あるもす
| 分野 | 通信工学・音響信号処理 |
|---|---|
| 別名 | 余韻分類体/遅延色素 |
| 提唱時期 | 1970年代後半 |
| 主な対象 | AM帯・録音媒体・電話回線 |
| 記述単位 | アルモス度(A.D.) |
| 関連組織 | 電気通信系研究会、放送技術部門 |
| 影響 | 圧縮音声の品質評価指標の一部 |
| 注意事項 | 測定条件で値が大きく変動するとされる |
は、旧来の音声通信網で観測される「不可解な余韻」を工学的に分類した用語であるとされる。特に末期からの技術資料に登場し、以後は分野を超えて比喩的にも用いられてきた[1]。
概要[編集]
は、音声信号における「終端直後の微小な性質」を、一定の手順で数値化し、分類した概念である。特に送受信の系統(回線、録音マイク、テープ、放送処理)によって、終端が不自然に“伸びる”場合があり、その伸びの印象を工学用語に落とし込む試みとして整理されたとされる[2]。
この概念は、単なる録音機器の癖ではなく、系全体の統計的な偏りとして扱うことで、品質評価や再生アルゴリズムの調整に応用できる可能性があるとされた。のちに、技術者間の雑談では「今日の放送はあるもすが軽い」「収録マイクのあるもすが強すぎる」といった言い回しに転化し、比喩としても定着したとされる[3]。
成立と発展[編集]
起源:郵便無線の“終端事故”[編集]
あるもすが生まれた経緯は、の郵便無線網で起きた“終端事故”に遡ると説明されることが多い。具体的には、の中継点からの受信点へ送られた定型文の読み上げ音声が、なぜかテープを再生した途端だけ不自然に長く聞こえる現象が報告されたとされる[4]。技術者は当初、テープ伸びやテレコの偏芯を疑ったが、同じ文章でも「語尾だけ」発生し、しかも発生率が季節で変わることが分かったとされる。
そこで、研究会は「終端直前のスペクトル重心」と「終端直後の減衰曲線」の差分を取り、その差をアルゴリズムで“余韻色”に変換した。この差分を便宜上「Armos(仮称)」と呼び、のちにカタカナ転写されてになったとされる。なお、この仮称の由来については、終端事故の当日、現場責任者が書き留めたメモの頭文字がA・R・M・O・Sであったという説と、無線機の部品型番(AMOS系)から取ったという説が併存している[5]。
標準化:測定器の仕様競争[編集]
、放送技術者の集まりで「あるもすは測れない」という反論が強まったとされる。理由は、測定法が各社で異なり、同じ音声でも値が揺れるためであった。そこで、の技術部門が主導し、評価用の疑似発声音(音素列)を配布、測定手順を“できるだけ愚直に”固定した[6]。
手順では、終端から以内の振幅減衰をまず整流し、その後に短時間フーリエ変換をで行い、減衰定数を複数回試算する。さらに、周波数帯を3分割し、各帯の減衰定数に重み係数を掛けて合算した。合算結果を「アルモス度(A.D.)」と呼び、例えばA.D.=1.20〜1.35が“軽い”に分類されるなど、運用上の目安が提示されたとされる[7]。
もっとも、標準化直後に「測定器のプリアンプを交換しただけでA.D.が0.08動いた」という内部報告が出て、結局“標準条件”を細かく書き込むことになった。ここでの試験室では、湿度をに固定し、テープ基材のロット番号(例:L-17系)まで添付する運用が採られたとされる[8]。
社会への波及:圧縮音声と“聴き分け市場”[編集]
あるもすが社会に広く知られる契機は、圧縮音声の品質議論が過熱した時期と結びついて語られる。特に、前後に普及が進んだ高効率符号化では、聴感の違いが“それらしい言葉”に置き換えられなければ議論が収束しないという問題があったとされる。そこで、品質会議ではA.D.を使った比較表が導入され、「あるもすが同じなら、体感の差も小さい」と主張する資料が採用された[9]。
結果として、技術者だけでなく、編集部や試聴担当にもA.D.の数値が共有されるようになり、特定の制作現場では“あるもすが強い”音源を好む傾向が生まれたとされる。例えばのローカル番組制作では、語尾の余韻が残る読み上げが好まれるとして、現場の指揮者が「今日はあるもすA.D.を1.41に寄せよう」と宣言したという逸話が残っている[10]。
具体例:あるもす度の“事件”[編集]
あるもすは理論というより、現場の誤差や偶然が引き起こす“事件”として語られることが多い。特に有名なのは、にの中継局で発生した「夕方の天気予報だけあるもすが増える」現象である。記録ではA.D.=1.33→1.52へ跳ね上がり、原因は気圧配置ではなく、同時刻に稼働した除霜装置の電源ノイズにあると結論づけられたとされる[11]。
さらに同年、同じ局の別スタジオでは逆にA.D.=1.40→1.11へ低下した。こちらは原因が“人の都合”で、収録担当がヘッドホンを同僚に貸して戻った際、同一機種でも個体差があるイヤーパッドを使用していたことが判明したとされる[12]。このとき、調査報告書にはイヤーパッドの圧縮率を示すため、サンプルを取り替えてから測定したという、異様に具体的な手順が付されていたという。
また、のある公開試聴会では、観客が「この朗読は終わりが落ちる」と評した音源が、A.D.の表示上は“標準範囲内”だった。そこで会の運営は、測定ウィンドウを終端からへ前倒ししたところ、A.D.=1.34が1.39へ変化し、観客の感想と一致したと報告された。なお、この変更は後に“測定の都合であるもすが動いた”と批判され、同時に“批判こそが技術を前進させる”と擁護もされた[13]。
批判と論争[編集]
あるもすは、定量化されたように見えながら、実際には測定条件への依存が大きいと指摘されている。特に、A.D.が“聴感”を説明するのに有効だとしても、聴き手の経験や期待が終端印象に影響する可能性があるため、純粋に工学指標として扱いきれないとの見解がある[14]。
また、放送業界内では、あるもすを品質競争に使うことが「数値で納得する文化」を生み、細部の音響調整を後回しにする危険があるという反発もあったとされる。実際、ある会議録では「A.D.が揃っていれば“良い声”扱いされる」ため、発声訓練の議論が削られた、とする内部メモが引用されている[15]。
一方で、あるもすが議論の“共通言語”になったことも事実であり、批判も擁護も同じデータ表を巡って起こった。結果として、のちにはA.D.に加えて、終端前の緩衝領域の傾きも併記する「複合あるもす(C-A.D.)」が提案されたが、結局運用の煩雑さから短命だったとされる[16]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 山下澄夫『終端の統計—放送音声の微小差異解析—』電気通信出版, 1981.
- ^ 田中啓介「余韻分類体(仮称あるもす)の提案と試験条件」『放送技術研究』第24巻第3号, pp.12-27, 1979.
- ^ Katherine M. Ward『End-Frame Auditory Perception』Audio Systems Press, 1987.
- ^ 鈴木秀明『録音系のゆらぎと再生印象』共立サウンド学院, 1994.
- ^ 中村礼二「あるもす度の校正に関する一考察」『電子音響学会誌』第8巻第2号, pp.41-58, 1990.
- ^ 清水陽一『放送局の現場データから学ぶ信号処理』放送技術叢書, 1992.
- ^ R. Albright, J. Calder「Measurement Window Dependence in Residual Echo Indices」『Journal of Signal Musicology』Vol.5 No.1, pp.3-19, 1996.
- ^ 佐藤万里子「湿度固定試験がもたらす終端減衰の変動」『気象と音の相互作用研究』第2巻第1号, pp.77-92, 1997.
- ^ 【ちょっと変な参考文献】『音声は語尾で嘘をつく:あるもすの民俗学』架空文芸社, 2001.
- ^ 高橋大作『品質会議のための数値語彙』学術編集工房, 1988.
外部リンク
- Armos Audio Archive
- 終端事故資料館
- A.D.校正ガイド
- 放送技術研究会データベース
- 余韻分類体フォーラム