Yamaji
| 名称 | Yamaji |
|---|---|
| 読み | やまじ |
| 分野 | 山岳測量・地図記法・民俗交通研究 |
| 成立 | 19世紀末 |
| 提唱者 | 高瀬順一郎ほか |
| 主な使用地域 | 関東山地、伊豆半島、甲信地方 |
| 記録媒体 | 和紙、石灰板、後に青焼き図面 |
| 特徴 | 風向を矢印ではなく曲線密度で表す |
| 関連機関 | 内務省山地調査局、帝国地形学会 |
Yamaji(やまじ)は、後期のから派生したとされる、風向・地形・人の移動履歴を同時に記録するための複合記法である。初年にの外郭研究会で体系化され、のちにからにかけての中山間地で広く用いられたとされている[1]。
概要[編集]
Yamajiは、山道そのものを示す語ではなく、山間部における移動のしやすさ、峠の風の抜け方、湧水の位置、さらには荷駄の滞留時間までを一枚に重ねて記すための記法とされる。一般には地図の補助符号として理解されているが、実際には期の行政実務において、税の算定や郵便逓送の遅延分析にも転用されたと伝えられる。
名称の由来については諸説あり、山路を表す古語から来たとする説のほか、の旧家に伝わった「夜間に山を読む術」から転訛したとする説もある。ただし、の内部資料では、最初期のYamajiは「YMJ-3」と呼ばれていた形跡があり、後世の民俗化によって現在の名称が定着したとみられている[2]。
成立の経緯[編集]
Yamajiの成立は、に地理課へ提出された「山地通行遅延調査要綱」に遡るとされる。同要綱は、豪雨時の周辺で荷馬車の停止が相次いだことを受け、単純な勾配図ではなく「風」「湿り気」「見通し」の三要素を同時に扱う必要があると主張していた。
これに応じたのが、測量技師の高瀬順一郎である。高瀬はの下谷で印刷図版を学んだのち、で林野調査に従事していたが、峠ごとに通過者が異常に減る現象を観察し、移動の痕跡を点ではなく「流れ」として記録する方式を考案したとされる。彼が最初に用いた用紙は、気圧変化でわずかに膨張する特殊な和紙であり、湿度が60%を超えると線の太さが自動的に変わったという[3]。
この方式は当初、役所内で「過剰に文学的である」と批判されたが、の調査で、同一の峠でも季節によって最短経路がまったく異なることを示したため、急速に注目を集めた。ただし、調査報告の一部には「夜明け前の狐火の発生密度」といった項目が含まれており、後年の研究者からは要出典とされることが多い。
記法[編集]
基本符号[編集]
Yamajiの基本は、等高線の上に風向を示す曲線を重ね、さらに荷物の往来が多い箇所を黒点で示す三層構造にある。これにより、同じ峠道でも「晴天時の最短」「雨天時の最短」「夜間の心理的最短」が別々に読めるとされた。
特異なのは、曲線の密度が単なる風速ではなく、通行人の沈黙の長さと相関すると考えられていた点である。帝国地形学会のの講演録では、曲線が1平方寸あたり17本を超える地点では、旅人が無意識に足を止める傾向があると報告されている[4]。
色分けと注記[編集]
Yamaji図では、青は水、茶は土を意味するだけでなく、茶が濃いほど「寄り道の誘惑」が強いことを示すとされた。また、赤の破線は危険箇所ではなく、かつて村芝居の巡業が行われた場所を示す符号として使われた例がある。
注記欄には、通常の地名のほか、「雨の日には三人まで」「荷車は右側通行」など、行政文書としては異様に細かな指示が書き込まれた。これらは北部の旧資料に多く、現存する図面のなかには、書き込みが増えすぎて本体の地形がほとんど見えないものもある。
運用上の特徴[編集]
Yamajiは、完成した図面を読む技術よりも、描く際に複数の観測者が同時に風を聞き分けることを重視した。実地では、測量士、木地師、行商人、寺の小僧の四者がそれぞれ異なる道順を記録し、最後に一致しなかった部分を「土地の癖」として残す運用が行われたとされる。
この方法は高い再現性を持つ一方、編集に時間がかかり、の調査では一つの谷を描くのに延べ28日を要したという。もっとも、当時の報告書はこの遅さを欠点ではなく「地勢の熟成期間」と呼んでおり、後世の研究者を困惑させている。
普及[編集]
Yamajiが広く知られるようになったのは、以降にが山間郵便の配達経路を再編したことが大きい。従来の最短距離重視の図面では冬季の遅配が解消せず、Yamaji図の「風の抜ける尾根」を参照したところ、平均到達時間が12.4%改善したとされる[5]。
その後、、、の一部で、林業組合が独自に改変版を作成した。とくに岐阜の版では、熊の出没位置が「危険」ではなく「静寂」として記号化され、これが観光案内にも流用されたため、登山客の増加と迷子の急増を同時にもたらした。
また、都市部ではYamajiをそのまま使うのではなく、路地裏の抜け道や商店街の風通しを示す「準Yamaji」が作られた。これはやの魚市場で好まれ、競り開始前の人流分析に利用されたと伝えられる。
社会的影響[編集]
Yamajiは単なる地図記法にとどまらず、山村の行政区画や婚姻圏の理解にも影響を与えたとされる。とくにの補助資料では、同じ村でも「冬に近い家」と「夏に近い家」を分けて記載する試みが行われ、住民票の解釈に一時的な混乱が生じた。
教育面では、の地理教材に採用された地方があり、子どもたちが「山を越える」より先に「山の機嫌を読む」ことを覚えたという逸話が残る。なお、当時の教員用手引きには「曲線が増えたら遠回りではなく心の準備をさせよ」との一文があり、教育学者の間で長く引用された。
一方で、地元の宿場ではYamajiの普及により道の迷いが減るどころか、図面を見て満足し実際には出発しない人が増えたとされる。これを受けて、にはが「地図は山へ行くためのものであり、眺めるためだけではない」とする注意書きを配布した。
批判と論争[編集]
Yamajiに対する批判の中心は、観測項目が多すぎて客観性を失っているという点にあった。とくに地理学教室の一部では、風向と人流を同列に扱うのは統計的に無理があるとして、Yamajiを「気配主義」と揶揄した記録がある。
また、の関東大震災後に作成された復旧図面で、Yamaji式の曲線が避難経路の判断に用いられた結果、実際の瓦礫道よりも「よく吹く道」が優先された例が報告された。これについては被災直後の混乱を反映したものに過ぎないとする見解もあるが、現在でも一部の研究者はこの件をYamajiの限界として挙げている[6]。
さらに、戦前のいくつかの資料では、Yamajiが祭礼の人出予測に転用され、神輿の進行が「地形的に機嫌の良い方向」に修正されたと記されている。ただし、この部分は後年の回想録にのみ現れ、実証は難しい。
現代における評価[編集]
現代ではYamajiは実務技術としてよりも、民俗情報学の初期事例として評価されている。にはで小規模な展示が行われ、図面の複製とともに「通行の記憶を地形に書き込む試み」として紹介された。
また、デジタル地図との相性の良さから、山間部のルート検索にYamaji風のレイヤーを追加する試みが一部の研究機関で進められている。もっとも、そのアルゴリズムは「風の抜け」「立ち止まりやすさ」「茶屋の記憶」を重み付けするため、計算結果がやたらと迂回する傾向がある。
近年の山岳愛好家のあいだでは、実際のYamajiを学ぶことよりも、Yamaji式に自分の通学路を再記述する遊びが流行している。もっとも、これを続けると最寄り駅までの距離感覚が壊れるとする報告があり、の注記が付されることが多い。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 高瀬順一郎『山地通行遅延図譜』帝国地形学会出版局, 1891.
- ^ 松浦静子『Yamaji符号論序説』地勢研究社, 1904.
- ^ Arthur P. Welles, "On the Humidity-responsive Cartographic Marks of Yamaji", Journal of Alpine Administration, Vol. 12, No. 3, 1907, pp. 118-137.
- ^ 内務省地理課編『山地調査報告書 第七輯』東京官報局, 1898.
- ^ 斎藤重太郎『峠と沈黙の測量学』山村書房, 1913.
- ^ Margaret E. Halloway, "Transport Delays and Wind Memory in Meiji Japan", Transactions of the East Asian Geographical Society, Vol. 8, No. 2, 1926, pp. 44-66.
- ^ 『帝国地形学会講演録 第十五号』帝国地形学会, 1902.
- ^ 清水豊一『関東震災後の山道再編とYamaji』復興地理叢書, 1931.
- ^ Edward J. Linton, "The Curious Case of YMJ-3", Pacific Cartographic Review, Vol. 5, No. 1, 1910, pp. 7-19.
- ^ 国立歴史民俗博物館編『山の記憶を読む—Yamaji資料展図録』国立歴史民俗博物館, 2021.
- ^ 黒田千鶴子『茶が濃いほど遠回りになる地図』山路出版社, 1968.
外部リンク
- 帝国地形学会アーカイブ
- 国立歴史民俗博物館デジタル展示室
- 山地通行研究センター
- Yamaji資料保存会
- 近代測量史オンライン