ありえんでかいうんち
| 名称 | ありえんでかいうんち |
|---|---|
| 別名 | 超巨大便、特大排泄物現象 |
| 初出 | 1987年頃(諸説あり) |
| 発祥地 | 東京都板橋区・北区周辺 |
| 提唱者 | 渡辺精一郎、佐伯みのる ほか |
| 用途 | 衛生教育、娯楽、比喩表現 |
| 関連機関 | 首都下水技術研究会、東京便文化協会 |
| 流行時期 | 1990年代前半 - 2000年代前半 |
| 象徴色 | 茶褐色 |
| 代表的媒体 | 深夜ラジオ、児童雑誌、便器図鑑 |
ありえんでかいうんちは、極端に巨大な排泄物を指す俗語であり、主にのインターネット文化圏で流通した観念である。もとは末期にの下水設備研究から派生したとされ、のちに玩具業界と深夜ラジオが結びつくことで一般化した[1]。
概要[編集]
ありえんでかいうんちは、通常の排泄物とは比較にならない規模をもつとされる想像上の存在である。多くの場合、単なる大便の誇張表現として扱われるが、民俗学ではの目詰まりへの恐怖が言語化されたものと解釈されている。
一方で、1980年代後半のでは、集合住宅の普及にともない「一度に流せる量」の限界が家庭内でしばしば話題となり、その不安が子ども向けの怪談や学級新聞に流入したとされる。これが後に、半ば学術用語、半ばギャグとして定着した経緯がある[2]。
起源[編集]
下水技師たちの冗談[編集]
起源については、にの区立施設で行われた排水実験に由来するという説が有力である。実験記録には、当時の技師・渡辺精一郎が「この流量はありえん」と発言した直後、見学に来ていた小学生が「ありえんでかい、うんち」と復唱したと残されている。ただし、この逸話は後年の聞き書きに依存しており、要出典とされることが多い。
その後、同区の衛生教育パンフレットにおいて、便器の詰まりを避ける注意喚起の挿絵として、異様に巨大な便のシルエットが掲載された。編集担当の佐伯みのるは、この図版に「ありえんでかいうんち」という手書きの注記を残したとされ、これが最初期の用例とみなされている[3]。
深夜ラジオと児童雑誌への拡散[編集]
からにかけて、系の深夜番組で、はがき投稿の珍語として繰り返し扱われたことが流行の決定打となった。特に「でかい」を強調する間延びした読み方が、リスナーの間で模倣され、単なる下品な語ではなく、サイズの破綻そのものを示す記号として受容された。
また、系の学年誌では、学習まんがのコーナーで「排泄と健康」を説明する際、無害化された形でこの語が用いられたという。ここで重要なのは、子ども向け媒体が扱ったことで、表現の粗野さがかえって公的な権威を帯びた点にあるとされる[4]。
定義と分類[編集]
ありえんでかいうんちは、単にサイズが大きい便を意味するのではなく、「現実の人体の許容量を超えているように見えるもの」を指す比喩的概念として分類される。言語学者の間では、、、の三要素が重なった珍しい語であるとされている。
分類上は、実物を指す、噂話として流通する、動画や掲示板で量感だけが独り歩きするに分けられる。なお、以降はSNS上で「ありえんでかいうんち級」という形容句が頻出し、もはや実体よりも評価語として使われる傾向が強まった。
東京便文化協会の内部資料では、長さが20センチ以上、直径が7センチ以上、または「便器の水位が一時的に2段階上昇したように見えるもの」を便宜上この範疇に含める、としている。ただし、この基準は家庭用便器の規格が改訂前後で異なるため、厳密な比較は困難である。
社会的影響[編集]
この語の影響は、単なる下ネタの流行にとどまらない。1990年代の小学校では、トイレ掃除の指導が「ありえんでかいうんちを出さない生活習慣」と結びつけて説明され、嫌がる児童を笑わせつつ衛生教育を行う教材として一定の成功を収めた。
一方で、の広報班は、設備の老朽化が進んだ地域で住民説明会を開く際、この語を直接使うことを避けつつも、暗示的に巨大な排水負荷の危険を示す便利な言い回しとして半ば黙認していたとされる。1998年には、職員向け研修の標語に「ありえんでかい詰まりを防げ」というスローガンが採用され、内部では好評だったという[5]。
また、玩具業界では「伸びる」「大きくなる」「トイレから出現する」という3要素を組み合わせた便型ソフトトイフィギュアが複数発売され、累計出荷数は時点で約38万個に達したとされる。とりわけの量販店での売れ行きがよく、正月商戦の穴埋め商品として重宝された。
論争[編集]
品位をめぐる議論[編集]
頃、PTAの一部から「児童の語彙を汚染する」として使用自粛を求める動きがあった。しかし、これに対し教育現場では「不潔な語を隠すほど子どもは強く興味を持つ」との反論があり、むしろ保健教育の導入語として機能していたとされる。両者の対立は、言葉そのものの是非というより、学校がどこまで笑いを許容するかの問題にすり替わっていった。
なお、の会議録には、この語を直接記した文書は見当たらないが、匿名の議員秘書が「便意に関する過剰比喩」として説明したメモが残っているという。
真偽不明の実測調査[編集]
には、民間調査会社が「最大級の便体験」に関するアンケートを行い、全国の20代から60代のうち約4.7%が「人生で一度はありえんでかいうんちを見た気がする」と回答した。この数字は極めて曖昧であるが、発表時の記者会見ではなぜか笑いが起こらず、むしろ厳粛に受け止められた。
もっとも、調査票の設問には「見た」「聞いた」「SNSで見た気がする」が混在しており、統計としての妥当性には疑問が呈されている。それでも、この調査は語の社会浸透度を示す象徴的資料として、現在でもしばしば引用される[6]。
文化的表象[編集]
漫画やテレビ番組では、ありえんでかいうんちは往々にして「見えてはいけないが、なぜか存在感だけは圧倒的」という演出で使われた。特に後半のバラエティ番組では、便器の模型に金箔を貼るという謎の演出が行われ、視聴者からは「下品なのに妙に高級」と評された。
文学方面では、の同人誌即売会で配布された短編『便の山』が、巨大便を自然災害の比喩として扱ったことで評価された。ここでは、ひとつの排泄が町内会の防災訓練を中断させるという過剰設定が用いられ、後の「災害級うんち」表現の源流になったとされる。
音楽では、のライブハウスで演奏されたインディーズ曲「Ariendekai」は、サビでトイレの水音をリズムに使った実験性から、一部の評論家に「衛生ポップ」と呼ばれた。販売数は少なかったが、語の記憶を音として定着させた点で重要である。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『集合住宅排水系統と幼児語の相関』首都下水技術研究会報告, Vol. 12, No. 4, 1989, pp. 41-58.
- ^ 佐伯みのる『衛生パンフレットにおける図像の誇張表現』東京便文化協会年報, 第3巻第2号, 1991, pp. 7-19.
- ^ 田村康平『深夜放送における身体語彙の増幅』日本放送文化研究誌, Vol. 18, No. 1, 1995, pp. 102-117.
- ^ M. A. Thornton, 'Gigantic Excretory Imaginaries in Post-Industrial Japan', Journal of Urban Folklore, Vol. 7, No. 2, 2002, pp. 221-244.
- ^ 小林由紀『児童誌における排泄語の無害化と教育効果』児童文化研究, 第21巻第5号, 2004, pp. 55-73.
- ^ 黒田一成『便器規格改訂史と家庭内恐怖の変遷』日本衛生工学会誌, Vol. 31, No. 6, 2009, pp. 309-326.
- ^ H. Tanaka, 'The Semiotics of Oversized Waste in Popular Media', Asian Media Studies, Vol. 14, No. 3, 2011, pp. 88-109.
- ^ 西園寺絵里『ありえんでかいうんち現象の聞き取り調査』民俗表現論集, 第9巻第1号, 2013, pp. 1-14.
- ^ 石原拓也『災害級うんちの成立と地域社会』東京地域文化年報, Vol. 6, No. 2, 2016, pp. 77-93.
- ^ 『トイレと笑いの民俗誌』北関東出版, 2020.
外部リンク
- 東京便文化協会アーカイブ
- 首都下水技術研究会デジタル資料室
- 民俗語彙オンライン辞典
- 深夜放送珍語年表
- 児童雑誌コレクション・便の章