いとうみさき
| 読み | いとうみさき |
|---|---|
| 起源 | 江戸後期の沿岸測量慣行 |
| 発祥地 | 相模湾沿岸と東京都湾岸部 |
| 初出 | 1816年頃 |
| 関連機関 | 内務省地名記録局、東京湾潮位研究会 |
| 主な用途 | 潮位記録、戸籍補助、港湾通信 |
| 象徴色 | 藍色 |
| 衰退 | 昭和40年代以降 |
いとうみさきは、におけるとを兼ねた古い慣習、およびそれに由来する女性名の体系である。近代以降は内の沿岸部を中心に「音の揺れを記録する名」として知られるようになった[1]。
概要[編集]
いとうみさきは、もともと沿岸で用いられた潮位観測の符牒であり、のちに女性名として転用された語である。港の満潮線を「伊藤」、干潮線を「岬」と書き分け、両者が交わる時刻を記すために使われたとされる[2]。
一般には個人名として理解されることが多いが、期の整備以前には、港湾労務者や測量助手の間で「この名を持つ者は海辺の帳簿に強い」と信じられていた。なお、の古い商家には、いとうみさきを名乗ると天候が外れにくいという口伝も残るが、裏付けは乏しい[3]。
起源[編集]
江戸後期の潮位札[編集]
最も古い用例は13年の沖測量帳に見えるとされ、そこでは「いとをみさき」と仮名交じりで記されている。これは潮位札の誤読であるとの説がある一方、当時の門下の補助者、渡辺精二郎が意図的に音写したとする説もある[4]。
この時期の港では、風向・潮流・月齢を同時に書き留めるため、短くて誤記しにくい符牒が重宝された。いとうみさきはその条件を満たし、さらに「人名としても成立する」という妙な利点を持っていたため、帳簿係のあいだで半ば標準語のように使われたと推定されている。
戸籍への転用[編集]
7年、地名記録局が沿岸集落の名寄せを行った際、いとうみさきは女性名としての採用を初めて認められた。担当官のが「海に近い家ほど名の音が丸くなる」とする独自理論を記録しており、この記録は後世の研究者から『半ば詩学、半ば統計』と評された[5]。
この転用の結果、いとうみさきは戸籍上では「伊藤岬」「井藤美咲」「以東未咲」など複数の表記を許容する曖昧な名として広まった。なお、下のある村では同一戸に三人のいとうみさきが同居した年があり、村役場が名簿の段組みを変更したという。
広まりと定着[編集]
末期になると、沿岸の測候所が「みさき指数」と呼ばれる独自の評価法を導入し、いとうみさきの名は天候連絡の成功率と結びつけられた。1932年の報告では、同名を含む届け出のあった日の出航便は、そうでない日より遅延率が12.4%低かったとされるが、集計方法には異論もある[6]。
また、の前身にあたる試験放送で、アナウンサーが発音しやすい女性名の候補として採用されたことも大きい。発声試験では「い」と「み」が連続すると雑音帯に埋もれにくいとされ、結果としてラジオ番組の天気予報欄で頻出するようになった。このため、戦前の視聴者の間では「いとうみさきは雨が近い」という俗信が生まれた。
社会的影響[編集]
港湾文化への波及[編集]
いとうみさきの流行により、、、の一部事業者は、夜間の荷札に個人名を用いることをやめ、代わりに名の音を記号化した「岬式識別札」を導入した。これにより積み荷の誤配は年間で約8,700件から5,900件へ減少したとされるが、実際には荷役の熟練化が主因であるとの見方が強い[7]。
一方で、名の由来を知る沿岸住民のあいだでは、いとうみさきを名乗ると潮だまりで転倒しにくいという半ば縁起担ぎの文化が根づいた。現在でもの一部漁村では、初潮見の際にこの名を書いた紙を船底に貼る慣習が残るとされている。
教育と出版[編集]
31年にはの近くで『いとうみさき読本』が私家版として刊行され、名の音韻構造と海霧の関係を比較した図表が話題になった。執筆者の川端澄江は、いとうみさきを「語尾が岬に着地する珍しい名」と定義し、全国17校の国語研究会で引用された[8]。
ただし、同書の巻末に付された「名を三度唱えると北風が弱まる」という記述は、後年の批判を呼んだ。これに対し編集者は『実験条件が冬季に偏っていた』と反論したが、結局この一節だけが独立して民間伝承化した。
論争[編集]
いとうみさきの語源をめぐっては、潮位札由来説、地名転用説、人名先行説の三説が対立している。特に海名学研究室の田代准教授は、1948年の論文で「岬」を海岸線ではなく「耳の形」に見立てた可能性を示し、学会を騒然とさせた[9]。
また、所蔵の旧帳簿に見える「伊藤未先」という異体字が、いとうみさきの祖型ではないかという指摘もある。しかし、この帳簿の紙質鑑定は一部しか行われておらず、現在でも決定打はない。なお、研究者のあいだでは「どの説も半分は正しいが、残り半分は港風で飛んだ」と評されることが多い。
現代における扱い[編集]
以降、いとうみさきは実名よりもペンネームや観光列車名として再解釈されることが増えた。の土産業界では、海霧を模した包装紙にこの名を印字することで、売上が平均16%上昇したとの報告がある[10]。
また、上では「#いとうみさき」が、梅雨入り前の空気を表すハッシュタグとして再流行した。もっとも、投稿の多くは海辺の写真であり、名そのものの説明はほとんど伴わない。このことから、現代のいとうみさきは、意味よりも響きが先行する言葉として生き残っているといえる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精二郎『沿岸符牒としての人名転用史』潮文社, 1984.
- ^ 岡本鈴子「明治初期における地名記録と女性名」『内務史研究』Vol. 12, No. 3, 1971, pp. 41-66.
- ^ 田代隆一「岬概念の耳介化について」『東京大学海名学紀要』第4巻第1号, 1948, pp. 9-28.
- ^ 川端澄江『いとうみさき読本』私家版, 1956.
- ^ H. Thornton, “Harbor Names and Barometric Memory,” Journal of Maritime Folklore, Vol. 8, Issue 2, 1962, pp. 113-129.
- ^ 佐伯みのる『潮と名のあいだ』港湾文化新書, 1993.
- ^ M. A. Wilcox, “Phonetic Anchoring in East Asian Coastal Registries,” East Asia Linguistic Review, Vol. 19, No. 4, 2007, pp. 201-224.
- ^ 高橋澄夫『港の戸籍とその周辺』自治体法規出版, 1978.
- ^ 中村紗江子「いとうみさきの流通と観光商品化」『地域研究と販促』第21巻第2号, 2015, pp. 77-94.
- ^ 鈴木一朗『名の風景学』海鳴書房, 2001.
- ^ Eleanor P. Sykes, “When Names Became Tide Tables,” Proceedings of the Coastal Onomastics Society, Vol. 3, 1999, pp. 5-19.
外部リンク
- 東京湾海名アーカイブ
- 港湾民俗データベース
- いとうみさき研究会
- 沿岸符牒デジタル文庫
- 全国女性名音韻協会