おっぱいリトルガール
| 分類 | 児童向け表示玩具、街頭広告、民俗玩具 |
|---|---|
| 起源 | 1958年頃 |
| 流行期 | 1960年代前半 - 1970年代初頭 |
| 発祥地 | 東京都台東区、墨田区周辺 |
| 主な用途 | 店頭誘客、縁日装飾、簡易景品 |
| 材質 | 合板、塩化ビニール、和紙、金属針金 |
| 代表的製造者 | 小林看板工芸所、東亜玩具化成 |
| 関連法規 | 屋外広告物条例、風俗営業取締りの通達 |
| 現存数 | 確認された実物は全国で17体 |
おっぱいリトルガールは、中期の児童文化と都市の看板技術が結びついて成立したとされる、等身大表示型の兼である。主にの下町で普及したのち、地方のやにも波及した[1]。
概要[編集]
おっぱいリトルガールは、胸部を誇張した幼児型マネキンに、短いスローガン札や商品札を組み合わせた街頭表示物を指す名称である。名称の由来については、戦後の看板職人が「小さくて目立つ女の子型の立て看板」を俗にそう呼んだことが定着したとされる[2]。
一般には玩具として流通したが、実際にはが景品として配った例や、の射的場で等身大の的として使われた例が多い。とくに周辺では、閉店後に店先へ出されることで夜間の客引き装置として重宝され、雨天時には和紙が膨らんで表情が変わることから「気象で機嫌が変わる人形」とも呼ばれた[3]。
成立の経緯[編集]
起源はにの小林看板工芸所が、紙製の等身大看板の補強用に金属骨格を入れた試作品を制作したことにあるとされる。これが近隣の駄菓子問屋に流れ、看板というより「子どもが持ち歩ける小型の見世物」として改造された結果、胸部が極端に強調された独特の造形が生まれた。
当初は「リトル・ガール札立て」と呼ばれていたが、にの玩具問屋で配布されたカタログに、誤植で「おっぱいリトルガール」と記されたことが転機となった。なお、同カタログは印刷後に3回回収されたものの、すでに沿線の古紙回収業者へ流れており、その結果として名称が半ば公定化したといわれる[4]。
特徴[編集]
本体は高さ45〜62センチメートルほどで、頭部はの張り子、胴体は薄い、関節部はの留め具で接続されていた。最大の特徴は胸部の可動板で、内部の小さな重りを入れ替えることで「朝型」「昼型」「祭礼型」の三段階に調整できたという。
また、頬の紅色はと食紅を混ぜた独自配合で、製造現場では色名を「浅草焼け」と呼んでいた。現存品の一つは、の収蔵家が分解したところ、胸部内部から当時の時刻表の切れ端と、未使用のゴム風船2個が出てきたことが知られている。これが「単なる人形ではなく、街の雑務をまとめて受け持つ多機能体であった」証拠とする説もある[5]。
歴史[編集]
商店街への普及[編集]
前半には、からにかけての商店街で、開店前の呼び込み用に使われる例が増えた。特に玩具屋では、店先の棚に腰掛けさせ、横に『本日入荷』の札を持たせることで、実際より在庫が豊富に見える効果があったとされる。
祭礼用具としての転用[編集]
一方でや地方の夏祭りでは、山車の小道具として用いられた。祭礼委員会の記録によれば、のある町内会では、雨で神輿行列が中止になった際におっぱいリトルガールだけが予定通り巡行し、結果として「人が少ない年ほど印象に残る」と評判になったという。
衰退と再評価[編集]
に入ると、量産プラスチック玩具の普及と広告規制の強化により姿を消したが、にの倉庫から未塗装品が12体見つかったことで再評価が進んだ。なお、発見時の梱包材に『学術研究用』と書かれていたことから、実は広告ではなく民族誌調査用の標本だった可能性が指摘されている[要出典]。
社会的影響[編集]
おっぱいリトルガールは、商店街における「目線の高さ」を意識した最初期の大衆表示物として、広告史ではしばしば言及される。とくに子どもが最初に覚える町の記号の一つであり、頃のある調査では、内の小学生の14.2%が「店先の顔があるもの」として本体を正しく指摘したという。
また、地域社会では厄除けや縁起物として扱われることもあり、の一部では、台風接近時に玄関へ向けると雨が弱まるという民間信仰が形成された。もっとも、関係者がこれを認めた記録はなく、逆に「風が強いほど胸部の札がよく揺れて危険である」との内部文書が残っている。
批判と論争[編集]
批判の多くは、名称の過剰な俗語性と、児童向け商品でありながら過度に性的な印象を与える造形に向けられたものである。にはの前身団体が審査会で扱いを協議し、一度は「展示適正あり」とされたが、翌週の委員会で「胸部の針金が安全基準を超える」として再検討された。
ただし、支持者は「名称が下品なのではなく、下町言葉の勢いを保存しただけである」と主張し、むしろ言語文化資料としての価値を強調した。実際、の準備室では1980年代に一度収蔵候補となったが、収蔵カードの分類欄に『玩具』『広告』『民俗』『情緒』の4項目を書いたところ用紙が足りなくなり、持ち越しになったとされる。
現存品と収集[編集]
確認されている現存品は17体で、そのうち9体が個人蔵、4体が地方資料館、残る4体は所在不明である。最大級のものはの旧土産店に残る高さ91センチメートルの例で、背面に『第3号』と墨書きされているが、第1号・第2号の行方は不明である。
収集家の間では、胸部の膨らみ方と札の角度によって製造工房を見分ける方法が知られており、鑑定士はこれを「ふくらみ相」と呼ぶ。なお、2007年にの個人コレクションで1体がオークション出品された際、説明文に『日本の伝統的会話補助具』と書かれていたため、入札者の半数が誤解したまま競り合ったという。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 小林 恒一『昭和看板工芸の変種と市場流通』東京民俗出版社, 1987, pp. 41-68.
- ^ 佐伯 みどり『商店街の視線設計――戦後広告物の身体化』現代広告研究会, 1994, pp. 112-139.
- ^ M. Thornton, "Child-Sized Signage in Postwar Tokyo", Journal of Urban Material Culture, Vol. 12, No. 3, 2001, pp. 55-79.
- ^ 渡会 俊介『縁日景品の社会史』北辰書房, 2003, pp. 201-224.
- ^ Akira Muto, "The Little Girl Phenomenon and Toy Taxonomy", East Asian Folklore Review, Vol. 8, No. 1, 1998, pp. 9-31.
- ^ 関口 由紀子『台東区看板地図帳』下町出版局, 1979, pp. 8-19.
- ^ P. Holloway, "Embodied Advertisements and the Affective Storefront", Vol. 4, No. 2, 2010, pp. 88-104.
- ^ 山内 正夫『玩具と条例――屋外広告物規制の変遷』法令文化社, 2011, pp. 73-96.
- ^ 中村 玲『おっぱいリトルガールの民俗誌』東都選書, 2016, pp. 15-54.
- ^ G. Sutherland, "A Pocket Monograph on Oppai Little Girl", Miscellany of Japanese Studies, Vol. 19, No. 4, 2018, pp. 301-315.
外部リンク
- 下町民俗玩具アーカイブ
- 日本看板文化研究会
- 街頭表示物資料室
- 東京下町デザイン年表
- 縁日と広告の博物誌