あまりす抜ける説
| 分野 | 民俗学・言語学(架空の理論枠) |
|---|---|
| 提唱者 | 大町(おおまち)アマリス(通称) |
| 主な論拠 | 方言録音と“抜け率”統計 |
| 成立時期 | 昭和末期から平成初期にかけての言説 |
| 中心地域 | 周辺 |
| 関連用語 | 欠落音素/抜け設計/語連結ゲート |
| 性格 | 説明原理としての疑似理論 |
あまりす抜ける説(あまりすぬけるせつ)とは、の民俗言語研究者のあいだで語られてきた「語の連結が意図的な欠落(抜け)を生む」という疑似理論である。特にの口承資料をめぐり、誤読ではなく「抜けの設計」だと主張されてきた[1]。
概要[編集]
あまりす抜ける説は、会話や昔話において“聞き取れないはずの箇所”が、実は偶然ではなく、語の連結装置のように意図的な欠落として生じるとする見方である。そこでは、聞き手が「抜けた」と感じた瞬間が、話し手の情報設計の境界だとされる。
この説は一見すると言語学の一般論(誤聴や省略)に似ているが、異なるのは欠落を「現象」としてではなく「仕様」として扱う点である。とくにで収集された口承が、特定の頻度で同じ位置に欠落を生み、さらにその欠落が“次の語”の意味を選別する、と主張される[1]。
定義と要点[編集]
あまりす抜ける説では、語を構成する単位を「音素」ではなく「連結ゲート」と呼ぶ。連結ゲートは通常、隣接語の間で同期して連結されるが、条件がそろうと「抜け設計」が発動し、ゲートが開かなかったかのように情報が欠落する。
要点として、(1) 抜けはランダムではなく、話題の転換点に寄る、(2) 抜けた部分は必ず“意味が未完成な状態”として次語に受け渡される、(3) その結果、聞き手は空白を補完してしまい、補完の方向性が方言差により偏る、の三点が挙げられる。
また、説の中核を担う指標として「抜け率(ばけりつ)」が導入された。抜け率は録音1分あたりの“沈黙らしき区間”の総秒数を、文の総区間で割って算出するもので、の海側方言を対象にすると平均0.038という値が繰り返し観測されたとされる。ただし、この数値の計算条件は後年の論争で問題視された[2]。
歴史[編集]
起源:横浜の臨海倉庫と「設計された沈黙」[編集]
あまりす抜ける説の発端は、の臨海倉庫に残っていた労働歌の記録にあると説明されることが多い。記録者の一人である大町(おおまち)アマリス(通称)は、昭和の終わりに倉庫番の高齢者から聞いた歌に、同じ場所でだけ不可思議な沈黙が生じると報告したとされる。
とくに注目されたのは、第1連の3行目だけが毎回「ちょうど拍の1/8だけ」欠けるという観察である。大町はこれを“人為的な息継ぎ”ではなく、欠落が意味の編集に関与している兆候だと解釈した。なお、当時の記録媒体はカセットテープであり、テープの伸びを補正するためにの技術嘱託が協力したという逸話も、後年の講演で繰り返し語られている[3]。
拡張:欠落音素学と「語連結ゲート委員会」[編集]
説はその後、大学の研究会に紐づけられた。具体的には、の言語研究者が中心となり「欠落音素学研究会」が設けられ、さらに研究会は実務面として“語連結ゲート委員会”を名乗るようになったとされる。
委員会の活動として、方言録音の再編集ルールが整備された。たとえば、録音からノイズを除去する際、沈黙区間のみを消さずに残すという方針が採用されたとされる。その結果、編集済み音源の抜け率が、未編集時よりも平均で16.7%上昇したという報告が残っている。
もっとも、この数値は「ノイズ除去の閾値設定」に依存するため恣意的だと指摘された。委員会の議事録に「閾値は測定者の“気分”で調整されるべきである」という一文があったのではないか、と噂され、編集者のひとりが“修正文”をこっそり挟んだという話もある[4]。
社会化:出版と“抜ける練習”ブーム[編集]
平成に入り、あまりす抜ける説は書籍化されることで一般化した。きっかけは、出版社が刊行した『欠落は裏切らない』であるとされる。著者は“説の一般向け説明”に徹し、専門用語を減らしたが、その代わりに「読者が抜けを体験する手順」が付録として付けられた。
手順は奇妙に具体的で、参加者は(1) 文章を黙読する、(2) 指で紙面の一行目と三行目の間をなぞる、(3) 目を離した直後に“抜けた箇所”を読み直す、という三工程を行うことになっていた。ある参加者の記録では、抜けが発生するまで平均92秒、最大で184秒だったと書かれている。
このブームにより、学校の朗読や演劇の稽古で「沈黙を空白として固定する」訓練が導入されたとされる。一方で、表現が過剰に様式化され「欠けるために欠ける」ことへの反発も生まれたとされる[5]。
具体的エピソード[編集]
あまりす抜ける説を象徴する事例として、の“臨港図書館”で行われた公開朗読会が挙げられる。主催はで、観客参加型の形式を採用した。
当日の台本には、「欠けが起きたと感じた箇所にだけ、客が自分の方言語尾を付け足す」規則があったという。結果として、同じ台詞でも補完される語尾が参加者の出身地域で偏り、語尾の差が物語の“登場人物の心理”に影響したと語られた。なお、主催者報告では、補完による意味の変化が観測された回数が総計513回で、うち“抜け率が高い回”は209回だったとされる[6]。
また、説の支持者は、録音の再生速度をわずかに変えると抜け位置が動くのではなく「同じ種類の欠落だけが再現される」と主張したとされる。ここでいう“種類”は、沈黙が(1)息継ぎ型、(2)視線型、(3)話題切替型の三種に分類される。とくに話題切替型は、周波数スペクトルが静かに乱れるにもかかわらず、聴取者が欠落を“文法の穴”として理解してしまう現象として記述された[7]。
評価と批判の論点[編集]
批判は、統計手法と再現性に集中した。欠け率の算出において、沈黙区間の定義が録音ごとに微妙に異なりうる点が問題視されたのである。さらに、抜けた箇所の同定が研究者の予断に依存するとする指摘があった。
一方で擁護側は、批判者が“抜けを消そうとする編集”を施してしまうため現象が見えなくなる、と反論した。ここで擁護論には、編集作業を担当した若手スタッフが「消すと負ける気がした」と漏らしたという逸話が援用された。この種の言い回しは科学的とまでは言えないが、記事の注釈としてはなぜか受け入れられやすかったとされる[8]。
加えて、説の名称そのものが滑稽さを呼び込んだ。「あまりす」という音が固有名に由来するのではなく、連結ゲートの“余り”を示す記号であるとする解釈もある。しかし、その記号由来説は当事者のノートに基づくとされるだけで、文字が筆跡鑑定に回された履歴は確認できないとされる(要出典)[9]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 大町アマリス『欠落は裏切らない』横浜言語工芸社, 1993.
- ^ 田村シモン『方言録音における沈黙区間の計量』言語計量研究会誌, 第12巻第3号, pp. 41-68, 1997.
- ^ Margaret A. Thornton『On Designed Omissions in Oral Transmission』Journal of Folk Linguistics, Vol. 8, No. 2, pp. 101-129, 2001.
- ^ 【編】横浜臨港図書館『公開朗読の社会的変数—抜け率をめぐる参加記録』臨港叢書, 第5集, pp. 1-205, 2004.
- ^ 篠原ユウリ『語連結ゲート仮説と補完バイアス』日本言語社会学会紀要, 第9巻第1号, pp. 9-33, 2006.
- ^ Kofi Mensah『Silence as Specification: A Comparative Note』International Review of Narrative Phonetics, Vol. 3, No. 1, pp. 77-95, 2010.
- ^ 李成洙『欠落を“仕様”とする語の編集技術』東アジア口承研究年報, 第2巻第4号, pp. 213-249, 2012.
- ^ 鈴木ケイ『沈黙区間の定義問題—閾値調整の恣意性』音声資料学, 第6巻第2号, pp. 55-80, 2015.
- ^ André Dubois『The Amaris Index: Revisited』Proceedings of the Colloquium on Mishearing, Vol. 11, pp. 1-12, 2018.
- ^ 村瀬トモエ『あまりす抜ける説の歩き方(増補改訂版)』臨港学術出版, 2020.
外部リンク
- 横浜臨港言語アーカイブ
- 欠落音素学ポータル
- 語連結ゲート委員会の会報倉庫
- 抜け率計算機(旧版)
- 方言朗読ワークショップ案内