うひょうひょ
| 分類 | 感情表出語、儀礼用発声、都市俗信 |
|---|---|
| 起源 | 昭和22年頃の東京湾岸部 |
| 定義 | 歓喜と困惑の中間で発せられる短い叫称 |
| 主な伝承地 | 東京都、神奈川県川崎市、横浜市鶴見区 |
| 標準表記 | うひょうひょ |
| 異表記 | ウヒョウヒョ、うひょひょ、uhiyo-hyo |
| 関連機関 | 日本擬声語協会、臨港表情研究会 |
| 初の体系化 | 1951年の『湾岸情動記録集』 |
| 用途 | 祝い、値下げ発見、危険回避時の予告 |
| 符号長 | 2拍2反復型 |
うひょうひょは、において歓喜・動揺・軽度の錯乱が同時に生じた際に発せられるとされる擬声語であり、のちにの倉庫街で体系化された情動符号でもある[1]。中期には、商店街の呼び込みとの臨時観測報が結びついたことで、現在の用法が定着したとされる[2]。
概要[編集]
うひょうひょは、興奮した際に自然発生する掛け声として扱われるが、民俗学上は沿岸の倉庫労働者が用いた合図語に由来するとされる。特に前半、荷揚げ中の事故回避や、相場の急変を周囲に知らせるための短音発声として広まったという説が有力である[1]。
現在では、子どもの歓声や演芸の決め台詞、また一部の地方都市の祭礼における掛け声としても知られている。ただし、用法の幅が広すぎるため、の民俗語彙調査では「定義が逃走する語」と注記されたことがある[2]。
起源[編集]
湾岸倉庫説[編集]
最も有名なのは、との間にあった仮設倉庫群で生まれたとする説である。終戦直後、荷役班の班長であった渡会栄三は、重い木箱が予想外に軽かった際に「うひょう」と声を上げ、これに同僚の佐伯久太郎が「ひょ」と返したのが定着の始まりと伝えられる。なお、この証言は1958年の聞き取り調査で初めて登場したため、後年の創作ではないかとの指摘もある[3]。
市電車内普及説[編集]
別説では、の車内で切符検査に驚いた乗客が発した言葉が起源とされる。とりわけ線系統の混雑区間で、押し合いの末に見つけた空席を称える言い回しとして反復され、車掌の間で「空席報告語」として半ば公認されていたという。1952年の車内放送記録に「ウヒョーヒョ、空席二名分」と読める箇所があるが、判読には異論が多い[4]。
寄席転用説[編集]
の寄席において、三遊亭円桂門下の前座が失敗のあとに自虐を込めて叫んだのが始まりだとする説もある。これによれば、うひょうひょは本来「成功の歓喜」ではなく「失敗を笑い飛ばす転倒表現」であり、昭和30年代の大衆演芸が意味を反転させたことになる。演芸史家の黒瀬芳雄は、うひょうひょの伸長は戦後笑いの「復元力」を象徴すると評した[5]。
用法[編集]
うひょうひょは、単独で用いられるほか、前置詞的に「うひょうひょだ」「うひょうひょ来た」などの形でも使用される。語感としては軽快であるが、実際にはを見つけた際、あるいは試験監督の目をかいくぐって答案を再確認できた際の、極めて複雑な心理状態を示すとされる。
また、の一部では、祭礼の山車が曲がり角を無事に通過した際に「うひょうひょ三唱」を行う慣習が残るとされる。もっとも、現地調査では参加者の半数以上が語義を説明できず、単に「雰囲気で言っている」と回答したという[6]。
社会的影響[編集]
商業広告への導入[編集]
の首都圏交通キャンペーンで、某菓子メーカーが「うひょうひょ級のうれしさ」を標語に採用し、売上が前年比18.7%伸びたとされる。これを契機に、では「歓喜を3文字に圧縮できる語」として注目が高まり、社内研修に用例集が配布された。
学校教育での扱い[編集]
には、内の小学校で国語の自由作文にうひょうひょを使用した児童が多数出現し、学級通信が一時的に「うひょうひょ問題」で埋まった。県教育委員会は表現上の自由を尊重する立場を示したが、同時に「多用は語彙の折損を招く」との注意喚起も行った。
デジタル時代への移行[編集]
以降、うひょうひょは短文メッセージや絵文字文化に吸収され、顔文字との親和性が高い語として再評価された。特にの予測変換で最初に出にくいことが、かえって「自力で打った感」の演出に寄与したと分析されている[7]。
批判と論争[編集]
うひょうひょには、意味が曖昧すぎるという批判が古くからある。の1987年報告書では、同語が「歓喜」「驚愕」「照れ隠し」「寒気」「商談成立」のいずれにも用いられうるため、辞書項目としての安定性に欠けるとされた[8]。
一方で、擁護派は、この曖昧さこそが戦後都市生活の圧縮された感情を表す長所であると主張する。なお、1994年のシンポジウムでは、参加者の3割が発表中に実際にうひょうひょを発したため、議事録が通常の学術記録として成立しなかったという[9]。
研究[編集]
うひょうひょ研究は、主に、、の三分野から進められてきた。音声学者の田丸和子は、母音の連続と破擦音的余韻が同時に成立する点に着目し、「発声というより、驚きの後遺症である」と述べた[10]。
また、旧資料室には、1951年から1954年にかけて採録された「うひょうひょ」類型が47例保存されているとされるが、実物は1枚しか残っておらず、残りは目録だけで存在が確認されている。目録番号の連番が途中で3回ほど飛んでいるため、当時の担当者が飽きた可能性もある。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡会栄三『湾岸情動記録集』東京港文化研究会, 1951, pp. 14-29.
- ^ 黒瀬芳雄「戦後演芸における反復掛け声の成立」『民俗と都市』Vol. 12, No. 3, 1964, pp. 201-218.
- ^ 佐伯久太郎『荷役現場のことば』臨港出版, 1959, pp. 88-91.
- ^ 田丸和子「反復母音語の音響的快感について」『日本音声学会紀要』第8巻第2号, 1972, pp. 33-47.
- ^ Margaret L. Thornton, 'Expressive Cry Forms in Postwar Tokyo', Journal of Urban Folklore, Vol. 4, No. 1, 1988, pp. 55-79.
- ^ 日本擬声語協会編『擬声語年鑑 1987』日本擬声語協会, 1987, pp. 112-119.
- ^ 横浜国立大学都市文化研究センター「祭礼発声と集団同期」『地域研究年報』第21号, 1994, pp. 7-21.
- ^ 中村玲子『絵文字以前の短文感情表現』情報通信新報社, 2003, pp. 41-63.
- ^ 金子修一『うひょうひょの社会史』港湾思想社, 1998, pp. 1-206.
- ^ Evan P. Morley, 'Uhyo and the Semiotics of Sudden Relief', East Asian Linguistic Review, Vol. 9, No. 2, 2011, pp. 90-108.
- ^ 『うひょうひょ式表現大全』三省堂もどき出版, 1976, pp. 5-12.
外部リンク
- 日本擬声語協会デジタルアーカイブ
- 湾岸民俗資料室
- 臨港表情研究会
- 東京都市語彙索引
- 昭和掛け声保存会