うんちゃんねん
| 名称 | うんちゃんねん |
|---|---|
| 読み | うんちゃんねん |
| 英語 | Unchannen |
| 成立 | 1928年頃とされる |
| 起源地 | 大阪市港区・神戸市兵庫区周辺 |
| 用途 | 荷役記録、待機時間の換算、到着遅延の説明 |
| 運用機関 | 関西輸送文化協議会 |
| 廃絶 | 1974年の標準時改正後 |
うんちゃんねんは、初期の関西圏において、長距離移動中の荷解きと時間感覚のずれを記録するために用いられた民間の暦法である。後にの外郭団体に取り込まれ、からにかけての物流現場で広く知られるようになったとされる[1]。
概要[編集]
うんちゃんねんは、荷物の到着時刻を通常のではなく、積み替え・休憩・積み忘れを含む独自の単位で数える民間慣習である。とくにの波止場地区や周辺では、伝票上の時間と実際の労働感覚が合わないことから、現場の書き手によって半ば制度化されたとされる。
名称は「運ちゃん年」と書かれることもあるが、当時の記録ではむしろ「うんちゃんねん」とひらがなで書かれる場合が多かった。これは3年から8年にかけての帳票改訂で、漢字表記が「運搬年」や「運賃年」と混同されたためである、という説が有力である[2]。
起源[編集]
波止場の手帳から生まれた説[編集]
最も広く知られている説では、うんちゃんねんは、の荷役事務所で勤務していた渡辺精一郎という記録係が、遅延の言い訳を体系化するために考案したとされる。渡辺は「午前八時に着いたが、午前八時のまま一時間半動かない荷がある」ことに注目し、実時間ではなく“現場時間”で年次を数えるべきだと主張したという。
この考え方は、倉庫ごとに異なる待機習慣を吸収するうえで便利であったため、の非公式文書にも一時的に採用された。もっとも、採用といっても議事録の余白に朱書きで書かれた程度であり、制度としてはかなり頼りないものであった[3]。
鉄道の遅延記録との関係[編集]
一方で、うんちゃんねんはの遅延統計から派生したとする説もある。関西本線の貨物列車がで平均して17分、ひどい日には42分停車したことから、駅務員のあいだで「1うんちゃんねん=待たされた感覚1年分」とする換算が生まれたというのである。
この説を裏づけるものとして、の『貨物待機記録補遺』には、到着予定を「同年、ただし体感上は翌年」とする奇妙な注記が残されている。なお、この注記の筆跡が3人分混在していることから、後年の研究者の間では、そもそも一人の記録ではなかった可能性も指摘されている[4]。
制度化と普及[編集]
関西輸送文化協議会の介入[編集]
、の港湾業者8社と、実在が確認されない1団体からなるが発足し、うんちゃんねんを「荷役現場の共通単位」として整備したとされる。協議会は年1回の研修会をの旅館で開き、受講者に木製の小さな年輪札を配布したという。
この年輪札は、遅延が1日を超えると赤く塗りつぶす方式で、最長で27年分まで記録できた。記録上はの寒波の際に、の倉庫で「うんちゃんねん24年」が発生したことになっているが、倉庫の床面積が42平方メートルしかないため、そもそもそんな長期保管は不可能であるとの指摘もある。
学校教育への一時導入[編集]
には、の一部夜間学校で、社会科の補助教材としてうんちゃんねんが使われた。生徒は時刻表を見ながら、貨物の気分になって遅延年数を計算する課題を課され、平均点は73点であったという。
これに対し、教育委員会は「交通理解の促進に寄与する」と評価したが、翌年度には「生徒が全員、授業の終わりを別の年として数え始めた」ため、実質的に中止された。なお、この件をめぐる通知文には、の正式印鑑に似た魚の形の判が押されていたとの証言がある。
用法[編集]
うんちゃんねんの基本用法は、ある荷物や出来事が「現実の時間ではなく、待機や迂回を含めて何年ぶん遅れたか」を表すことである。たとえば、1941年に仕込まれたとされる漬物樽が1943年に開封されても、樽の中身が「まだうんちゃんねん1.5年分しか進んでいない」と表現された。
また、現場では「今年の荷は去年のうんちゃんねんに入っている」などの用例があり、会話上は便利であったとされる。ただし、数え方に厳密な共通規格はなく、同じ荷物でも帳面によって0.8年になったり2.4年になったりしたため、後世の研究者を大いに悩ませている。
特筆すべきは、うんちゃんねんが単なる遅延年数ではなく、荷物を運んだ者の疲労まで含む「体感的会計」の単位だった点である。これは今日のにおける“非金銭的コスト”の先駆けであると強弁する研究もあるが、裏づけは薄い。
社会的影響[編集]
物流現場の慣用句[編集]
関西の港湾・倉庫業界では、うんちゃんねんの導入により、遅延説明が著しく平和化したといわれる。以前は「まだ届かへんのか」という叱責が多かったのに対し、導入後は「まあ、うんちゃんねんで言うたらまだ半分や」と宥める言い方に変化したという。
この言い回しはに流行したとされ、南部の青果市場では、値札の横に「今季うんちゃんねん0.7」と書く習慣まで生まれた。もっとも、八百屋が年単位で気分を測るのは無理があるため、実際には商談の早口化を助ける比喩表現にすぎなかったとも考えられている。
大衆文化への波及[編集]
公開の港湾映画『雨の埠頭で年を数える』では、主演の三宅銀次郎が「これが俺の、うんちゃんねんや」と叫ぶ場面が話題となり、流行語として若年層に広まった。作品内では、荷物を待つ間に人生が3つ分終わるという誇張表現が用いられ、観客の間で「人生の第2倉庫」という表現も派生した。
また、ラジオ第二の深夜番組では、リスナーからの投稿をうんちゃんねん換算で採点する企画が実施され、最多投稿者は「待機年数合計98.6年」と記録された。だが、この数値は葉書の到着遅延をそのまま加算したものであり、統計としてはかなり乱暴である。
批判と論争[編集]
うんちゃんねんは、もともと現場の自発的な比喩にすぎなかったにもかかわらず、協議会が半ば公認したことで「遅延の常態化を正当化した」と批判された。とくにの港湾労働組合の声明では、うんちゃんねんは「待たされる側の疲労を美化する装置」であると厳しく非難されている。
また、学術面でも、の小林照夫は、うんちゃんねんの記録が過去の実時間を正確に反映していないことを理由に、「歴史資料というより、現場の愚痴の年表である」と評した。これに対して擁護派は、「愚痴こそ生活史の一次資料である」と反論したが、議論はほぼ平行線のまま終わった。
さらに、の標準時改正で廃止された後も、一部の元港湾職員は家計簿にうんちゃんねんを使い続けたため、税務署とのあいだで小規模な混乱が起きた。なお、がこの件を正式に調査したという記録は見つかっていないが、なぜか調査票だけは3枚現存している。
現在の扱い[編集]
現在、うんちゃんねんはやの周縁領域で引用されることがあるほか、の企画展「待つことの近代」でも一度だけ紹介された。展示では年輪札の複製と、実際に7分だけ遅れた荷車の音が再現され、来場者の一部は「よくわからないが妙に納得した」と感想を残したという。
一方で、インターネット上では「うんちゃんねん=関西版の換算ジョーク」という誤解も広がっている。もっとも、そもそも資料自体が少なく、最古のまとまった記録がに個人宅の押し入れから出てきた帳面であるため、今後も定義をめぐる混乱は続くとみられる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『うんちゃんねん帳の研究』関西物流文化出版、1936年、pp. 11-84.
- ^ 小林照夫「港湾現場における時間感覚の変質」『交通史研究』Vol. 12, No. 3, 1961年, pp. 201-219.
- ^ 関西輸送文化協議会編『年輪札取扱要綱』私家版、1934年.
- ^ 三宅銀次郎『雨の埠頭で年を数える』港映社、1962年.
- ^ Margaret A. Thornton,
- ^ "Temporal Drift in Dockside Ledgers: A Comparative Note," Journal of Maritime Folklore, Vol. 7, No. 2, 1972, pp. 45-63.
- ^ 兵庫県立歴史博物館編『待つことの近代:港湾と生活の再編集』展示図録、2008年.
- ^ 関西学院大学社会学部民俗班『うんちゃんねん口語資料集』第2巻第1号、1979年、pp. 3-58.
- ^ 大阪市港湾資料室「昭和初期の遅延表現に関する覚書」『市史だより』第41号、1994年、pp. 17-26.
- ^ J. R. Feldman, "Cargo Years and Human Patience," East Asian Working Papers in Social Time, Vol. 4, 1988, pp. 90-112.
外部リンク
- 関西民間暦アーカイブ
- 港湾方言データベース
- 兵庫近代生活史研究会
- うんちゃんねん口承資料プロジェクト
- 待機経済フォーラム