sansクリっと
| 分類 | 編集技術/触覚的メトリクス/民間校正 |
|---|---|
| 対象 | 活字・フォント・印刷紙面・画面表示 |
| 主要指標 | 摩擦音の周波数帯域と遅延時間(いわゆる“粘度”) |
| 成立過程 | 印刷工場の試行錯誤から派生したとされる |
| 利用主体 | 校閲担当者、DTPオペレーター、製版技師 |
| 関連領域 | タイポグラフィ、音響測定、文字認知 |
| 観測環境 | 湿度40〜65%の条件が好ましいとされる |
(さんすくりっと)は、静電気と摩擦音を手がかりに「文章の粘度」を推定するためのとして語られる概念である。主にで言及され、文字の“滑りやすさ”を数値化する試みとして知られている[1]。なお、名称の由来には複数の説があるが、いずれも実際の語源と異なるとされる[2]。
概要[編集]
は、一見すると「タイポの話」に見えるが、実体はに近いとされる手順である。具体的には、紙または画面に触れたときに発生する微細な摩擦音(クリックに近い成分)を録音し、一定の計算式へ入力することで、その文章がどれほど“引っかかる”かを推定する枠組みとされる[1]。
ただし、その算出手順は公開されにくい。現場では「数式より、現物の手触りが先に来る」とする作法が共有されており、校閲者は小型のマイクと同時に、定規や紙片の“押し加減”まで暗黙に管理することが多い。このため、技術というより儀式に近い運用として語られることもある[2]。
用語と測定概念[編集]
“粘度”と“周波数帯域”[編集]
では、文章の粘度を「擦過音の低域エネルギー」と「高域の減衰係数」の掛け算で表すと説明されることが多い。現場の言い方では、粘度が高いほど“音が先に立つ文章”とされ、低いほど“読者が滑って進む文章”とされる[3]。なお、周波数の目安としては3つの帯域(A帯:1.8〜2.4kHz、B帯:3.6〜4.2kHz、C帯:6.7〜7.5kHz)が頻出するとされる[4]。
ただし、この帯域割り当ては、最初に試作した計測器がたまたまその範囲を拾いやすかったことに由来する、という話がある。作り話のように聞こえるが、校閲現場では「当たるから採用された」として疑われにくい[5]。
“遅延時間”と“クリック癖”[編集]
もう一つの要素が遅延時間である。ここで言う遅延とは、録音開始から“それっぽい摩擦音の山”が立つまでの時間で、値が0.12秒なら平均的、0.29秒なら“クリック癖が強い原稿”といった具合に区分されることがある。特に締切前の原稿で遅延が伸びるとされ、現場では「焦って押さえた文字が音になる」といった比喩が残る[6]。
なお、実際には同じ原稿でもと紙質で遅延が変わりうるため、sansクリっとでは測定を「天気の儀式」と呼ぶ人もいる。湿度が55%を外れると係数を補正する、とされるが、補正係数の表は“社内の家訓”のように扱われ、外部に出ないことが多い[7]。
“sans”の意味は文字ではない[編集]
名称の「sans」は、を連想させやすい。しかし、起源では文字種とは無関係に「すべてを均す(sans=均す)」という暗号語だったとする説が有力である。つまり、特定のフォントを指すのではなく、校閲者の“均し癖”を測る装置名から来たという説明である[8]。
この説を裏づけるように、当時の報告書では「クリっとは音、sansは均し、よって原稿は“均される対象”」と書かれていたとされる。ただし、その報告書が誰の手元にも現物として残っていない点が、後世の編集者を悩ませたとされる。やけに細かいのに肝心なところが欠ける、という意味で、sansクリっとらしい伝承とも評される[9]。
成立史と物語[編集]
印刷所「潮見製版」での最初の誤差[編集]
sansクリっとの起源は、(にあるとされた架空の製版会社)での小さな誤差報告に遡ると語られる。1952年、同社は湿度管理が不十分な工房で作業しており、紙が湿る日ほど原稿の“締まり”が悪いとクレームが増えたとされる[10]。
当時の技師であるは、文字の形が原因だと思ってと呼ばれる指標を導入したが、指標は紙質に負けてしまった。そこで彼は、印刷機の近くで鳴る“チリチリ”した音に注目し、録音してみたところ、ある周波数帯域が湿りの日にだけ増えることを見出したという[11]。この瞬間、粘度という言葉が現場で生まれ、後年になって“sansクリっと”と名付けられたとされる。
国立系の研修に紛れた“私的規格”[編集]
1961年、製版技術者向けの研修が(JPA)で開催され、という校閲講師が「原稿の滑走性」という講義を行ったとされる[12]。ここで石川は、音響計測の具体式を見せなかったが、代わりに「B帯が上がると、句読点が先に読まれる」といった現象論を語ったという。
ただし、研修後に配られた“参考プリント”には、遅延時間の目安として「0.21±0.03秒」「0.34秒で要注意」といった数値が並んでいたとされる。このプリントはJPAの公式資料ではなく、裏面に印刷された朱肉の跡から、あるメーカー担当者が密かに刷った私的規格だと後で判明したとされる(要出典になりがちな部分である)[13]。それでも現場は便利さを理由に使い続け、結果として全国の“クリック癖がある原稿”が一斉に問題視される流れが生まれた。
社会的影響:編集スピードは上がったが物語は削れた[編集]
sansクリっとが広まると、編集部では校正の優先順位が「文章の粘度」によって決まるようになったとされる。締切が迫ると、粘度が低い原稿は“読みやすい”としてそのまま通され、粘度が高い原稿は“音が詰まる”として書き換えの対象になった。
ところが、ここで副作用が出た。物語のテンポが良い作品ほど、意図的に摩擦音が立つ(つまり“引っかかり”を計算している)ケースがあったのである。編集は平均化し始め、ある出版社では月間の改稿回数が約38%増えた一方、読者アンケートの「独自の言い回しが好き」の項目だけが平均で-0.7ポイント下がったと報告される[14]。この数字の出所は定かではないが、「書き方が均される」という直感的な批判はすぐに広まった。
批判と論争[編集]
sansクリっとには長く、方法論の妥当性をめぐる論争が存在するとされる。第一に、摩擦音は測定環境の影響を強く受けるため、再現性が担保されにくいと指摘される。実際、ある地方版編集部では、同じ原稿でもの倉庫との倉庫で数値が大きく変わり、「音の地域性」が問題になったとされる[15]。
第二に、文章の評価が“音の好み”へ回収されているのではないか、という批判がある。とくに文学領域では「引っかかりは文学の設計である」という反論が出た。さらに、sansクリっとの運用が強い編集では、比喩表現が減り、結論が早くなる傾向があるとする研究が、雑誌の特集記事で取り上げられたとされる[16]。もっとも、その研究自体が“音の数値を作為的に選んだ”のではないかという疑義も併走し、いわゆる“要出典の香り”が強いと評価される。
一方で擁護側は、sansクリっとはあくまで校正の入口であり、最終的には人が判断すると主張する。現場では「測ったら終わりではない。むしろ人が迷うための道具だ」との言い回しが残ったとされる[17]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 石川アヤ『原稿の滑走性:摩擦音で読む校正術』日本評論社, 1964.
- ^ 渡辺精一郎『紙面粘度の試算と工房誤差』潮見技術叢書, 1954.
- ^ 『編集工学ジャーナル』編集工学会「粘度指標による文体の自動選別(簡易版)」第12巻第3号, pp. 41-58, 1987.
- ^ Margaret A. Thornton「Acoustic Proxies for Readability in Typography」Vol. 9 No. 2, pp. 201-224, Journal of Publishing Systems, 1991.
- ^ 山田尚武『DTP現場の微小音解析と補正係数』印刷技研出版, 2002.
- ^ Klaus Mertens『Editorial Ergonomics and Touch-Sound Correlates』Springfield Academic Press, 2006.
- ^ 鈴木和馬『湿度と文字の“詰まり”』東邦印刷研究所, 第2版, 1978.
- ^ 『JPA研修資料集』日本印刷技術協会「クリック癖の分類表(講師配布)」第5集, pp. 13-19, 1961.
- ^ 田中啓介『文章は音で直せる』講談社デジタル(初版の副題のみ『文章は匂いで直せる』と誤植された) , 2013.
- ^ 『校閲実務ハンドブック』校閲士連盟編, 第4巻第1号, pp. 77-92, 1999.
外部リンク
- sansクリっと倶楽部
- 摩擦音校正ラボ
- 編集現場の湿度メモ帳
- JPA研修資料アーカイブ
- 触って測る文章研究会