オシリスの嘆き
| 分類 | 儀礼詩・歌唱伝承(架空の伝承体系) |
|---|---|
| 成立とされる地域 | (主に周辺の水利都市圏) |
| 成立年代とされる幅 | 紀元前13世紀〜紀元後2世紀(複数の層) |
| 媒介 | パピルス断片、石灰岩板、聖歌集の書き写し |
| 中心モチーフ | 死者の名を「嘆きの行列」で呼び戻す作法 |
| 現代での主な参照先 | 博物館所蔵の「低湿度保管札」付き断片群 |
オシリスの嘆き(おしりすのなげき)は、古代エジプトに由来するとされる「喪」と「再生」を結び付けた儀礼詩の総称である。現代では特定の写本断片の通称として扱われることも多いが、その伝播経路には異説が多い[1]。
概要[編集]
は、死の気配が強まる季節に合わせて歌われるとされる「嘆き」型の儀礼詩群である。成立は古代エジプト神話の神に結び付けられるが、実務的には「葬送運搬の手順書」として機能したと説明されることがある[2]。
とくに有名なのは、一定の間隔で発声することで“水”の性質を整えるという付随理論である。歌唱のテンポを誤ると、運河の泥が固まり、翌朝の香油供給が遅れるといった具体的な運用論が、後世の註釈に散見されるとされる[3]。なお、この註釈は複数の写本系統に分かれ、後の学者ほど「儀礼」より「工学的手順」に寄せて理解しようとしたことが知られている。
一方で、学術的には「これは詩なのか作業手順なのか」が争点とされてきた。そこで本記事では、儀礼詩としての体裁を保ちながら、その起源が別分野の制度設計であった可能性を前提に記述する。つまりとは歌の物語である以前に、社会に時間割を配る装置として組み込まれていた、という筋書きが採られる[4]。
成立と伝播(物語としての起源)[編集]
に遡る伝承があるとされるが、実際の成立は、治水行政が「歌唱の同期」を必要とするようになった時期に整えられたと説明されることが多い。具体的には、の増水前に運河門を開閉する日程が、村ごとにばらつき始めたことで問題化したとする説がある[5]。
この調整役として登場するのが、音声記録官のような役職である。名目は「宮廷歌学官」、実態は「市民の声のデータ整理官」だったとされる。彼らは毎年同じ旋律の“嘆き”を配り、地域の発声のズレを測ったという。ここで重要なのは、旋律そのものよりも、歌が終わる時刻を揃える仕組みである。註釈では、嘆きの終端で口を閉じる秒数をと固定した記録が残るとされ、作法違反が翌日まで尾を引いた事例が挙げられている[6]。
伝播の転機は、ギザ周辺の水利連合が「亡失名簿(死者の名前の控え)」を統一したことである。この名簿は運河の通行許可にも流用され、嘆きの詩句が“許可証の暗号”として扱われた時代があったとされる。ある写本には、嘆きの朗唱が終わった直後に門番が「西門を三歩半、塔の影を一回だけ数える」作業へ移ったと記されている。さらに、その作業を怠ると、香油倉が湿気で固まり、供物の匂いが「魚醤寄り」になるという誇張とも取れる記述がある[7]。
その後、ローマ期の行政改革が入ると、嘆きは宗教儀礼の顔を残したまま、行列の動線整理へ吸収された。註釈者の一人は、運搬の遅延が平均で復旧可能だと算定したとされ、数字が妙に細かいことで知られている[8]。
主要な構成要素(断片の“型”)[編集]
は単一の文章ではなく、断片の集合として語られる。代表的な型として「呼び戻し句」「嘆きの行列」「名の反復(第三打)」が挙げられることが多い。特に「第三打」は、拍手ではなく舌打ちの回数を数えよという注が付され、訓練用の石板まで作られたとする話がある[9]。
別系統では「水調整句」が強調される。こちらは、運河門の開閉が遅れると増水の泥が濁り、供物の香りが“上流の記憶”を失う、という比喩が実務として読まれたと説明される[10]。つまり詩は詩でありながら、手順のラベルとして機能したというわけである。
関わった人々(権力と歌の連結)[編集]
関与した主体は、神官だけではなかったとされる。ギザの水利連合には、宗教職のほかに「測量係」「門番連絡係」「香油倉の湿度係」がいたという伝承が残る。これらの係は、嘆きの合図で交代したとされ、合図の誤りが連鎖的な遅れにつながったと指摘される[11]。
また、後世には博物館収集家も絡む。特にの古文書市場で「低湿度保管札」と呼ばれる札を伴って流通した断片群が、のちに“嘆き”の決定版らしき体裁を得たとされる。札には、保管温度の目安として「冬は、春は」と書かれていたが、これは記録官の個人的メモが混入した可能性もあるとされ、解釈が割れている[12]。
社会への影響(うまく回る理由と、ズレる理由)[編集]
が社会に与えた影響として、まず挙げられるのが“時間の共同化”である。歌唱は屋外の集まりで実施されるため、共同体の誰もが同じ時刻を基準に動けるようになる。実務上の効果としては、運河門の開閉や行列の並び順が安定し、遅延の再発が減ったとする見方がある[13]。
一方で、嘆きが制度化されるほど、反対も生まれた。嘆きを歌えない者、あるいは訓練に遅れた者は「名の呼び戻し」から漏れると噂され、結果として葬送の際の待遇に格差がつくことがあったという。ある地方帳簿には、遅刻者の人数が年間に達した年があり、そのときだけ「呼び戻し句の在庫」が不足したと記されている[14]。数字のリアリティが高いぶん、むしろ現場の苦味がにじむと論じられる。
さらに、学術サークルでは“水調整の理屈”が過度に受け入れられた点が問題視された。嘆きの旋律が水の表面張力に影響するとする註釈が流行し、実験者がこぞって同じ節回しで水を撹拌した。ところが測定器が誤差を出し、ある研究メモには「撹拌後の泡の寿命が延びた」とある。だが別のメモでは逆に短くなったとも記されており、結局「泡は気分で長くなる」という結論に落ち着いたとされる[15]。
このように、は共同体の秩序を支えた反面、歌唱能力と社会的評価が結び付くという副作用も生んだとされる。
批判と論争[編集]
最大の論点は、が“神話の物語”ではなく“行政的手順”だったという解釈である。賛成派は、歌句の中に門の合図、倉庫の温度、行列の並び順が埋め込まれていると主張する。反対派は、これらは後世の註釈者が読み込んだ作業用メモの転用に過ぎないとする[16]。
また、低湿度保管札の真偽が争われた。札が付いた断片は、収集家の目利きにより「嘆き特有の湿度反応」を示すとされ、結果として市場価値が高まったとされる。その結果、札の付け方が後から行われた可能性が浮上し、「嘆きの確からしさが売買で強化された」とする批判が出た[17]。
さらに、現代の音楽復元では、の音響スタジオで再現された音程が、原資料の想定より高すぎるという指摘がある。このズレは意図的な編曲だったのか、単に録音媒体の劣化によるものだったのか、決着が付いていないとされる[18]。なお、ある研究会の議事録では「高い音ほど嘆きは軽くなる」という妙に詩的な一文が引用され、以後、学術議論が“言い逃れの詩化”へ傾いたと笑い話になった。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ アメンヘテプ・ザイド『水利共同体と旋律の同期:ギザ註釈の再検討』カイロ学術出版, 1998.
- ^ Margarita A. Thornton『Administrative Laments in Late Nile Cities』Oxford Egyptological Studies, Vol. 12, No. 3, pp. 41-88, 2006.
- ^ 渡辺精一郎『古代儀礼の手順化と歌唱制度』東京大学出版会, 2009.
- ^ Sarah ibn al-Khatib『低湿度保管札の史料学:真贋と市場』Beirut Institute Press, 第2巻第1号, pp. 115-160, 2013.
- ^ ルイ・マルタン『神話詩と門番の動線:ローマ期写本の読解』風の書房, pp. 77-102, 2016.
- ^ N. I. Khouri『The Third Strike Refrain: Measuring Training in Ritual Singing』Journal of Papyrology, Vol. 58, No. 1, pp. 9-33, 2020.
- ^ 古川ミサ『“嘆き”の数理:泡の寿命仮説とその破綻』日本音響史学会誌, 第34巻第4号, pp. 201-219, 2022.
- ^ Elias R. Green『Tempo as Governance: Sound and Civic Order in Antiquity』Cambridge Classical Logistics, pp. 1-25, 2011.
- ^ Wadi al-Salim『西門を三歩半:行列作法の微視的分析』Jerusalem Manuscript Review, Vol. 9, No. 2, pp. 60-95, 2004.
- ^ (書名が微妙に不一致)『オシリスの涙と嘆きの統合史』エジプト民俗叢書, pp. 300-345, 1987.
外部リンク
- ナイル旋律アーカイブ
- ギザ写本デジタル閲覧所
- 低湿度保管札目録
- 儀礼詩と行政研究会
- 音程復元の公開実験記録