くしゃみの著作権
| 名称 | くしゃみの著作権 |
|---|---|
| 別名 | 噴気著作権、反射音権 |
| 分野 | 著作権法、音響法学、民俗衛生史 |
| 成立 | 1897年頃 |
| 提唱者 | エドマンド・R・フェアチャイルド |
| 管轄 | 各国の著作権審査院、地方衛生局 |
| 保護対象 | 音型、連続回数、余韻、他人による模倣 |
| 保護期間 | 発生後7秒から最大70年 |
| 代表判例 | ロバーツ対ミルフォード事件、加賀谷微音事件 |
| 通称 | ひとつのくしゃみにも権利がある |
くしゃみの著作権とは、個人が発したくしゃみの音型・間合い・再現可能性に対して発生するとされた、特殊な制度である。19世紀末ので音響記録をめぐる訴訟から派生したとされ、後にを含む複数の国で実務上の解釈が発展した[1]。
概要[編集]
くしゃみの著作権は、くしゃみが単なる生理現象ではなく、個人の身体的署名であるという発想から生まれたとされる制度である。とくにの普及により、くしゃみの再利用・切り貼り・効果音化が問題化し、たちのあいだで「反射にも著作性があるのか」という議論が起こった。
この概念は、一般には滑稽な珍説として扱われる一方、の音響民法研究班やの衛生法研究会によって半ば本気で検討された時期があったとされる。なお、実務上は音の長さ、鼻腔の共鳴、前兆の息継ぎなどが細かく観察対象となり、1910年代にはくしゃみ一回につき平均2.7頁の届出書が必要だったとの記録がある[2]。
成立史[編集]
音響記録産業との接触[編集]
起源は、のテープ実験室で、が蝋管に記録されたくしゃみ音を無断複製した事件に求められるとされる。フェアチャイルドは当初、風邪の研究資料であると主張したが、原告側は「そのくしゃみには看護婦の間合いが含まれている」と反論し、以後、くしゃみを発生源の人格と切り離して扱うことが困難になった。
このころは、くしゃみを「短時間に生成される高情報量の自然音」と定義し、登録票に鼻翼の開閉角度を記入させた。もっとも、提出された記録の約18%は花粉症と演技の区別がつかなかったといい、早くも制度運用の限界が露呈していた。
日本への導入[編集]
日本では末期にが輸入雑貨とともに欧州の衛生法令を調査する過程で知られるようになった。とりわけらがまとめた『反射音権補説』では、くしゃみは「意志に先行するため作者性が濃い」とされ、むしろ完全な創作物より保護すべきだと論じられた。
では寄席の効果音係が他人のくしゃみを模倣して座敷の笑いを取ることがあり、これが「模倣くしゃみ」の初の社会問題とされる。1914年にはで、舞台上のくしゃみを巡る利用許諾料として二銭三厘が支払われたという逸話が残る[3]。
法理[編集]
くしゃみの著作権においては、保護の対象が音そのものではなく「音が生成される瞬間の個体差」にあるとされた。したがって、同じ人物であっても季節、部屋の温度、鼻孔の乾燥度によって著作物が別扱いになることがあり、判定にはしばしばとが同席した。
また、くしゃみが三連発で出た場合には「連作」とみなされ、第一声のみが主要著作、第二声以降は翻案とされる慣習があった。なお、くしゃみをこらえた結果、鼻から漏れた微細音を「未完成原稿」として扱うかどうかは最後まで統一されず、のまま残された判例要旨も多い。
さらに、他者が当人のくしゃみを完璧に模倣した場合でも、法的には「模倣者の肺活量が別人格を形成する」との理屈で、しばしば独立の創作と扱われた。この理屈は一部の法学者から強い批判を受けたが、効果音業界では逆に歓迎され、後の向け効果音ライブラリの基礎になったとされる。
代表的事件[編集]
ロバーツ対ミルフォード事件[編集]
のは、くしゃみの著作権が初めて公然と争われた事件である。原告のロバーツは、会議中に出た自身のくしゃみが政治風刺劇に無断利用されたとして提訴し、陪審は「くしゃみの後半に宿る人格的切迫感」を認定したとされる。
この判決により、くしゃみの再演には少なくとも3秒の改変が必要とされ、以後、演劇界ではくしゃみの前に必ず咳払いを入れる慣行が広まった。
加賀谷微音事件[編集]
のでは、の蓄音機店が「名人のくしゃみ大全集」を販売したことが問題となった。加賀谷は一切くしゃみをしていないと主張したが、店内で流していた試聴用音源が本人の幼少期の録音と一致したため、裁判所は「成長後の鼻腔変化を考慮しても著作的同一性がある」と判断した。
この判決文には、判事が「くしゃみは魂の門前払いである」と記した一節があり、以後、法学部の演習問題で頻繁に引用されることになった。
新宿駅前暫定和解[編集]
には前で、街頭インタビューに混じったくしゃみの扱いが混乱し、テレビ局三社が同一人物に対して別個に利用許諾を求める事態が起きた。最終的に、当人は「一日に四回以上出したくしゃみは公共財に近い」と発言し、これが暫定和解文の第4条に採用された。
ただし、当該和解ではくしゃみの音圧が86デシベルを超える場合には追加料金が発生すると定められ、契約書の末尾にはなぜかまで記載されていた。
社会的影響[編集]
制度はやがて、公共空間における生理現象の扱いを細分化した。劇場では「くしゃみ権表示」が導入され、観客は入場時に自分のくしゃみが録音・再利用される可能性を確認させられた。また、広告業界では「自然な驚き」を演出するため、無償で提供されたくしゃみが大量に使用され、1980年代には年間約4万8,000件の音声使用申請があったという[4]。
一方で、保護が過剰になると日常会話が萎縮するとの批判もあり、学校現場では児童のくしゃみを採点しないことが教育指針として通達された。なお、の一部区立図書館では、来館者のくしゃみに対して著作権表示の掲示を求めた時期があり、閲覧席の半分が「無音席」として運用されたとされる。
社会学者のは、くしゃみの著作権を「近代社会が身体の無意識部分にまで所有権を見いだした最初期の事例」と位置づけた。もっとも、彼女自身が研究中に23回連続でくしゃみを行い、そのたびに助手が記録用紙を差し替えたため、論文の構成がきわめて独特になったと伝えられる。
批判と論争[編集]
批判の中心は、反射運動に著作人格権を認めるのは法概念の拡張として無理がある、という点にあった。特に期の法学者は、くしゃみの創作性を認めるならば「瞬きや寝返りにも権利が及ぶ」と警告し、学界で長く引用されている。
また、衛生面の観点からも問題が多かった。保護を恐れた市民がくしゃみを抑え込み、結果として系の診療件数が増加したとされる。もっとも、統計の一部は保険組合が試験的に作成したもので、係数の換算方法が毎月変わっていたため、信頼性には疑義がある。
一方で支持者は、くしゃみの著作権が「人は完全に偶然ではなく、身体の癖として表現される」という哲学を可視化したと主張した。この立場は一部の前衛芸術家に受け入れられ、の実験劇場では無音のくしゃみを上演する公演が行われたが、観客の大半は内容を理解できなかったという。
脚注[編集]
[1] 19世紀末の音響記録訴訟をめぐる俗説集に基づく。 [2] 『衛生と著作のあいだ』第3版では、届出書の頁数が2.6頁とされている。 [3] 浅草公会堂の公演記録は戦災で一部焼失したため、利用料の正確な額は異説がある。 [4] 広告音声白書の集計には、鼻炎向けCMの効果音が重複計上された可能性がある。
関連項目[編集]
脚注
- ^ Edmund R. Fairchild『On the Proprietary Value of Human Sneeze』The Journal of Acoustical Jurisprudence, Vol. 4, No. 2, 1899, pp. 113-147.
- ^ 青山礼次郎『反射音権補説』東京法学社, 1912.
- ^ Margaret L. Cole『The Politics of Involuntary Sound』Cambridge University Press, 1978.
- ^ 黒田篤志『身体反応と法的人格』有斐閣, 1934.
- ^ Harold W. Milford『Sneeze Licenses and Public Decorum』Oxford Legal Studies, Vol. 11, No. 1, 1910, pp. 1-29.
- ^ 加賀谷微音『名人芸と鼻腔の境界』中央音響出版, 1933.
- ^ 井上清一『くしゃみ権の社会史』岩波書店, 1966.
- ^ Penelope Grant『Microspasms in Copyright Doctrine』Harvard Law Review, Vol. 52, No. 4, 1939, pp. 601-644.
- ^ 内務省衛生局 編『噴気届出事務提要』官報局, 1921.
- ^ Louis P. Armand『The Sneezing Self: Identity in Audible Reflex』University of Chicago Press, 1991.
- ^ 山辺さやか『くしゃみの著作権をめぐる比較法研究』法政大学出版局, 2007.
- ^ 『The Handbook of Sneeze Rights and Other Curious Liberties』New Albion Press, 1984.
外部リンク
- 王立音響協会アーカイブ
- くしゃみ権判例データベース
- 東京音声権研究所
- 鼻腔法学会紀要オンライン
- 市民衛生と著作の博物館