けつ毛をみる会
| 行事名 | けつ毛をみる会 |
|---|---|
| 開催地 | 福岡県太宰府市・筑紫天満宮および周辺一帯 |
| 開催時期 | 毎年5月下旬から6月上旬 |
| 種類 | 民俗行事・観察祭・献毛神事 |
| 由来 | 毛並みの変化を見て作柄を占った山麓の旧習に由来する |
けつ毛をみる会(けつげをみるかい)は、のの祭礼[1]。より続く麓のの風物詩である。
概要[編集]
けつ毛をみる会は、のを中心に行われる年中行事で、参加者が衣服の裾を整え、特設の「観毛座」で体勢を正して一年の気運を占う祭礼である。古来、宝満山麓では湿気の多いに毛並みの乱れを吉凶の兆しとして読み取る習俗があったとされ、これが現在の行事へ発展したと伝わる。
現在では、神職による祝詞の後、氏子総代が竹製の「見毛枠」を用いて参列者の後方から静かに観察し、毛流れの整い方や風の通り方をもとに「穏」「躍」「豊」の三種の判定が下される。毎年の参加者はおおむね1,200人前後で、地元では「初夏の身だしなみ点検」として親しまれている[2]。
名称[編集]
名称の「けつ毛」は、もともと方言的には「けつうしろの毛並み」を意味する古い俗語であったとされるが、明治期の記録ではすでに現在の表記に近い形が確認される。なお、「みる会」は単なる見物会ではなく、参列者自身が毛流れを整え、その年の兆しを互いに確認し合う共同儀礼を指す。
地元の古文書『筑紫毛鑑録』には「尾気を視る会」との異表記も見られ、初期にの郷土史家・矢島源之助が「けつ毛」を当て字として再整理したとされている。ただし、この説は太宰府市史編纂委員会でも「一応の通説」とされるにとどまり、決着はついていない[3]。
由来・歴史[編集]
起源[編集]
伝承によれば、中期、宝満山の麓で行われていた農事祈願の際、参拝者の後ろ姿に付いた綿毛の向きで風向きと田の乾き具合を判断したのが始まりとされる。これが「毛をみる」作法として固定化し、のちに人々が互いの座り姿勢や裾さばきを確認する社参行事へ変化した。
年間には、筑前一帯で小麦と菜種の作柄が不安定であったため、の社家が「毛の乱れは天候の乱れを映す」として観察の手順を整えたと伝わる。ここで用いられた竹枠と白木台が、現在の観毛具の原型である。
近代化[編集]
後期には一時廃止論も出たが、町内会と青年団が「身だしなみ教育」と結びつけて再興したため、むしろ規模を拡大した。特にの「第二回整毛式」では、観察結果を電報での商家へ伝えたところ、翌日の仕入れ判断に影響したとされ、新聞各紙が小さく報じたという[4]。
戦後は観察の意味が農事占いから地域交流へ移り、には婦人会の提案で「静座の部」が新設された。参加者が30秒間だけ無言で後方を向くという、やや奇妙な作法が定着したのもこの頃である。
現代[編集]
以降は観光要素が強まり、2023年時点では県外からの見学者が年間約4万8,000人に達したとされる。もっとも、地元では「見に来るほどのものではないが、見ないと落ち着かない」と評されることが多い。
また、観光協会は2016年から「毛並み相談窓口」を設けたが、相談内容の6割以上が座布団の角度や衣服の素材に関するもので、実際の毛の状態を尋ねる者は少ないという。
日程[編集]
行事は毎年5月最終土曜日から翌日曜日にかけて行われる。初日午前に「清座の儀」、午後に「見毛奉告」、夜には境内の灯籠を用いた「逆風送り」が行われる。
翌日は氏子地区ごとの巡覧があり、内の各町内で小規模な再演が行われる。天候が良い年には宝満山からの風が境内へ流れ込み、毛流れ判定が極端に良くなるため、古来より「晴れ三分、湿り七分」として珍重されている。なお、雨天時には観毛具が一斉に藁布で覆われ、これを「伏毛の措置」と呼ぶ。
各種行事[編集]
清座の儀[編集]
参列者が竹札を受け取り、の社殿前で一斉に正座する儀式である。ここでは衣服の背面を整えることが重視され、係員が白い手袋で裾の折れを直す。最も静粛を要するため、毎年この場面だけは鳥の鳴き声さえ少なくなるといわれる。
見毛奉告[編集]
神職が「毛の向きは心の向き」と唱え、参列者の背後に小さな鏡を置いて状態を奉告する儀式である。判定は「瑞」「和」「乱」の三段階で、もっとも珍しい「乱」は厄落としの証とされ、かえって拍手が起こる。
逆風送り[編集]
夕刻、境内の回廊に並んだ団扇で風を送る行事で、風向きを人為的に変えることで「翌年の巡り」を占うとされる。2011年には強風で提灯が三十六個ほど回転し、翌年の見物客数が過去最多を更新したため、地元では半ば縁起物として語られている[5]。
地域別[編集]
太宰府地区[編集]
中心会場であり、最も古い作法が残る。特に周辺では、観毛座に座る前に梅干しを一粒食べる慣習があるとされ、これは口元の緊張を和らげ、観察時の姿勢を安定させるためである。
水城地区[編集]
水城地区では、湿度の高い谷地を生かして「しっとり毛」の部が設けられる。ここでは雨の翌日ほど参加者が増え、地区の自治会長によれば、2022年は申込が通常の1.8倍に達したという。
博多周辺[編集]
博多周辺では商人文化の影響から、見毛の結果を商売繁盛と結びつける傾向が強い。旧呉服町の一帯では、観察の判定が「豊」のときに限り、翌朝の開店看板を少しだけ高く掲げる風習が残っている。
批判と論争[編集]
一方で、近代以降は外部から「奇習ではないか」と批判されることもあった。特にには県外紙のコラムで誤解を招く紹介がなされ、太宰府市が「本行事は身体の清潔と座法の確認を主目的とする」と反論する事態となった。
また、近年は観光化により「毛流れ判定が過剰に演出されている」との指摘もある。しかし保存会は、観察の精度は道具ではなく参列者の静けさに依存するとして、むしろ演出の簡素化を進めている。なお、2020年の中止期間中にオンライン版「リモート見毛」が試験運用されたが、画面越しでは風の読み取りが難しいとして翌年には廃止された[6]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 矢島源之助『筑紫毛鑑録の研究』筑前民俗資料刊行会, 1938年.
- ^ 田島良平「宝満山麓における観毛儀礼の成立」『九州民俗学報』Vol.12, No.3, pp.44-61, 1967年.
- ^ 福岡県太宰府市史編纂委員会『太宰府市史 第4巻 民俗編』太宰府市, 1989年.
- ^ Margaret H. Collins, “Seasonal Grooming Rites in Northern Kyushu,” Journal of Comparative Ritual Studies, Vol.8, No.2, pp.113-129, 1974.
- ^ 大石和彦「逆風送りと地域共同体の再編」『民俗と都市』第21巻第1号, pp.7-26, 2005年.
- ^ 筑紫天満宮社務所編『見毛奉告の手引き』社務所叢書, 2011年.
- ^ Harold V. Keene, “The Politics of Hair-Observation Ceremonies,” East Asian Folklore Review, Vol.15, No.4, pp.201-218, 1982.
- ^ 中村澄子『初夏の風物詩と身体技法』福岡文化出版, 1996年.
- ^ R. S. Whitmore, “On the Measurement of Rearward Wind: A Report from Dazaifu,” Proceedings of the Ritual Anthropology Association, Vol.3, pp.88-97, 2016.
- ^ 久保田真一「リモート見毛試行の記録とその限界」『地域祭礼通信』第9号, pp.31-39, 2021年.
外部リンク
- 筑紫天満宮保存会公式記録室
- 太宰府民俗年中行事アーカイブ
- 九州観毛研究センター
- 初夏風俗データベース
- 見毛具設計資料館