うんうんち
| 名称 | うんうんち |
|---|---|
| 読み | うんうんち |
| 初出 | 11世紀末頃(伝承) |
| 起源地 | 京都・鴨川左岸 |
| 主な用途 | 遊戯、厄除け、宴席の余興 |
| 分類 | 儀礼食・民俗玩具・小型発酵標本 |
| 盛期 | 寛政期〜明治初期 |
| 保護状況 | 一部地域で保存会管理 |
| 代表的資料 | 『鴨川微細譜』 |
| 別称 | 二礼塊、うんうん玉 |
うんうんちは、後期にの浄化技術と児童遊戯が結びついて成立したとされる、微細な発酵塊の一種である。のちにの町人文化の中で儀礼化され、特に「二度うなずくと形が整う」とする作法で知られる[1]。
概要[編集]
うんうんちとは、直径3〜7ミリ程度の不定形な粒状物を、専用の竹籠と低温の灰床で整形・熟成させたとされる民俗的な小型発酵物である。表面に生じる白い粉層が「うなずき筋」と呼ばれ、これが二重に現れたものを最上とする点が特徴である[2]。
一般には食用ではなく、祭礼や交渉の場で相手の同意を得る前儀として用いられたとされる。なお、の民俗資料整理票には「玩具的飲食文化」として仮登録された記録があるが、担当者が「分類不能」と追記しているため、現在も扱いは不安定である[3]。
歴史[編集]
起源伝承[編集]
起源については、年間に鴨川の氾濫で流れ着いた黒豆状の粒を、の修験者が乾かして食したのが始まりとする説が有力である。もっとも、同時代の文献には「うんうんち」の語は見えず、最古の記述はの家集の裏書に現れる「うん、うん、と押し固むる小塊」の一節であるとされる[4]。
この語が定着した背景には、当時の京ことばにおける「うんうん」という肯定の反復と、形状の丸みを示す「ち(地・塊)」が結合したと考えられている。ただし一部研究者は、実際には下級廷臣のあだ名が転化しただけだと指摘している。
町人文化への普及[編集]
期になると、の船場商人のあいだで、商談成立の際にうんうんちを一粒食べる慣習が広まった。これは「値切りを二度までに抑える」象徴行為であり、交渉が長引くと粒が皿の上で乾燥して割れることから、相場の変動を読む道具にもなったという。
年間の記録では、の浅草寺門前で露店が68軒に増え、当時の奉行所が「菓子とも薬ともつかぬもの」として一斉に調査したことが知られている。調査報告書には、試食した同心3名がそろって「うなずき過多」の診断を受けたとあり、やや信憑性に欠けるが有名である[5]。
近代化と衰退[編集]
以降は、の学校給食制度に似た栄養標準化の流れの中で、うんうんちは「非効率な口中儀礼」として一度は排除された。しかし末期、民俗学者のが旧区の下宿で採集した試料を分析し、発酵温度が18.4度前後で安定すると再評価された[6]。
戦後は工場化の試みもあったが、の某製菓会社による大量生産は、粒がすべて同じ向きに傾くという重大事故を起こした。この事故以降、手作業でしか真価が出ないという信仰が強まり、むしろ保存運動を促進したとされる。
製法[編集]
伝統的な製法では、前夜に蒸した米粉と微量の塩漬け豆を、竹製の回転器「うなずき車」に入れて12回だけ回す。回数が11回以下だと軽すぎ、13回以上だと自我が出るとされ、職人は時計を見ずに息で数えるのが通例である[7]。
整形後は、の地下水に似た硬度の井戸水を霧状に吹きかけ、灰床で一晩休ませる。翌朝、粒の表面に左右対称の筋が出れば合格で、筋が三本以上になると「会議用」とされ、特に周辺の土産として珍重された。
なお、保存には杉葉ではなく「沈黙紙」と呼ばれる薄紙で包むのが正式であり、包み忘れると翌日までに粒が勝手に増殖したという記録がある。これはしばしば誇張として退けられるが、の古い商家では実際に棚から7粒が9粒に増えたと伝えられている。
社会的影響[編集]
礼法と会話文化[編集]
うんうんちは、相槌の反復を物理化したものとして、中期の礼法書に「会話を丸くする道具」と記された。特に講談や茶席では、これを口にしてから返答することで、反対意見をやわらげる効果があると信じられていた。
の古い校友会誌には、ある学生が討論会でうんうんちを3粒連続で食べ、演説時間を19分短縮した逸話が載る。もっとも、同号の欄外には「編集部未確認」とあり、当時から眉唾視されていた。
地域経済への波及[編集]
の港町では、うんうんちの包装に使う和紙が副産業として成立し、年間約2,800束が流通したとされる。特にでは、洋菓子文化との折衷として「うんうんち・オペラ」という三層菓子が1920年代に一度だけ流行した。
この流行は長続きしなかったが、土産物店の棚に置くと売場全体の回転率がわずかに上がるという調査結果がの内部文書に残っている。もっとも、文書の末尾には「試験担当者が腹持ちを勘違いした可能性あり」と書かれている。
論争[編集]
うんうんちをめぐる最大の論争は、それが食文化なのか、呪物なのか、あるいは会話補助具なのかという点にある。とくに40年代以降、とのあいだで所管をめぐる応酬が続き、結局「限定的に両方」という曖昧な結論に落ち着いた。
また、2013年にはの保存会が「うんうんちの色彩には三系統しかない」と発表したが、翌週には会員の一人が第四系統として「雨上がり色」を提案し、会合が5時間半に及んだ。この件は学術的には些細であるが、保存会史では象徴的な事件として扱われている[8]。
一方で、若年層のあいだでは名称の語感から敬遠する向きもあり、学校祭での復活企画が毎年1校ほど流産している。これに対し、保存団体は「むしろ名が先に立つことで記憶に残る」と反論している。
現代の状況[編集]
現在、うんうんちは主にの湖岸地域との旧宿場町で細々と製造されている。年間生産量は推計で1万2千粒前後とされ、うち約6割が研究機関向け、2割が祭礼用、残りが「試食で迷子になった分」である[9]。
では2018年に特別展示「丸い肯定の文化」を開催し、来場者のうち17%が「見た目はかわいいが用途が想像できない」と回答した。展示図録には、来館者が粒を見て無意識にうなずく様子が複数回記録されており、展示効果としては異例の高評価であった。
なお、近年はを用いて最適な回転回数を算出する試みもあるが、職人のあいだでは「うなずきに機械学習は早い」との反発が根強い。2022年には試作機が12回転目で自動停止せず、試料が全部「わかりました」と沈黙したという。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 折口信三郎『京洛小粒考』民俗書房, 1931.
- ^ 田宮澄子『うなずきと粒子文化』岩波小冊子, 1964.
- ^ 京都府立歴史資料館編『鴨川微細譜』第2巻第4号, 1987, pp. 112-139.
- ^ Margaret A. Thornton, "Micro-fermented Tokens in Early Urban Japan," Journal of Comparative Folklore, Vol. 18, No. 3, 2004, pp. 201-228.
- ^ 佐伯隆一『町人の口中儀礼』東京民俗出版, 1978.
- ^ Hiroshi Endo, "The Nodding Grain and Its Social Function," Asian Ritual Studies, Vol. 7, No. 1, 1992, pp. 45-61.
- ^ 京都市保存会『うんうんち保存運動年報』第14号, 2014, pp. 5-19.
- ^ 宮部夏子『食品でも玩具でもないものの衛生史』日本衛生史学会誌, 第9巻第2号, 2008, pp. 77-96.
- ^ A. P. Bennett, "On the Three Colors of Ununchi," Proceedings of the Society for Invented Heritage, Vol. 4, No. 2, 2015, pp. 14-29.
- ^ 折口信三郎『うんうんちとその周辺―沈黙する発酵圏―』新潮社, 1959.
外部リンク
- 京都民俗アーカイブ
- 鴨川文化保存ネット
- うんうんち研究会
- 国際発酵民具協会
- 微細塊データベース