おしりオシリス
| 成立期 | 紀元前12世紀〜紀元前10世紀 |
|---|---|
| 成立地域 | (下エジプトの行政都市圏) |
| 性格 | 侮辱語/民衆風刺/神話の誤用 |
| 主な担い手 | 神官書記、治安官、説教師、旅芸人 |
| 象徴要素 | の名称を、身体部位の連想でずらす手法 |
| 伝播の経路 | 寺院の写本管理→市場の口承→街頭の木版 |
| 関連用語 | 臀部呪詛札、尻書記術、逆転神名 |
おしりオシリス(おしりおしりす)は、古代エジプトの宗教実務の場で用いられたとされる、きわめて侮辱的なあだ名である[1]。起源は神官の台帳運用に求められるとする説があり、のちに民衆の笑いと政治的宣伝が結びつくことで歴史的概念として拡散したとされる[2]。
概要[編集]
おしりオシリスは、古代エジプトで「正しい神名の連呼」ではなく「侮辱の比喩」として用いられたとされる語の系譜である[1]。特に、神殿の会計・供物記録に関わる書記が、怠慢や横領を示す目印として「オシリス」という神名をずらした表現を用いたことに端を発し、やがて寺院の外へ漏れたとする説がある[2]。
この呼称は、単なる悪口ではなく「正統な呪文の発音を壊す」ことで相手の地位を貶める儀礼的な機能を持ったと説明される場合がある。すなわち、おしりオシリスは、神話と行政文書の混線によって成立し、民衆の笑いを通じて増幅した侮辱語であると位置づけられている[3]。
なお、現存する写本断片は主に下書きのような形で見つかっており、「誰が最初に使ったか」を断定しにくい。もっとも、使用時の作法(声の高さ、笑いのタイミング、手振り)が描かれた図が同時に付随する例が見られるため、口承芸が制度化された可能性が指摘されている[4]。
背景[編集]
寺院会計と「神名の印」[編集]
おしりオシリスが成立したとする文脈には、神殿の写本管理がある。下エジプトの周辺では、供物の配分をめぐって、神官書記の机上で「神名の印」が運用されていたとする推定がある[5]。その印は、神名を完全に書かず、語頭・語尾の一部だけで識別する簡略法であり、記録の速度を上げる一方で、誤読の余地を残したとされる。
この簡略法が悪用されると、正しい呪文の詠唱者が意図せず侮辱の音を混ぜることがあったと説明される。一説には、紀元前112年ごろに行われた「帳簿標準化」改革で、神名の欠落が制度上許容され、結果として“間違えても処罰されない誤用”が流通し、侮辱語へ転化したとされる[6]。ただし、この年は写本の年代推定に基づくため、異説もある[7]。
市場の口承と拡声器(っぽい装置)[編集]
口承の拡散においては、寺院外の市場が重要視されている。では、説教師が朗誦に合わせて「反響する壺(壺状の音響器具)」を叩き、語の聞き間違いを笑いに変える手法があったとされる[8]。ここで、オシリスの称呼をわずかに崩した発声が、観衆の反応を得やすかったとされる。
さらに、旅芸人が「3音節で落とす韻」を好む傾向を持っていたことが、語形の固定化に寄与したとする見解もある[9]。たとえば「オ・シ・リス」を「お・し・りす」のように転置すると、次の観客の笑いの間(0.7拍)が揃うため、舞台上で再現しやすいと記されたという[10]。
歴史[編集]
成立(前12〜前10世紀)[編集]
成立期は、下エジプトの寺院行政が多忙化した時期に置かれることが多い。『供物帳簡便手引』として伝わる仮託書では、神名の省略記号が「失礼度の符丁」として併記された可能性があるとされる[11]。この符丁が、特定の会計係に対する皮肉として転用された結果、「おしりオシリス」という呼び方が“噂話の中で完成した”と推定される。
また、侮辱語はしばしば“避けられるべき神聖”の近くで生まれるが、おしりオシリスは逆に神聖の語を手がかりに発達した点で特徴的であると評価されている[12]。この時期の図版には、書記が指で尻の形を示す手振りと、オシリスの音を崩して唱える位置関係が細かく描かれたとされる[13]。
拡散(中世に相当する時期の大移動)[編集]
侮辱語が広域化した理由として、行政文書の運搬経路が挙げられる。川運河の中継拠点で、荷札に似せた落書きが許容される時期があり、そこに「おしりオシリス」が書かれたとする説がある[14]。この落書きは、単語をそのまま書くだけではなく、文字の間に“笑いの隙間”を作る記法だったとされる。
一方で、異説では、エジプト国外へは「神殿ではなく学術の写字工房」から持ち出されたとされることもある。たとえば系の写字工が、音の似た語を混ぜる遊びを好んだ結果、北地の市場で同型の侮辱が再構成された可能性が指摘される[15]。ただし、この再構成の年次は統一されておらず、複数の年代案が並立している[16]。
再解釈(近世〜近代の博物館文脈)[編集]
近世以降、おしりオシリスは直接的な侮辱語としてではなく、研究対象として再解釈されるようになった。17世紀後半、遺物収集が進む中で、発音が不敬とされないように表記を調整した学者が現れたとする記録がある[17]。その結果、語の“侮辱性”が薄められ、「オシリス誤写の例」として説明されることが増えた。
さらに、19世紀にはに集められた写本群の目録で、当該語が「尻部の図示を伴う擬似神名」として分類されたとされる[18]。この分類が、後世の解釈に強い影響を与え、語が持つ社会的機能(罰・監視・笑い)が二次資料で取りこぼされた、とする批判が後に出ることになる[19]。
影響[編集]
おしりオシリスは、直接的には侮辱語であるが、社会の側で別種の影響を持ったと考えられている。第一に、神殿の官僚機構に対する“安全な反抗”として機能した可能性がある[20]。完全な反乱を起こさずとも、神名をずらすことで、権威の言語運用を揺さぶることができたためである。
第二に、語の扱いは教育と結びついたとする見方がある。子どもが読み書きを学ぶ際、神名を正確に発音できたかを検査する遊びとして、意図的に間違った発声が与えられたという伝承が残る[21]。このとき、間違いの正解は「直すこと」ではなく「笑いを止めること」だったとする細かな記述があり、笑いが“規律への反応”として扱われた可能性が示唆されている[22]。
第三に、後世の文化においては、侮辱語が“記号化された攻撃”として理解される方向へ進んだ。たとえば近代の街頭印刷物では、臀部を直接描かずに、尻の形を想起させる抽象記号で侮辱が表されたとされる[23]。この抽象化は、おしりオシリスの「神名のずれ」という発想が、絵や文字の領域へ移植された結果だと説明される場合がある。
批判と論争[編集]
おしりオシリスの実体については、言語学的・史料学的な疑義が存在する。とりわけ、語が“本当に侮辱語として使われたのか”については、写字工が後から遊びで書き足した可能性があるとされる[24]。この反論は、写本の書き癖が他の本文部分と一致しない例を根拠にしている。
一方で、逆に「侮辱として確実」とする学者もいる。彼らは、語と同時に添えられる手振り図が“儀礼的”であり、単なる落書きではないと主張する[25]。ただし、その図の解釈も一定ではなく、同じ手形が別の合図(合図番号式)に見える可能性があるという指摘がある[26]。
また、近代の研究で「不敬の度合い」が数値化されすぎた点も問題視されている。ある評価表では、侮辱の強度が「失礼度17(最大20)」のように設定されたとされるが、作成者がどの観測手続きで算出したかが曖昧であり、「観客の笑い声の大きさ」を測ったという尤もらしいが要出典の説明が付くため、慎重に扱うべきだとされる[27]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ アハメド・アブドゥル=ハミード『神名省略記号の運用と誤読』エジプト史料研究会, 1994.
- ^ Claire M. Dallow『Insult as Administration: Scribes and Sacred Names in the Nile Courts』Cambridge University Press, 2001.
- ^ 渡辺精一郎『古写本の余白に潜む言語遊戯』東京大学出版部, 1902.
- ^ Nabil R. Qanṭara『反響市場と民衆朗誦の歴史(Vol. 2)』Académie d’Études Sonores, 1987.
- ^ サラ・レイチェルソン『Museum Cataloging and the Drift of Meaning』Brill, 2010.
- ^ ヨハン・ヴァイス『擬似神名の図示手法(第3巻第1号)』Journal of Mediterranean Philology, 1879.
- ^ エレナ・コスタリオ『尻部呪詛札の系譜:象徴の移動』パリ記号史研究所, 2006.
- ^ Hassan el-Khatib『The Laugh Interval: Rhythm and Public Discipline in Egypt』Oxford Historical Studies, 1998.
- ^ 伊藤章平『図版から読む古代の失礼度尺度(仮説篇)』国際文庫, 1963.
- ^ Percival H. Montrose『Appendices to Osiris Misreadings』The Antiquarian Review, 1933.
外部リンク
- ナイル言語遺物デジタルアーカイブ
- 市場朗誦の音響記法ギャラリー
- 神殿行政帳簿研究ポータル
- 写字工房の余白学ノート
- 博物館目録学ウィキ(学術版)