こらっせ新庄
| 名称 | こらっせ新庄 |
|---|---|
| 種類 | 宿泊型介護+市民ホール複合施設 |
| 所在地 | 山形県新庄市大町二丁目(架空表記) |
| 設立 | 23年(複合化)・17年(前身開設) |
| 高さ | 18.6 m(塔屋含む) |
| 構造 | 鉄筋コンクリート造(一部木造) |
| 設計者 | ㈱新庄アトリエ計画(設計代表:北田瑞樹) |
こらっせ新庄(こらっせ しんじょう、英: Korasse Shinjō)は、にある複合型コミュニティ施設である[1]。
概要[編集]
は、に所在する宿泊型介護施設と市民向け多目的ホールを統合した複合型コミュニティ施設として知られている[1]。
当初は「駅前の空き家活用」を掲げた小規模プロジェクトとして始められたが、のちに運営理念が拡張され、見守り・文化教室・短期滞在が同居する建築として整備されたとされる[2]。
施設名の「こらっせ」は、方言調の掛け声と「回遊(リユース)」の造語を重ねたものとして、地域広報誌で説明された経緯がある[3]。
名称[編集]
施設の正式名称は「こらっせ新庄 一日だけ泊まれる町の家」とされており、開設当初のパンフレットでは縦書きロゴが採用された[4]。
一方で市民の間では、看板に付された小さな絵文字(△に点を三つ)を「合図」と呼ぶ習慣が残っており、これが町内会の体操開始時刻(毎週水曜16:30)と結びついたとも言及されている[5]。
施設運営側は「呼びやすさ」と「転倒予防(語頭の子音を揃える)」の観点から、語感の設計を外部コンサルタントが行ったとしている[6]。
沿革/歴史[編集]
前身と“二段階開設”[編集]
17年、の再編計画に連動する形で、前身となる小規模滞在棟が開設されたとされる[7]。このときは「日和(ひより)型見守りユニット」と呼ばれる6室構成で、1室あたりの滞在想定を平均18.2時間とする運用試算が公開されていた[8]。
その後、23年に複合化へ着手し、宿泊棟と市民ホール(第1・第2ホワイエ)を同一外壁で包む改修が行われたとされる[9]。
なお、改修工期の遅延をめぐっては、内部資料で「雨樋勾配が想定より0.4%逸脱した」と記録された旨が、のちの議事録で引用されたとされる[10](真偽は会派間で揺れがあるとされる)。
運営理念と“日和弐番館”の位置づけ[編集]
複合化後、宿泊型介護部門はとして呼称される区画を中心に再編され、「夜の文化教室」と「朝の体操」を生活リズムとして組み込む方針が採られたとされる[11]。
この枠組みは、理学療法士の監修により、レクリエーションを「転倒リスクの低減」と「認知刺激」の両面から設計する試みとして紹介された[12]。
また、施設の“回遊動線”は、廊下の曲率半径を3.2 mに揃えることで、歩行器利用時の旋回を安定させる狙いがあったとする説明も存在する[13]。
地元企業・大学・自治体の絡み[編集]
整備に関わったとされる団体には、地元建材企業のほか、の地域政策系研究室が「利用者の心理導線」調査を行ったとされる[14]。
当時の市側資料では、補助金配分の根拠として「年900回の地域イベント参加を目標とする」数値が掲げられ、これが施設のホール規模に反映されたと推定されている[15]。
さらに、開業直前に施設裏手の敷地で行われた地鎮の儀式では、設計者の提案により、木材の含水率を“儀式の進行度”として測る段取りが採用されたとされる[16]。
施設[編集]
は、宿泊部門・交流部門・相談部門を一つの建築ボリュームとしてまとめる設計思想を採っている[17]。
宿泊区画には、を含む複数の滞在ユニットがあり、短期滞在にも対応するとされる[18]。また、各階に「手のひらサイズの展示棚」が設けられ、季節ごとに地域の小物を入れ替える運用が紹介されている[19]。
市民ホールは、収容人数を静態時98名・動態時84名とする設計注記が残っているとされ、椅子配置が“転倒の出やすい角”を避けるよう再計算されている点が特徴とされる[20]。
なお、施設の外壁には、雨の日でも光が当たるように設計された「遅延反射の縞模様」があるとされるが、当初パンフレットではこの説明が省略されていたといった逸話もある[21]。
交通アクセス[編集]
へは、中心部から徒歩圏にあるとされ、周辺の路線バスは「こらっせ新庄前」停留所を経由すると案内されている[22]。
駐車場は33台分が確保されており、車椅子利用者の乗降スペースは出入口から10.5 m以内に配置されたと説明されている[23]。
また、夜間利用時の安全対策として、玄関前に足元灯ではなく“壁面誘導”を採用した点が特徴だとされる[24]。
文化財[編集]
自体が文化財指定を受けているという扱いは、少なくとも市の観光資料では確認されないとされる[25]。
ただし施設内には、前身建物から移築されたとされる欄間彫刻が収められており、当該彫刻は地元工房の技法として紹介されている[26]。
さらに、ホールの天井梁には「昭和の防災標語」が刻まれているとされるが、読める箇所と読めない箇所があるため、見学者の間で“文字当て”遊びが発生したと報告されている[27]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 北田瑞樹「こらっせ新庄の外部誘導設計に関する報告」『地域建築学会誌』Vol.41 No.2, pp.11-26, 2012.
- ^ 堀井紗和「宿泊型介護における生活リズム統合の試み」『福祉ケアシステム年報』第9巻第1号, pp.57-73, 2013.
- ^ 佐伯光稀「回遊動線の曲率設計と歩行器利用の適合」『リハビリテーション工学』Vol.18 No.4, pp.201-219, 2011.
- ^ 米田梨乃「方言風施設名の語感最適化と利用者理解」『社会言語学研究』Vol.22, pp.88-104, 2014.
- ^ Kobayashi, Haruto「Community hubs for aging societies: a case study of Korasse Shinjō」『Journal of Rural Welfare Design』Vol.7 No.3, pp.33-49, 2015.
- ^ 山形県『山形県福祉施設整備指針(参考資料)』山形県庁, 2009.
- ^ 新庄市『新庄市再編計画(抜粋)—滞在型支援の拡充』新庄市政策企画課, 2005.
- ^ 藤堂円香「“二段階開設”がもたらした運営変化の定量分析」『地方行政研究』第31巻第2号, pp.145-160, 2016.
- ^ 柳原直紀「避難経路の視認性に関する試算」『防災建築論集』Vol.12 No.1, pp.5-19, 2010.
- ^ 田村康輔「欄間彫刻の移築と保存倫理—こらっせ新庄所蔵例」『文化財保存学会通信』pp.1-9, 2018.
外部リンク
- こらっせ新庄公式アーカイブ
- 新庄市福祉ホール活用レポート
- 日和弐番館生活リズム研究会
- 山形大学地域政策研究室 ウェブ講義
- 回遊動線デザイン・ガイド(民間版)