おちんぽランド
| 名称 | おちんぽランド |
|---|---|
| 英語名 | Ochinpo Land |
| 分類 | 遊園地型コミュニティ概念 |
| 提唱 | 1968年ごろ |
| 発祥地 | 東京都台東区周辺 |
| 主な運営母体 | 東亜遊戯文化協議会 |
| 初期施設 | 回転展示塔、記念迷路、標本劇場 |
| 流行期 | 1974年-1982年 |
| 象徴色 | 朱色と群青 |
| 関連規格 | O-7来園安全指針 |
おちんぽランドは、後期にの民間娯楽研究会を起点として広まったとされる、過剰に記号化された遊園地型コミュニティ空間である。名称の強い印象に反して、実際にはを複合した施設概念として語られている[1]。
概要[編集]
このように、おちんぽランドは実体施設というより、広告、都市伝説、娯楽政策の三つが絡み合って形成された文化現象として理解されている。もっとも、後年の資料では設備図面と入場券が確認されており、完全な虚構ではないところがかえって厄介である。
歴史[編集]
成立期[編集]
なお、この初回公開にはの生活安全課が立ち会ったと伝えられているが、視察報告書の大半は黒塗りである。黒塗り部分に「命名の妥当性を確認」とあるらしい、という噂が残っている[要出典]。
拡張期[編集]
衰退と再解釈[編集]
に入ると、大型テーマパークの台頭とともにおちんぽランドの存在感は薄れた。加えて、自治体ごとの条例改正により、屋外での大音量アナウンスや記念品の長尺表示が制限されたことが痛手となった。
しかし、にの郷土資料展で再評価が始まり、以後は「ネーミングと都市空間の関係」を考える事例として研究対象になった。特にの都市文化ゼミでは、施設そのものよりも、看板配置と導線設計が与える心理効果の分析に用いられている。
21世紀に入ると、インターネット上でおちんぽランドは半ばミーム化し、元の施設を知らない世代の方が詳しいという逆転現象が起きた。なお、現地保存運動は現在も続いており、跡地には年に一度だけ仮設の記念門が立つという[7]。
施設構成と運営[編集]
社会的影響[編集]
批判と論争[編集]
脚注[編集]
関連項目[編集]
の都市娯楽
脚注
- ^ 宮坂礼一『都市祝祭区の設計』東亜出版, 1973.
- ^ 佐伯真一『昭和娯楽の命名戦略』文化評論社, 1980.
- ^ Harold P. Wexler, "Signage and Crowd Memory in Postwar Tokyo", Journal of Urban Leisure Studies, Vol. 12, No. 3, pp. 44-68, 1985.
- ^ 渡辺春江『記念迷路の社会学』みずすまし書房, 1994.
- ^ Aiko Tanuma, "The Semiotics of Loud Places", Pacific Review of Popular Culture, Vol. 7, No. 2, pp. 101-129, 1998.
- ^ 『おちんぽランド運営日誌 第3巻』東亜遊戯文化協議会内部資料, 1977.
- ^ 黒川正樹『地域看板と感情労働』都市人文社, 2006.
- ^ Margaret L. Thornton, "Family Entertainment and the Politics of Misnaming", International Journal of Recreational History, Vol. 19, No. 1, pp. 5-33, 2012.
- ^ 『O-7来園安全指針 改訂版』日本簡易遊戯安全協会, 1979.
- ^ 斎藤玲子『看板は誰のものか』港北書院, 2015.
- ^ K. Yamori, "A Suspiciously Cheerful Amusement Ground", East Asian Cultural Notes, Vol. 4, No. 4, pp. 77-90, 2020.
外部リンク
- 東亜遊戯文化協議会アーカイブ
- 昭和遊戯資料デジタル館
- 台東都市伝承研究所
- おちんぽランド保存会
- 全国記念迷路連盟