ごろーさん
| 正式名称 | 五郎敬称圏(ごろうけいしょうけん) |
|---|---|
| 通称 | ごろーさん |
| 成立 | 1958年頃 |
| 発祥地 | 東京都台東区浅草周辺 |
| 提唱者 | 佐伯五郎次郎 |
| 主な機能 | 商店間の親疎識別、丁寧語の簡略化 |
| 儀礼 | 三拍返し、名刺二度差し |
| 関連機関 | 東京民俗語彙研究会 |
| 影響 | 商店街運営、地域放送、会話作法 |
ごろーさんは、において名字や敬称として用いられる「ごろう」に由来する呼称であると同時に、中期ので発生した民間呼称体系の総称でもある。現在ではの古参商店街を中心に語られることが多く、半ば慣用句、半ば地域儀礼として知られている[1]。
概要[編集]
ごろーさんは、の露店商や飲食店主のあいだで使われ始めたとされる呼称体系である。相手の年齢や業種を問わず、一定の敬意と距離感を保ちながら親しみを示すための語として機能したとされ、のちにやにも波及した。
一般には単なる愛称と誤解されやすいが、実際には挨拶・帳面記入・値引き交渉の三場面で異なる語尾変化を伴う、かなり細かい運用規則があったとされる。なお、1964年の前後に一度「古臭い言い回し」として衰退したが、1987年の商店街振興運動で再評価された[2]。
成立の経緯[編集]
起源については諸説あるが、有力なのはに浅草寺裏手の乾物問屋で行われた「呼称の一本化会議」に由来するという説である。当時、店舗ごとに「ごろう君」「ごろー氏」「五郎ちゃん」など表記と呼び方が乱立し、配達証明や掛け売り台帳に混乱が生じていたため、帳簿係の佐伯五郎次郎が「ごろーさん」に統一する案を出したとされる。
この案は、丁寧すぎず粗すぎない中間語として商人に受け入れられた。とくにの老舗蕎麦店「更科松葉庵」では、注文を通す際に「ごろーさん一丁」と言うと麺の茹で時間が15秒短縮されると信じられ、昼時の回転率が平均8.4%向上したという記録が残る。ただし、この数字は当時の帳簿の墨のにじみ方から逆算されたもので、信頼性には疑義がある[3]。
語法と運用[編集]
ごろーさんの特徴は、単に人を呼ぶのではなく、相手の立場に応じて「さん」の前後に微妙な抑揚を置く点にある。たとえば、仕入れ先には平板に、ご近所には語尾を少し上げて、常連客には「ごろーさんでさぁ」と下町調にするのが定石とされた。
また、にがまとめた「五郎敬称運用表」によれば、呼称の使用回数が1日4回を超えると、相手との関係が「準親族」に分類されることになっていた。これは商店街の共同配送や冠婚葬祭の手伝い要員を可視化するための措置であったとされるが、実際には顔見知りの飲み屋客を帳簿上で厚遇するための抜け道として使われた例も多い。
地域への広がり[編集]
1960年代後半にはの玩具店街、の弁当仕出し業者、さらにの埠頭近くの運送会社にも導入され、呼称としての汎用性が高まった。とくに芝浦の冷凍倉庫では、作業員同士がヘルメット越しに「ごろーさん」と呼び合うことで、誤搬送率が年間17件から4件へ減少したという報告がある。
一方で、拡大に伴い「誰にでもごろーさんを付けるのは失礼ではないか」という批判も起きた。これに対し、1969年の浅草連合町会は「呼称は距離の証明であり、無礼の印ではない」との声明を出したが、声明文の末尾に誤って「ごろーさん各位」と書かれていたため、かえって制度の完成度が高いと受け止められた[4]。
社会的影響[編集]
ごろーさんは、単なる方言的表現を超えて、地域経済の潤滑油として機能したと評価されている。商店街では値札の末尾に「ごろーさん価格」と書くことで、常連と新規客の価格差をわずかに調整する慣行が生まれ、実質的な会員制度として活用された。
また、の石油危機以後、節約意識の高まりとともに、電話応対で長い敬語を省く需要が増えたことから、大手流通業者の一部も研究対象とした。特にの地域番組「下町ことば手帖」では、ごろーさんを使った挨拶が「1回あたり約1.7秒の省力化につながる」と紹介され、主婦層から高い関心を集めたとされる。
なお、1980年代には若年層の間で「ごろーさん」と呼ばれると年配者扱いされるとして敬遠する動きもあったが、逆にそれが「信用できる感じがする」として再流行した。現代では、内の一部飲食店で、常連認定の合図として非公式に用いられている。
批判と論争[編集]
ごろーさんをめぐっては、民俗学の分野でも長らく議論が続いた。とくに民俗言語学講座の一部研究者は「実態は方言ではなく、帳簿と声掛けを接続するための商業技術である」と主張し、純粋な言語現象とみなす立場に異を唱えた。
また、1989年にはの老舗喫茶店で「ごろーさんは誰の所有物か」をめぐる小さな紛争が起きた。常連客が自分を呼ぶ際に使うのは許されるが、店主が若手従業員に使うと上下関係が強まるとして、店内掲示が必要になったのである。掲示文は全12項目に及び、3項目目に「ごろーさんを3回続けて呼んだ場合は菓子折りを添えること」と書かれていたため、いっそう誤解を招いた[5]。
研究史[編集]
民俗学的研究[編集]
、民俗学者の高瀬多聞は『下町呼称と帳場慣行』で、ごろーさんを「半儀礼・半値引き要求」と定義した。高瀬はの市場まで調査を広げ、呼称が聞こえた魚屋では売れ残り率が平均6.2%下がるという観測結果を示したが、サンプル数が38件しかなく、後年しばしば引用の仕方を誤られた。
行政文書化[編集]
には生活文化局が「地域敬称の実態調査」を実施し、ごろーさんを含む17種の呼称を記録した。報告書では「住民票には載らないが、商店街の運営委員名簿には深く入り込む語」と説明され、行政上の「準公用語」として扱うべきだとの提言まで行われた。
デジタル化以後[編集]
スマートフォン普及後は、連絡帳の名前欄に「ごろーさん」とだけ登録する例が増え、上でも相手を本名でなく呼称で管理する文化が見られた。2017年頃には自動変換候補に「ごろーさん」が出る端末が一部で話題になったが、これは入力履歴の偏りによる偶然とされている。なお、ある端末メーカーは社内実験で「ごろーさん」と打つと天気予報が開く隠し機能を搭載したとされるが、出典は確認できない。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 高瀬多聞『下町呼称と帳場慣行』みすず書房, 1978, pp. 41-88.
- ^ 佐伯五郎次郎『五郎敬称の実務』東京民俗語彙研究会出版部, 1961, pp. 9-27.
- ^ 東京都生活文化局『地域敬称の実態調査報告書』第3巻第2号, 1991, pp. 112-146.
- ^ Margaret A. Thornton, "Honorific Drift in Postwar Tokyo Markets," Journal of Urban Folklore, Vol. 12, No. 4, 1984, pp. 201-219.
- ^ 田島史朗『商店街の言い回しと省力化』岩波書店, 1989, pp. 55-74.
- ^ Kenji S. Morita, "Vendor Address Forms and Micro-Economies," Pacific Linguistics Review, Vol. 8, No. 1, 1976, pp. 13-39.
- ^ 浅草連合町会編『呼称と礼法の手引』浅草連合町会事務局, 1969, pp. 3-18.
- ^ 高橋いく子『ごろーさんの社会史』青土社, 2002, pp. 101-133.
- ^ Harold P. Whitman, "The Semi-Formal Title in Metropolitan Japan," East Asian Ethnography Quarterly, Vol. 5, No. 2, 1997, pp. 77-96.
- ^ 東京民俗語彙研究会『五郎敬称運用表』内部資料集, 1962, pp. 1-12.
外部リンク
- 東京民俗語彙研究会アーカイブ
- 浅草下町語彙資料室
- 商店街呼称保存協会
- 昭和口語史データベース
- 下町ことば手帖 放送記録室