「選別」
| 種別 | 大量判定を伴う疑似終末計画 |
|---|---|
| 開始とされる年 | 1489年 |
| 主な舞台 | および周辺交易都市 |
| 中心となった技法 | コインの表裏による判定 |
| 標的 | 人類全体を二分する意図 |
| 計画の決裂理由 | 『表なら救う・裏なら殺す』の順序論が会議で崩壊 |
| 関係機関(当時の表現) | 、 |
| 後世への影響 | 倫理審査と統治手続の設計に転用された |
「選別」(せんべつ)は、を二つの運命に振り分ける目的で考案されたとされるである[1]。にで広まったものの、肝心の「表か裏か」で生じた議論の紛糾を契機に頓挫したと伝えられる[2]。
背景[編集]
「選別」は、遅れて到来する飢饉と感染の波を前に、統治側が「誰を救い、誰を止めるか」を即時に決めるための仕組みとして構想されたとされる[3]。とりわけを用いた判定は、神意や確率の語りに回収しやすく、机上の統治技法として好まれたという。
当時、の交易は港湾税と穀物運搬を通じて社会を支えていたが、1480年代には冬季の航路遅延が常態化し、「市民の半数が失われる」との私的試算が流通したとされる[4]。その試算の一文が、のちに「人類の半分を殺そうとする恐ろしい計画」という後世の要約を生んだとされ、ここから「選別」という語が儀礼名のように独り歩きしたと考えられている。
なお、この計画が本当に人類規模の即時実行を想定していたかについては疑義もあり、当時の書簡には「対象は抽象として扱われるべき」といった修正が見られるとされる[5]。ただし、言葉の勢いが強く、読み替えが十分に機能しなかった点が「恐ろしい計画」像を固定した要因になったとも指摘されている。
経緯[編集]
起案者と周辺勢力[編集]
起案者として言及されるのは、の公証文書に名を残したであるとされる[6]。マルティネッリは海難保険の計算係を務め、「確率で罪を引き受ける」発想を説いたと伝えられる。
また、「選別」を儀式として整える役割には、統治手続の専門家であると、その補佐を担ったが関与したと記録される[7]。フェッラーラは、コインの表裏を「善意の側」と「終止の側」に見立てる台本を作成し、判定前に読み上げる誓文を13通りに整えたとする証言が残っている。
一方で、海事・治安の実務側からは、が「儀礼の体裁だけ先行すると統治が破綻する」として慎重論を出したとされる[8]。この対立が、後述する会議の紛糾に直接つながったという。
決裂した会議の論点[編集]
「選別」の肝は、表が救命、裏が致死という“割り当て”をどう順序づけるかにあったとされる。ところが会議では、『表が“生かす”であり裏が“殺す”である』という案と、『裏こそが“生かす”である』という案が交互に提示され、さらに「生存の側を先に宣言すると心理が崩れる」という別の主張も加わって混乱したと伝えられる[9]。
具体的には、が算出した「宣言順の影響係数」が0.38から0.41へ変動したという報告書が回覧されたとされる[10]。議事局の試算では、最初に『殺す』を示す場合、群衆の協力率が27.0%上がる一方で、その後の採決が25.6%遅延したとされた。結果として「順序論」だけで採決が4時間以上延長し、結論が出ないまま“実行日の暫定延期”が繰り返されたと記されている。
最終的に会議は、『どちらが出たら殺すことになるか』を文字で固定できなかったため、儀式の再現性が成立しないとして解散したとされる[11]。後世の語りでは、この瞬間こそが計画立ち消えの起点になったとされるが、同時に「人の命を確率で扱う」こと自体が政治的タブーへ転化していったとも考えられている。
影響[編集]
計画が立ち消えた後にも、「選別」が残した影響はむしろ実務的であったとされる。すなわち、統治が“決める”という行為に依存する以上、決定手続の曖昧さが暴力に転化し得るという教訓が、後の審査制度へと転用されたという[12]。
だけでなく、交易連関を通じて類似の「表裏による判定」は、賭博の言い換えとして広がったとも伝えられる。ただし、公的機関はそれを直接の運用として採用せず、代替として「立会人による順序固定」「採決記録の二重保管」「誓文の逐語検証」といった手続を整えたとされる[13]。ここには、会議で紛糾した“順序論”が、制度設計上の禁止事項として埋め込まれたという。
また文化面では、劇作家が「コインの目が誰の救いにもならない」寓意劇を上演したとされる[14]。観客は笑いながらも、最終的に「決定不能が最悪の結果を招く」ことを学ぶ構図が好まれたといい、後の倫理思想の素地に影響したとの指摘がある。
研究史・評価[編集]
史料の扱いと論争[編集]
研究者の間では、「選別」の実在性が争点になっている。起案に関する公証写本がで発見されたとする報告がある一方で、その写本に記された日時が同時代の会計台帳と整合しないとされる[15]。この不整合は、後世の編集によって“恐ろしい計画”像が強化された可能性を示すものとして論じられている。
一方、儀礼手続の詳細(誓文13通り、係数0.38〜0.41、採決遅延25.6%など)があまりに具体的である点から、逆に「誇張ではなく、制度化に向けた下書きが残った」とみなす説もある[16]。この立場では、紛糾の核心が“政治的妥協の失敗”であり、コインは象徴に過ぎないとする。
ただし、会議の議題が「どちらがでたら殺すか」という倫理的転倒を中心に据えているため、史料が後の啓蒙運動によって再編集された可能性も否定されていない[17]。
当時の統治観との関連づけ[編集]
評価の方向性としては、「選別」を統治技術の失敗例として読む見解がある。すなわち、決定を“偶然”に委ねると、最終責任が制度から消え、結果として暴力の言語だけが残るという考えである[18]。
これに対し、の宮廷運用を参照した比較研究では、「選別」は決定不能を隠す装置ではなく、決定不能をあえて可視化していたとする[19]。ただし、その可視化があまりに残酷であったため、制度へは転用できず、手続のみが残ったというのが通説に近い見方である。
また、近代の統治学の側では、「確率の神学化」を示す史例として扱われることがある。ただし、当時の宗教実務者が本当にコイン運用を容認したのかは不明であり、当時の逸話の色が強いという留保が付されることも多い。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ オルソン・ベレンガール「『選別』と手続の崩壊:1480年代地中海公証資料の再読」『Journal of Applied Probability in Governance』Vol.12 No.3, 2019, pp.44-73.
- ^ サルヴァトーレ・ドナーティ「ヴェネツィア交易危機と“表裏”判定の政治学」『海事史叢書』第9巻第2号, 2008, pp.101-156.
- ^ エマヌエル・アッバス「Coin and Covenant: An Imagined Ritual of Order」『Mediterranean Legal Review』Vol.5 Issue 1, 2015, pp.1-26.
- ^ ジャン=ピエール・ラモット「宣言順の影響係数と群衆行動(虚構資料を含む)」『Revue de la Procédure Publique』第21巻第4号, 2021, pp.302-339.
- ^ マッテオ・カステリ「砂時計議事局の草稿:採決遅延25.6%の由来」『公文書学通信』Vol.33, 2013, pp.77-98.
- ^ 北澤悠真「表裏の倫理:選別語彙の後世改竄」『比較制度史研究』第6号, 2020, pp.55-90.
- ^ マリア・ルイザ・ペラルタ「The Selection Plan and the Myth of Universal Targeting」『International Archive of Civic Myths』Vol.2 No.7, 2018, pp.210-241.
- ^ アンドレア・ロッシ「『大審問海事会』の運用と儀礼の距離」『法と海の史料館』第14巻第1号, 2011, pp.9-48.
- ^ C.ハロルド・ベイカー「Selection, Roulette, and Responsibility」『Proceedings of the Royal Society for Legal Oddities』Vol.8, 2006, pp.66-89.
- ^ ジュリエット・モロ「ヴェネツィアの誓文逐語検証と劇場の寓意」『Theater & Governance』第7巻第3号, 2009, pp.140-168.
外部リンク
- 地中海公証資料データベース
- 砂時計議事局アーカイブ
- 海事史叢書の注釈サイト
- 確率の神学・文献リスト
- 比較制度史研究の特設ページ