ぐるぐる目
| 別名 | 回旋眼、渦目、環視症 |
|---|---|
| 分類 | 身体表現・都市伝説・民俗診療 |
| 初出 | 1827年頃(写本上の記述) |
| 主要地域 | 東京都、長野県諏訪地方、北陸沿岸部 |
| 関係機関 | 帝国眼科研究会、東京市写真調査局 |
| 主な記録者 | 渋沢幸二郎、マルガレット・A・ソーン |
| 通説 | 強い緊張や反復作業の後に現れるとされた |
| 関連技法 | 渦視法、円視訓練、目印回し |
| 社会的影響 | 学校検診、玩具開発、広告意匠に影響した |
ぐるぐる目(ぐるぐるめ、英: Spiral Eyes)は、視線が円運動の痕跡を伴って見えるとされるの民俗的身体現象である。江戸後期の写本に由来するとされ、のちにとの交点で再解釈された[1]。
概要[編集]
ぐるぐる目は、瞳孔の周囲に渦状の反射が生じ、あたかも視線が回転しているように見える状態を指すとされる民俗概念である。の下町では、疲労が限界に達した子どもが「目で風車を回している」と表現されたことに由来するともいう。
この現象は単なる身体症状としてではなく、初期の、さらには末期の文化と結びつき、独自の診断語として普及した。なお、の周辺文書に同語が現れるのはの「児童視覚不調査」報告が最初とされるが、原本の所在は長く不明であった[2]。
歴史[編集]
江戸後期の「渦写し」[編集]
最古の記録は、にの眼医者・が記したとされる『眼中回転聞書』である。同書では、連夜の提灯仕事で眼球に「細き輪」が見える症例が3件報告されており、うち1件は、患者がの見世物小屋で回る独楽を見続けた結果であったと記される[3]。
河原井はこれを「外界の円運動が瞳へ移写する病」と解釈し、以後、弟子筋では「渦写し」と呼ばれた。もっとも、写本はにの古書店で再発見されたものの、墨の成分に由来の油脂が混じっていたことから、一部では後世の偽作と疑われている。
明治の学校衛生と帝国眼科研究会[編集]
中期になると、ぐるぐる目は子どもの「集中しすぎ」に伴う症候として再定義され、がに開催した第7回例会で正式に議題化された。発表者のは、市内の尋常小学校12校、計1,486人を対象に観察を行い、黒板を見続けた児童の17.3%に軽度の「回旋徴候」が出現したと報告した[4]。
この調査は後に「視線の衛生化」と呼ばれる教育運動の口火となり、各校では30分ごとに窓の外へ視線を逃がす「遠方転換」が推奨された。もっとも、の一部学校ではこれが競争化し、誰が最も遠くを見られるかを争う奇妙な遊戯に変質したとされる。
写真と広告への転用[編集]
末期、の技師は、長時間露光の被写体に現れる目のブレを「視線渦」と呼び、これを広告写真に応用した。彼女の手法では、同一人物を4回だけ微小回転させて撮影し、雑誌上で「視線が商品を追う」ように見せることができたという。
の化粧品広告『朝露のひとみ』はこの技法で制作され、売上が前年同期比で38%増えたとされる。ただし、同年の景品抽選に紛れて配布された回転鏡が原因で、読者の一部が本当にぐるぐる目になる事故が3件発生し、が注意喚起を出した記録が残る[5]。
診断法と分類[編集]
ぐるぐる目の診断には、と呼ばれる独特の確認法が用いられた。これは、半径12センチの紙円盤を患者の前で静かに回し、瞳の追従に遅れがあるかを見る方法で、の『民間眼科実験法』では「もっとも安価で、かつもっとも信用されない」と評されている。
分類上は、軽度から重度まで4段階に分けられた。軽度は「目が少し渦を巻く気配」、中等度は「会話中に視線が1回半転する」、重度は「まばたきのたびに方位磁針が誤作動する」とされ、最重度の症例では、患者の周囲で小さな紙吹雪が自然に円運動を始めたとの報告もある[6]。
社会的影響[編集]
ぐるぐる目の流行は、やにも波及した。の諏訪地方では、地元企業が「回し目ごま」と呼ばれる教育玩具を製造し、回転体を見つめることで視線の安定を学ばせるとして年間4万8,000個を出荷した。
一方で、過度な回転刺激を避けるべきだとする保護者運動も起こり、にはと名乗る団体ではなく、その周辺の研究会が「夕方以降の独楽遊びは控えるべきである」とする通達を出したとされる。なお、この通達の署名者に実在の医師名が混じっていたため、後年の資料整理ではしばしば要出典扱いとなった[7]。
批判と論争[編集]
ぐるぐる目をめぐっては、そもそも実在の症候ではなく、写真館と学校衛生の都合が作り出した概念ではないかという批判がある。特にの『月刊臨床と伝承』に掲載されたの論考は、ぐるぐる目の症例の6割が「眠気」「照明反射」「見世物趣味」の混合で説明可能であるとし、民俗概念としての独立性に疑義を呈した[8]。
また、の一部中学校で実施された「視線矯正講座」では、受講生の2人に1人が逆に自分の目を意識しすぎてしまい、授業後に「目が回る気がする」と訴えたため、講座自体がぐるぐる目を誘発するのではないかとの批判も生じた。これに対し主催側は「観察されること自体が症状である」と説明したが、この説明は現在でもしばしば引用される。
文化的影響[編集]
以降、ぐるぐる目は漫画や児童文学で「混乱」「恋煩い」「徹夜明け」の記号として定着した。風の作画様式を模した雑誌では、目の中に小さな渦が描かれる表現が流行し、のちのアニメ記号にも影響を与えたとされる。
さらに、の祭礼では、顔に渦模様を描く「目まわし面」が行列の厄除けとして用いられたが、2010年代に入ると観光用にデフォルメされ、実際の症状との区別がつかないほど派手になった。地元では今でも、祭りの日に子どもの視線がやや泳ぐと「今年は豊作のぐるぐる目が出る」と冗談めかして言う習慣が残る。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 河原井宗栄『眼中回転聞書』江戸眼科文庫, 1828年.
- ^ 渡辺精一郎『児童視覚不調査報告』帝国眼科研究会紀要 第7巻第2号, 1899年, pp. 41-66.
- ^ Margaret A. Thorne, “Rotational Gaze in Early Studio Portraiture,” Journal of Optical Folklore, Vol. 3, No. 1, 1931, pp. 12-29.
- ^ 佐伯玲子『ぐるぐる目の民俗的再編成』月刊臨床と伝承 第12巻第4号, 1968年, pp. 88-103.
- ^ 東京市写真調査局編『視線広告の技法と倫理』市政写真叢書, 1930年.
- ^ 相馬一雄『民間眼科実験法』東亜衛生出版, 1936年.
- ^ 長谷川文彦『回旋徴候の教育史』教育衛生評論 第21巻第6号, 1952年, pp. 5-17.
- ^ マルガレット・A・ソーン『回る目と止まる目』港出版会, 1934年.
- ^ 黒田みちる『渦のある子どもたち』日本児童文化協会, 1971年, pp. 201-219.
- ^ E. R. Caldwell, “The Spiral Eye and Modern Consent,” Review of Applied Anthropology, Vol. 14, No. 2, 1970, pp. 77-95.
外部リンク
- 帝国眼科研究会デジタルアーカイブ
- 東京市写真調査局資料室
- 諏訪回視玩具博物館
- 民俗眼症候年表データベース
- 回旋徴候研究フォーラム