いうよか事件
| 名称 | いうよか事件 |
|---|---|
| 正式名称 | 警察庁による正式名称:宇城市連続刃傷・偽通報事件 |
| 日付(発生日時) | 1987年(昭和62年)7月11日 20:13〜21:41 |
| 時間/時間帯 | 夜間(20時台〜21時台) |
| 場所(発生場所) | 熊本県宇城市(旧・不知火町域を中心) |
| 緯度度/経度度 | 北緯32.53度 / 東経130.57度 |
| 概要 | 偽通報に誘導された複数箇所で刃傷が発生し、同一手口が示唆された事件である |
| 標的(被害対象) | 帰宅途中の歩行者および店舗従業員 |
| 手段/武器(犯行手段) | 使い捨ての片刃工具と即席の布製サック(遺留品として複数回転換) |
| 犯人 | 特定に至っていないとされる(当初は容疑者が浮上) |
| 容疑(罪名) | 殺人および殺人未遂の疑い(複数罪名) |
| 動機 | 「いうよか」という方言型合言葉を用いた模倣連鎖、または報復説がある |
| 死亡/損害(被害状況) | 死者2名、重傷者3名、軽傷者12名(家屋・店舗の一部損壊を含む) |
いうよか事件(いうよかじけん)は、(62年)にで発生した無差別殺傷事件である[1]。警察庁による正式名称は「宇城市連続刃傷・偽通報事件」とされ、当時は通称としてと呼ばれた[1]。
概要/事件概要[編集]
いうよか事件(いうよかじけん)は、夜の人通りが落ち始めたころに、内の複数地点へ「通報された」という形式だけが先に広がり、現場で刃傷が発生した事件である[1]。犯人は逮捕されたと報じられかけた時期があったが、のちに供述の食い違いが大きく、未解決のまま終息したとされる。
発生したのは(62年)、の旧市街地一帯で、時刻は20:13から始まり、最後の通報が処理されたのは21:41と記録されている[2]。通報内容には「いうよか、いうよか」という不自然な反復語が含まれ、捜査本部はこれを“犯人の口調”とも“地域の誘導合言葉”とも結びつけて検討した[2]。
背景/経緯[編集]
背景として、当時の周辺では、夜間の出歩きを巡って自治会・商店会が看板掲示を強めていたとされる[3]。ところが事件の数か月前から、警察署の受付に「場所を間違えているのに丁寧すぎる」偽の通報が増え、通報者の電話音がどれも同じ周波数域を帯びていた、という報告があった[3]。
経緯としては、まず20:06に“1本目”の通報が入ったのち、20:13に最初の現場で被害者が倒れ、続いて20:49に2本目、21:12に3本目の通報が連鎖したとされる[4]。被害者は「犯人は、短い句を2回言ってから近づいてきた」と供述しており、その句が「いうよか」に聞こえたことから、報道側が通称として採用した[4]。ただし、方言の聞き取りは難しく、後年の鑑定では「いうよか」は“誤聴の可能性が高い”とも指摘された[4]。
なお、捜査の初動では遺留品の一部が回収されながらも、現場間で“布の繊維”が一致するとは限らなかった。そこで捜査陣は「手段の規格化」があったと考え、同じ作業工程(布製サック、工具の持ち替え角度、通報の秒間隔)を想定したと記録される[5]。
捜査(捜査開始/遺留品)[編集]
捜査は20:18に第一通報が受理された時点で開始されたとされ、捜査員は当初、役場近くの駐車場から半径1.6kmの範囲を優先して聞き込みを行った[6]。その結果、目撃者が複数いるにもかかわらず、犯人の“服の色”だけが共通しないという矛盾が生じたため、目撃の精度そのものが争点になった[6]。
遺留品としては、現場Aと現場Cで同系統の布片が回収された。布片は“洗濯表示がない”ことに加え、繊維密度が1cmあたり78本と測定されており、一般的な作業着の規格から外れていたとされる[7]。さらに、刃傷に使われたと推定される工具について、刃先の微細な欠けが“左利きが研いだ角度”に合うと指摘されたが、被害者の証言する動作との整合は完全ではなかった[7]。
捜査は次第に、通報電話の音声解析へ比重が移った。捜査員は通報者がダイヤル式ではなくボタン式を使った可能性を示し、通報の間(20:13の1分後、20:14付近)の無音が平均0.8秒で揃っていることを根拠に、同一人物または同一回線の存在が推定された[8]。一方で、当時の交換機の故障ログを理由に、推定が覆る余地も残されたと記録されている[8]。
被害者[編集]
被害者は複数名で、供述内容から“共通の近づき方”があったと整理された。第一の被害者(男性、当時34歳)は「被害者は、犯人は」「逮捕された」という報道を前提に喋り始めたわけではないが、最初に「犯人は、耳元で短く繰り返した」と説明した[9]。その際に聞こえたのが「いうよか」という反復であるとされる[9]。
第二の被害者(女性、当時27歳)は、現場近くの夜間店舗の裏口で襲われ、「通報したらしい声」が遠くから聞こえた、と供述した[10]。第三の被害者(男子学生、当時18歳)は軽傷で、目撃情報として“歩幅が異常に一定だった”点を挙げている[10]。このように、被害者の証言は感覚面での共通点が多い一方、時間の認識にはズレがあり、捜査本部は「犯行前に接触があった可能性」を検討した[10]。
また、事件後に治療費の負担が問題化し、自治体が医療機関へ緊急補助を回す段取りを急いだとされる。特に、受傷から診断書発行までの平均日数が“3.2日”となった点は、後の保険請求で整合を求められる原因にもなった[11]。
刑事裁判(初公判/第一審/最終弁論)[編集]
刑事裁判は、いったん“容疑者”として挙がった人物に対する検討が進み、起訴へ至ったことで始まった。しかし、逮捕されたと報じられた初期報道に反して、起訴後に証拠の整合性が崩れ、第一審は慎重な判断となったとされる[12]。
初公判は(63年)に行われ、検察側は「通報の秒間隔が一致する」として証拠開示を求め、被告人の通話端末の解析結果を中心に組み立てた[12]。一方で弁護側は、音声解析が当時の装置に依存しており、交換機の補正が混ざった可能性を主張した[13]。
第一審の判決では、殺人の成立に必要な直接証拠が不足しているとして、被告人は殺人未遂の範囲に限って有罪とされたと報じられた[14]。ただし、控訴後の最終弁論(、元年へ跨いだ時期)は、供述のブレが決定的とされ、懲役刑の適用が争われた[14]。最終的に最高裁相当の手続段階で、証拠の信用性が理由となり審理が打ち切られ、結果として「未解決」に近い形で再捜査となった、という経緯がある[15]。
なお、判決文には「死刑」「公判」「証拠」「供述」という語が並ぶが、いずれも“確定”というより“評価”を示す語彙として用いられており、当時の審理の揺れが読み取れるとされる[15]。
影響/事件後[編集]
事件後、では夜間の通報手順が見直され、通報者の発話を録音する制度が前倒しで導入された。特に「通報者が意味不明な句を反復した場合、場所確認を二段階で実施する」という運用が、のちに他県へも波及したとされる[16]。
社会的には、学校や商店会で「犯人の合言葉を真似しないでください」という注意がポスターとして掲示された。ところが、若年層の間で「いうよか」という語が“ちょっとした合図”として二次利用され、結果として通報の虚偽がさらに増えたという指摘がある[16]。また、捜査本部が推定した「同一作業工程」のモデルが、模倣する者を誘発したのではないか、という批判的評価も生まれた[17]。
時効に関しては、当初「殺人」に分類されれば時効は非常に難しいと説明されていたが、手続上は“殺人未遂の評価を中心に再整理”したため、捜査期限の運用が混乱したとされる[18]。この混乱は行政文書の差し替えとして残り、のちに情報公開請求の対象にもなった[18]。
評価[編集]
評価は大きく二つに割れた。一方では、通報連鎖と現場間の遺留品の一致を重視し、「組織的模倣犯の可能性」が強かったとする見方がある[19]。もう一方では、供述の共通語が“報道の影響を受けた可能性”を重く見て、犯行者像の推定が過剰だったとする指摘もなされた[19]。
また、「無差別殺傷」という分類自体が当時の報道表現に引っ張られた、とする専門家の見解がある。実際には、標的とされたのが特定の通路に集中していた可能性があり、被害者の年齢分布(18〜41歳に集中)が“完全な無差別”を弱める根拠とされる[20]。ただし、検証には当時の現場データが不足しているとされ、要出典に相当する部分も残ったと記録される[20]。
結局、いうよか事件は「犯人は」という断定が続く一方で、捜査が結論へ至り切らない“記憶型犯罪”として語られるようになった。犯人の意図が合言葉の反復にあったのなら、それを消費してしまう社会の側にも責任があるのではないか、という議論が長く尾を引いたとされる[21]。
関連事件/類似事件[編集]
関連事件として、通報を起点に被害が連鎖するタイプの事件が複数挙げられる。たとえば、で発生した「はしら通報事件」(1992年)では、架電者が“方言の韻”を揃えていたことが報道され、捜査員が同系統の音声解析を試みた[22]。
また、の「灯台まちがい事件」(1986年)は、誤通報が偶然の被害を拡大させたとして扱われ、いるよか・いうよか類似の語感が目撃談に混ざったという伝聞がある[23]。ただし、これらは同一犯によるものと確定したわけではなく、捜査の“学習効果”が似た語彙を生んだ可能性が指摘されている[23]。
さらに全国的には、夜間の誘導を目的に、未確認の“合図”を置く模倣犯罪が問題化し、のちの通報録音制度の整備へ繋がったと整理される場合が多い[16]。
関連作品(書籍/映画/テレビ番組)[編集]
本事件を下敷きにした作品として、ノンフィクション風の書籍『波紋する通報:いうよか事件の夜』が出版されたとされる[24]。同書は、電話音の周波数解析を章の中心に据え、目撃者の供述を“韻のズレ”として図解した点が特徴とされる。
映画では『二段階確認の夜』(1991年)が知られており、創作上の犯人は“通報の間を支配することで恐怖を増幅させる”人物像として描かれた[25]。テレビ番組の特集としては『捜査の余白:未解決の発話』(TBS系列、1994年)が放送されたとされ、スタジオで「いうよか」の音声波形を再現した演出が話題になった[26]。
一方で、作品が事件の語を流通させた結果、模倣の通報が増えたとして批判の対象にもなった。これにより、制作者側がエンディングで“合図の再現を避ける”注意を付すようになったという伝承がある[27]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 熊本県警察本部『宇城市連続刃傷・偽通報事件捜査報告書(暫定版)』警察庁資料室, 1988年.
- ^ 矢野輝彦『通報連鎖と現場評価—「いうよか」語の検討—』日本刑事技術学会, 1989年.
- ^ 古賀玲子『地域安全運用の変化:夜間通報の二段階確認』自治体防犯研究会, 1990年.
- ^ 佐藤和巳『供述の整合性と方言誤聴—判読困難事例の統計—』刑事訴訟評論, 第12巻第3号, 1991年, pp. 41-63.
- ^ 本田清隆『遺留品の繊維密度—布製サック仮説の検証—』法科学ジャーナル, Vol. 7, No. 1, 1992年, pp. 12-25.
- ^ 田中明人『目撃情報の揺らぎ—歩幅一定型の観察記録—』現場鑑識研究, 第5巻第2号, 1993年, pp. 88-104.
- ^ 西村慎吾『周波数域の均質性と回線推定』通信犯罪研究, Vol. 3, 1994年, pp. 201-219.
- ^ Lena Hartmann『Telephone Evidence and the “Rhythm Gap”』Journal of Forensic Communications, Vol. 9, Issue 2, 1995, pp. 77-95.
- ^ 岡田徹『刑事裁判における証拠信用性の評価—未決着要因の分析—』別冊・刑事審理, 第21号, 1996年, pp. 5-28.
- ^ 田辺隆夫『時効運用の混乱と手続再整理』法制度研究, 第33巻第4号, 1997年, pp. 301-332.
外部リンク
- 宇城市警察アーカイブ(音声解析資料)
- 防犯運用ガイドライン・データベース
- 法科学繊維密度カタログ
- 未解決事件デジタル展示室
- 地域安全ポスター文庫