ave donna santissima
| 分類 | 祈祷句(音列)/民間儀礼の標章 |
|---|---|
| 使用言語(推定) | イタリア語系(ラテン混交とされる) |
| 成立時期(説) | 中世後期〜近世初頭に遡るとされる |
| 伝承地域(説) | 南イタリア沿岸部を中心に広がったとされる |
| 研究の中心領域 | 文献学・音声記号・儀礼史 |
| 関係機関(伝承上) | ローマ教区文書庫/フィレンツェ音写局 |
| 関連する図像 | “紺碧の珠”と呼ばれる小円の意匠 |
| 典型的な運用 | 巡礼路の節目で3回・9回・7回いずれかで唱えられるとされる |
ave donna santissima(アヴェ・ドンナ・サンティッシマ)は、古写本の余白で見つかるとされる反復祈祷句であり、信仰実践や地域儀礼の文脈で言及されることがある[1]。19世紀末のカトリック系文献学研究で「女性の“超聖性”を呼び出す音列」と解釈されたのが転機とされる[2]。
概要[編集]
【】
ave donna santissimaは、祈りの言葉でありながら、語順よりも音の反復が重視される「音列」として扱われることが多い。特に、教会暦では決まらない民間の節目(海霧、鐘の欠け、パン焼きの第一香など)に合わせて唱えられるとされる点が特徴とされている[1]。
この語句が広く知られる契機は、1890年代にローマ教区文書庫が“写本の余白文化”として整理し、余白に書き込まれた短句を一括でカタログ化したことにあると説明されることが多い[2]。ただし、同時期の研究者の間では、実際に祈祷として機能したのか、学習用の音写(発声練習)だったのかについて意見が分かれている[3]。
なお、現代の民俗研究では「女性(donna)に宿る聖性を呼び出す」という平易な説明が流布しているが、本文中では“超聖性”の解釈がいつのまにか神学的比喩から音声工学的比喩へ置き換わった経緯も語られている[4]。この置換は、後述するフィレンツェ音写局の分類表に端を発するとされる。
歴史[編集]
起源:海上修復帳と「九つの沈黙」[編集]
伝承によれば、ave donna santissimaの最古級の痕跡は、の港倉庫で見つかったという「海上修復帳」にあるとされる。帳簿は船体の亀裂を記録するものであったが、ある年だけ修復項目の余白に同じ音列が繰り返し書かれていたと説明される[5]。
研究史では、この現象が「九つの沈黙」という言い回しで整理されている。すなわち、嵐の直前に船員が合計9回の呼吸を揃え、そのうえで声を出さずに“音だけを置く”ように唱えた結果、余白に記号として定着したのではないか、とする説が有力とされる[6]。ただし、同説を批判する立場では、余白書きは祈祷ではなく、修復工の訓練に用いる韻律暗記だった可能性が指摘されている[7]。
いずれにせよ、ここで重要なのは「反復回数の設計」が先に生まれ、語句の意味解釈が後から追随したとする点である。のちに「女性の超聖性」という説明が付与されたのは、書記がラテン語聖句を引用した際の“誤参照”がきっかけだったとされる。
発展:フィレンツェ音写局の分類表と“紺碧の珠”[編集]
ave donna santissimaが研究対象として制度的に扱われるようになったのは、1907年にで設立されたの活動によるとされる。同局は写本の余白に現れる音声標章を、平均ピッチと母音の連続長で分類する方針をとった[8]。
同局が提出した分類表によれば、ave donna santissimaは“紺碧の珠(こんぺきのたま)”と呼ばれる小円の図像に対応する、とされた。図像は写本の端に1つだけ描かれ、円の中が空欄のものと塗りつぶしのものに分かれていた。局の説明では、空欄が3回唱え、塗りつぶしが9回唱えを示すとされた[9]。さらに細かな規則として、塗りつぶし9回の場合は「最後の母音を上げ、舌先を歯の裏に当てる」とまで記されたという[10]。
この“音声運用の手順化”が、儀礼の普及に拍車をかけたとされる。一方で、実践者の側からは、分類表どおりに唱えると喉が乾く、という苦情が一時期記録されたとも伝えられている[11]。そのため、局では後年になって“湿潤補助”として水杯を用意する指導書まで作られたとされるが、どこまでが公式記録でどこからが同業者の言い伝えかは不明とされる[12]。
近代の社会的波及:教育パンフと「祝福の行列」[編集]
1933年、が監修した教育用パンフレットがの初等学校に配布されたとされる。そのパンフレットでは、ave donna santissimaを“礼儀正しい反復読み”として扱い、朗読時間は「週2回・各2分23秒」と明記されていた[13]。
この数字の妙が、かえって話題になった。ある教員は、2分23秒の内訳を「前奏14秒→中心音列86秒→余韻33秒」とノートに書き残したとされる[14]。当時の新聞には「祝福の行列」と題した小記事が掲載され、保護者が子の上達ぶりを確認するため、放課後に校庭へ集まったという[15]。
この社会的波及は、宗教的意味というより、共同体の“同期”を作る装置として機能した点にあるとされる。もっとも、1941年頃には、学校での運用が過度に形式化したとして、地元の聖職者の一部から距離を置く動きも出た。彼らは「祈りは時計ではなく胸で測るべきだ」と述べたと伝えられている[16]。
批判と論争[編集]
批判の中心は、ave donna santissimaが神学的概念として成立していないのに、音声工学的な説明が先行してしまった点にある。特にの分類表が、宗教実践に不自然な“手順”を持ち込んだとする指摘がある[17]。
また、余白文化の研究を進めるの一部教員は、同語句が複数の写本で表記ゆれを持つことを根拠に「同一の祈祷句とは断定できない」と主張した[18]。一方で、局の研究を支持する側は、表記ゆれは地域訛りではなく発声条件の違いを反映していると反論したとされる[19]。
さらに、笑いを誘う論争として「紺碧の珠」の解釈がある。珠が“聖性の象徴”か“絵の具の補修跡”かで揉めた結果、結論が出ないまま、現場の実践者が独自に「補修跡でも祈りは届く」と言い換えて収束した、という逸話が残っている[20]。この“結局どっちでもいい”という態度こそ、ave donna santissimaが民俗として強い理由だと語られている。なお、要出典として、ある記録には「紺碧の珠は顔料が湿気を吸うため唱和回数が変わる」とも書かれていたとされるが、真偽は確認されていない[21]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ Giulia Bianchi, 『余白祈祷句の近代整理:ローマ教区文書庫の報告』ローマ教区文書庫, 1912.
- ^ Marco Santori, 『音声標章と母音連続長:フィレンツェ音写局分類表の検討』第3号, フィレンツェ音写局出版部, 1910.
- ^ Elena Calderini, 『海上修復帳に記録された“九つの沈黙”』『中世音声学研究』Vol.12 No.2, pp.41-73, 1927.
- ^ Lorenzo Paredes, 『礼儀としての反復読み:学校配布パンフレットの影響(1933–1939)』ミラノ教育出版社, 1940.
- ^ Sophie van der Meer, 『Ritual Timing and Communal Synchrony in Southern Italy』Oxford University Press, 1956.
- ^ Claudio Rinaldi, 『“紺碧の珠”図像の再解釈:顔料補修説の検証』『図像音声史ジャーナル』Vol.4 No.1, pp.9-28, 1963.
- ^ M. A. Thornton, 'On the Misalignment of Theological Meaning and Acoustic Procedure' 『Journal of Applied Ecclesiology』Vol.18 No.4, pp.201-219, 1972.
- ^ Francesca Romano, 『祈りは時計か胸か:カラブリア州聖職者の公開書簡集』カラブリア文化印刷局, 1951.
- ^ ヘルマン・クライン, 『写本余白の分類論:ヨーロッパ横断の比較』シュトゥットガルト学術出版, 1978.
- ^ Anna-Lucia D’Avanzo, 『一語句が社会をつくる:ave donna santissimaの百年史』新潮“風変わり”叢書, 2001.
外部リンク
- 写本余白研究アーカイブ
- フィレンツェ音写局資料室
- ローマ教区文書庫デジタル閲覧
- 南イタリア民俗タイミング研究会
- 紺碧の珠図像コレクション