イキスギ」は、ネット掲示板に“先輩の許可が要る告白”という形式で引用され、二次創作が増えたとされる[24]。
音楽メディアでは、短いフレーズで感情を操作する技術が高く評価された。作曲面では“ギターの音色が恋の距離を表す”というレビューが掲載され、批評家のが「ラブソングの授業」になっていると書いたとされる[25]。
一方で、あまりに口語的であるがゆえに、海外リスナーには“文法として理解しにくい”という指摘もあった。これについてユニットは、歌詞カードではなく“口の運びガイド”を付けた配信を出したが、逆に日本でも読者の好みが割れたとされる[26]。
受賞歴/賞・記録[編集]
YAZOO先輩は、受賞歴としての“文体ソング賞”を受賞したと伝えられる[27]。また、累計売上枚数は公式発表でなくファンクラブ通信の推計として“約142.6万枚(1996年時点)”が取り上げられたことがある[28]。
記録面では「お前の事が好きだったんだんだよ」が発売から26週目でオリコン集計のトップ10に再浮上した、とされる。ただし集計の媒体によって“再浮上”の定義が異なるため、厳密な再現が難しいと指摘されている[29]。
NHK紅白歌合戦については、出場したとする噂が一定数あるが、公式資料の提示がないため“出場歴として扱われる場合がある”程度に留められることが多い。なお、再結成後の特番出演としてでの特番収録が報じられた際、SNS上で“紅白内定”と誤読される事案が起きたとされる[30]。
ディスコグラフィ[編集]
シングルとしては「イキスギ」(1996年)、「お前の事が好きだったんだんだよ」(1996年)、「先輩の帰り道」(1997年)などが知られている。なお、配信限定として「先輩、既読つきました」(2009年)がリリースされたとする記録がある[31]。
アルバムとしては「先輩の呼吸」(1996年)、「YAZOO室内訓練」(1997年)が挙げられる。ベスト・アルバム「やんほぬ傑作集・銀鞄編」(2010年)と、映像作品としてライブDVD「先輩は沈黙に強い」(2011年)が発売されたとされる[32]。
制作の細部として、初期のCD盤面は“読み取りエラーが出やすい角度”を狙って調整したため、当時の一部プレイヤーでは冒頭1秒だけ無音になった、という小ネタがある。ファンはこれを“先輩が入室する秒”と呼んで楽しんだとされる[33]。
ストリーミング認定[編集]
ストリーミング認定は、配信後に急伸した曲と、当時の熱量を維持した曲が混在している。特に「お前の事が好きだったんだんだよ」は、初期配信から1年で約3,100万回再生を突破したとされる[34]。
ただし、認定の基準が期間によって変わった可能性が指摘されている。実際、同曲の“再生カウントの仕様変更”により、媒体別に数値が揺れるため、総計の確定は困難とされる[35]。それでも、ユニットの楽曲が学園ラジオで定期的に流されることが多く、固定ファン層の再生が支えていると整理されている[36]。
タイアップ一覧[編集]
タイアップとしては、1996年にのミニ番組「放課後の短距離」のテーマに「イキスギ」が起用されたとされる[37]。また、学校向けビデオ教材のBGMとして「先輩の帰り道」が採用されたという噂もある[38]。
再結成後には、の地域キャンペーン“歩いて告白”のイメージソングに「YAZOO先輩のテーマ」が使われたと報じられた。もっとも、実際の採用日が複数報告されており、広報資料の写しと現場記録で食い違いがあるとされる[39]。
ライブ・イベント/ライブ・コンサートツアー[編集]
ライブツアーとしては「銀鞄ナイトツアー」(1996年)、「沈黙7秒の教室」(1997年)が知られる。沈黙7秒は、途中で照明が落ちる秒数として定義され、実際にはステージ上の時計が故障して7秒だけ延びたことが“伝説化”した、というエピソードが語られている[40]。
再結成後は「やんほぬ補講ツアー」(2008年-2009年)が実施された。会場は主にと周辺に集中し、遠征チケットの購入者には“先輩手ぬぐい”が配布されたとされる[41]。配布数はツアー全体で約4万枚に達したと推計されるが、途中回の集計が欠けているため誤差があると注意書きされている[42]。
出演[編集]
テレビ出演として、1996年にの歌番組に初登場したとされる。ラジオ出演では深夜番組「夜の敬称学」で野堀が“先輩の発音講座”を担当したと報じられた[43]。
映画への関与としては、青春映画「踊れ、先輩」(架空作品ではなく当時実在扱いされたとされる)で挿入曲を提供した記録が存在するとされる[44]。もっとも、公式クレジットが追跡しきれない部分があり、これを“補遺”として扱う記事もある[45]。
NHK紅白歌合戦出場歴[編集]
YAZOO先輩がへ出場したかどうかは、資料間で揺れがある。ファンコミュニティでは「1997年に出場が決まっていたが、解散直前で差し替えられた」と語られたとされる[46]。
一方で、編集資料では“出場した年が1987年として伝えられることがある”と記述される場合があり、方向性指定に沿った説明と混ざっている。もっとも、出場歴に関する一次資料が見つかっていないため、確証としては扱われないことが多い[47]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 伊達鍵太『YAZOO先輩の文体構造』音楽文化出版社, 2011.
- ^ 芦原眞琴『校内掲示に波及したポップス—「先輩」語の流通』学芸書房, 2014.
- ^ 久米田栞『擬音ギターポップの打点設計』Vol.8第3号(架空誌), 2009.
- ^ 柴垣丈一郎『恋愛コード進行の授業』リズム研究社, 2013.
- ^ 谷田瀬隆『“再浮上”は何を指すか』オリコン現象論研究会, 2012.
- ^ Kobayashi Satoru『Japanese Radio Micro-Edits and the Rise of Character Phrases』Springfield Records Review, Vol.12 No.1, 2015.
- ^ Morioka Reina『Idols, Seniors, and the Grammar of Quotation』Tokyo University Press, 2017.
- ^ 田所浩二『沈黙7秒の取り扱い説明書』北関東メロウ事務所出版部, 2008.
- ^ 野堀綴『やんほぬ補講—ライブ台本の裏側』やんほぬレコード, 2010.
- ^ 出雲田倫『NHKと「先輩」—噂の年表を検証する』NHK資料研究所, 2003.
- ^ リズム年鑑編集部『日本のロックユニット年鑑(不整合版)』第24巻第2号, 1998.
外部リンク
- YAZOO先輩 公式ファンノート
- やんほぬレコード アーカイブ
- 北関東メロウ事務所 スタッフブログ
- 銀鞄ナイトツアー記録室
- 沈黙7秒の教室 視聴用ダイアリー