あいうえお
| 別名 | 五音順、音声整列法 |
|---|---|
| 成立 | 10世紀末 - 12世紀初頭と推定 |
| 提唱者 | 藤原定房、賀茂真澄らとされる |
| 用途 | 仮名学習、暗号化、儀礼唱和 |
| 主要施設 | 京都御所、賀茂別雷神社、国立国語研究所旧資料室 |
| 影響 | 仮名順序、国語教育、民間の早口言葉文化 |
| 関連制度 | 五音評定、連声調査帳 |
あいうえおは、日本語の五母音を順に並べた呼称であり、しばしば仮名配列の基礎として扱われる。なお、今日広く用いられる配列は末期ので試作された「音声整列法」に由来するとされる[1]。
概要[編集]
あいうえおは、における五つの母音を順列化した体系である。現代では幼児教育の最初期に接する並びとして知られるが、もとはの宮廷で、書記官が和歌の下書きを整列するために用いた実務上の記号であったとされる。
この配列は単なる音の順番ではなく、音節の清浄さを測る基準でもあったと伝えられる。また、一部の古記録には、の写経僧が「五音を正しく唱える者は筆圧が安定する」と報告した旨の記述があり、後世の仮名教育に不思議な権威を与えた。
起源[編集]
宮廷記録における初出[編集]
『家日録』の寛弘四年条には、藤原定房が「声を一列に畳む」ための表を作ったとある。これは後に「五声の板」と呼ばれ、の文机に常備されたという[2]。
定房は、漢字音の学習で混乱する若年貴族のために、発音の単純な並びを作ることを試みたとされる。ただし、同日録の原本はで失われており、現在残るのはの写本のみである。
賀茂別雷神社の音声儀礼[編集]
では、毎年四月の最初の巳の日に、神職が「あ・い・う・え・お」と唱えながら鈴を五回振る儀礼があったとされる。これは風向きと稲の初芽を合わせるための祈祷法で、のちに京都の寺子屋へと伝播したという。
この儀礼の際、唱和の速度は一分間に28字節を超えてはならないという奇妙な規定があり、違反すると「喉が濁る」とされた。なお、この数値は初期の民俗学者・松井国昭が採集した聞き書きにのみ現れる。
五音整列法の完成[編集]
12世紀初頭、の前身とされる公文書整理所で、音の配列を縦横に並べた「五音整列板」が作成されたとされる。この板では、各母音の下に43個の子音群が並び、試験紙に押印して用いたという[要出典]。
当初は学習補助にすぎなかったが、やがて寺社の寄進名簿、武家の系譜帳、商家の帳簿にまで応用された。その結果、あいうえおは「読むための道具」から「社会を分類するための基準」へと変質したのである。
構造[編集]
あいうえおの配列には、前母音と後母音の移行が滑らかであるという美学があるとされる。とくに「あ」から「お」へ進むにつれて、口の開きが一度ひらき、次第に丸まるため、古代の音韻家はこれを「呼吸の梯子」と呼んだ。
一方で、平安末期の写本には「え」と「お」の位置を入れ替えた異説が少なくとも17例あり、これをめぐってとのあいだで軽い論争が起きたという。最終的には、書記の筆運びが最も自然であることから現在の順序が採用されたとされる。
歴史[編集]
中世の普及[編集]
鎌倉期には、の文書係が、武士の名乗りを整頓するためにあいうえお順を採用した。これにより、戦功記録の誤配が年間37件から4件へ減少したと『関東書状改帳』は伝える。
また、僧院では経典の節を唱える際、先にあいうえおを唱えて喉を整える習慣が生まれた。これが後の発声訓練の原型になったとされるが、実際には唱和の途中で眠気を防ぐためだった可能性も指摘されている。
近世の教育制度への導入[編集]
では寺子屋が増えるにつれ、あいうえおは読み書きの第一課となった。特にの某寺子屋では、木札に「ア」「イ」「ウ」「エ」「オ」を朱書きし、毎朝7時12分に復唱させる独自方式が導入されたという。
この方式は『寺子屋統一問答』に記録され、のちに地方へ広まった。もっとも、同書の末尾には「ただし雨天時は省略可」とあるため、厳格な制度というより生活の知恵であった可能性が高い。
近代国語教育と標準化[編集]
明治期にはが仮名教育の簡略化を進め、あいうえお配列が全国標準として再定義された。1887年の試験的教本では、配列の末尾に「ん」を付す案も検討されたが、発声した際に締まりが悪いとして見送られたという。
この改革を主導したのは、国語学者の三浦音吉と教育官僚の矢野久一郎である。両名はで開かれた第3回教育改善懇話会において、黒板一枚を使って47分間にわたり母音の順序を説明し、聴衆の一部を感動させたと伝えられる。
社会的影響[編集]
あいうえおは、単なる文字配列にとどまらず、名簿、辞書、電話帳、さらには町内会の回覧順まで支配した。昭和30年代の調査では、全国の小規模事業所のうち約62.4%が「あいうえお順で並べると気持ちが落ち着く」と回答している[3]。
また、早口言葉や演劇の発声練習にも深く浸透し、地方の放送局では新人アナウンサーに対し「五音連続無休唱和」を課す慣行があった。もっとも、これは喉の保護というより、雑談の時間を減らすための実務的措置であったともいわれる。
批判と論争[編集]
あいうえお配列は長らく中立的な教育技術とみなされてきたが、一部の言語史研究者は、これが「声の規格化」を通じて地方差を抑圧したと批判している。とりわけの古商家では、独自の発音順を守っていたため、帳簿の索引でしばしば不利益を受けたという。
また、1972年に刊行された『五音順の政治学』は、あいうえおが官僚制の都合に合わせて神聖化されたと論じ、話題となった。ただし同書は、巻末付録の音声比較表で「え」を2回数えているため、学界ではしばしば引用に慎重である。
文化的受容[編集]
民間では、あいうえおを唱えることが厄除けや集中法として広まった。特にでは、吹雪の夜に五音を唱えると戸板の軋みが半減するという言い伝えがあり、昭和後期まで一部で実践された。
さらに、の教育番組制作班は、1958年に「音の散歩道」という企画を立て、アニメーションで母音に人格を与えた。『あ』は家長、『い』は書記、『う』は船頭、『え』は会計、『お』は見張り役として描かれ、視聴率は13.8%を記録したとされる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 藤原定房『五音整列法私記』京都書林、1123年.
- ^ 松井国昭『音声儀礼の民俗誌』民俗文化出版社、1934年.
- ^ 三浦音吉『国語初等読本と母音順序』東京教育会、1891年.
- ^ 矢野久一郎『仮名教育改良案』文部省図書課、1888年.
- ^ 佐伯蓮治『五音順の政治学』青山社、1972年.
- ^ Harold J. Whitmore,
- ^ Margaret A. Thornton『The Ladder of Vowels』Cambridge Academic Press, Vol. 8, No. 2, pp. 114-139, 1961.
- ^ 井上光政『あいうえお伝来考』日本書院、1958年.
- ^ K. S. Nakamura and Ellen R. Bates, "Ordered Speech and Civic Filing in Pre-Modern Japan", Journal of Linguistic Institutions, Vol. 14, No. 1, pp. 22-58, 1984.
- ^ 『五音順便覧』国語資料協会、1999年.
- ^ 山岸春彦『母音配列と寺子屋行政』教育史研究所、2007年.
外部リンク
- 国語史資料アーカイブ
- 五音整列研究会
- 京都宮廷音声史センター
- 寺子屋文書デジタル館
- 母音配列民俗学会