ごりたろ
| 正式名称 | 粗粒締圧補助具 |
|---|---|
| 通称 | ごりたろ |
| 初出 | 1948年頃 |
| 提唱者 | 渡辺精一郎 |
| 用途 | 埋立地・堤防・護岸の締固め |
| 材質 | 樫材、鋳鉄、麻縄 |
| 普及地域 | 東京湾岸、瀬戸内沿岸 |
| 関連法令 | 港湾補修指針(旧版) |
| 異名 | ごり締め、たろ式転圧 |
ごりたろは、中期の沿岸土木現場で用いられた、粗粒の粘性土を人力で締め固めるための補助具、およびそれを用いる作業法の通称である。のちにの港湾再開発を通じて体系化され、現場では「音で締める土木」として知られるようになった[1]。
概要[編集]
ごりたろは、の沿岸復旧期に発達した、土を「押す」のではなく「鳴らして落ち着かせる」ことを重視する独特の締固め技法である。名称は、作業時に発する「ごり、ごり」という摩擦音と、現場で最初に試作を行った人夫の通称「たろ」に由来するとされる[2]。
一般には単なる現場用の俗称と理解されがちであるが、港湾技術史では、の旧木場地区で行われた仮設堤の補修記録が最初期の文献として扱われる。なお、当初は「ゴリタロ式」と表記されることが多かったが、1952年の系資料以降は平仮名表記が定着したとされる。
名称と定義[編集]
「ごりたろ」の定義は時期によって揺れがある。狭義には、樫材の柄の先端に鋳鉄の偏心錘を取り付け、1区画あたり16〜24回の打音で地表を均一化する器具を指すが、広義には、その器具を用いる作業班全体、さらには朝礼から片付けまでを含む工程を指すこともあった。
名称の後半「たろ」については、現場監督のに由来する説が有力である一方、測量班の下請け帳簿名にあった「太郎札」が転じたとする説もある。いずれにせよ、1949年8月の沿岸工事日誌には「ごりたろ二挺入荷」との記述が残り、これが用例の定着を示す最古級の資料とされる。
歴史[編集]
起源[編集]
ごりたろの起源は、冬の旧埠頭地区で行われた仮復旧工事に求められる。連日の降雨でぬかるんだ地盤を通常の踏圧で処理できず、渡辺精一郎が「音の反響で沈下を見極める」方法を提案したのが始まりである。彼は後に工学部の夜間講習でこの手法を発表したが、当初は「実務の冗談」として扱われ、講義録に一度しか載らなかった。
ただし、1950年代の地方港湾課報告では、すでにとの小規模堤防補修に応用されていたことが示されている。現場では、通常の転圧機よりも安価で、しかも「作業者の熟練が音として残る」点が評価されたという。
制度化[編集]
1956年、の外郭委員会である「沿岸仮設補修技術連絡会」がごりたろを正式な参考技法として採録したことで、技術としての地位が一気に上昇した。採録時の議事録では、反対派の一人が「名称が軽すぎる」と批判したが、試験現場での沈下率が従来法より平均12.4%低かったため、最終的には黙認されたとされる[3]。
この時期、の港湾倉庫群では、器具の柄を短くして狭隘部に対応させた「港倉型」が開発され、1班6人編成で日産48区画を処理する体制が確立した。なお、当時の記録には「最終的に班長が疲労で器具を椅子代わりにした」との逸話があり、これは後年の技能講習で必ず笑い話として紹介された。
衰退と再評価[編集]
期に入ると、油圧式転圧機の普及により、ごりたろは次第に補助的な位置に退いた。しかしの第一次オイルショック後、燃料不足により一部自治体で再び脚光を浴び、の臨海工区では「静音・省燃料・低故障率」の三条件を満たす手法として採用された。
1980年代以降は、実務よりも文化史の対象として扱われることが増えたが、は2007年に『ごりたろ作業の再現実験報告』を刊行し、現代の小規模護岸補修にも応用可能であると結論づけた。もっとも、研究班の半数は再現中に柄の長さを取り違え、結果として「ほぼ盆踊り」と評されたという。
作業方法[編集]
ごりたろ作業は、対象地盤を3区画に分け、各区画に対して「当て」「鳴らし」「待ち」の三拍子で進めるのが基本である。まず表面の水分を見て、器具を斜め17度で入れ、1打ごとに足元の振動を確認する。熟練者は音だけで含水率の微妙な差を聞き分けたとされ、の研修記録には、30秒の打音で粒径分布を当てた作業員の名が残る。
また、ごりたろは単独作業よりも、必ず二人一組で行うことが推奨された。一人が打音を担当し、もう一人が地表の小さな隆起を「手の甲で撫でて」確認するためである。このため、現場では「ごり」と「たろ」の役割分担が固定化し、後に労務管理上の用語としても転用された。
社会的影響[編集]
ごりたろは、単なる土木技法にとどまらず、戦後の共同作業倫理を象徴する言葉として広まった。の職業訓練校では、規律と段取りの教材としてごりたろの模擬演習が導入され、受講生は作業前に必ず木槌で机を三回叩く習慣を学んだという。
一方で、騒音が独特であることから近隣住民との摩擦も生んだ。とくに周辺では、朝6時の打音が魚市場の競りと混同され、「どちらが主役かわからない」と苦情が出た記録がある。ただし、この苦情対応のために作業時刻を市場開始前の15分にずらした結果、逆に市場関係者から「景気づけになる」と歓迎された。
批判と論争[編集]
ごりたろは、技術の客観性よりも徒弟的経験を重視しすぎるとして批判された。特にの関連討議では、「同じ器具でも班長の気分で仕上がりが変わる」との指摘があり、再現性の低さが問題視された[4]。これに対し擁護派は、「再現できないからこそ人が要る」と反論したと記録されている。
また、名称の由来をめぐっては、渡辺精一郎説と高橋太郎説の二系統が長く対立した。2003年の調査では、どちらの説も一次資料に決定打がないことが確認されたが、研究会では「どちらでも現場の語感に合う」として事実上の棚上げとなった。なお、ある民間出版社はごりたろを「江戸期から続く伝統工法」と紹介したが、年号の整合が全く取れていないとして速やかに訂正された。
関連資料[編集]
ごりたろに関する資料は、行政文書、現場日誌、技能講習の配布資料に大別される。とくに発行の『臨時港湾補修便覧 第3版』は、図版の中に「打音は機械より人格に宿る」との謎めいた注記があり、研究者の間で長く引用されてきた。
また、の倉庫整理中に発見された「ごりたろ点検票」は、器具の摩耗、取っ手の削れ、作業者の機嫌まで記録欄に含まれており、後年の労務史研究において珍重された。もっとも、点検票の末尾にある「本器具、最終的には椅子としても使用可」という一文は、実用品としての逸脱を示すものとしてしばしば話題になる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『沿岸仮設における打音締圧の研究』港湾技術社, 1953年.
- ^ 高橋太郎『ごりたろ作業日誌 第一巻』東京臨海出版, 1951年.
- ^ 田中久子「東京湾岸補修現場における音響転圧の実態」『土木史研究』Vol. 12, No. 3, 1964年, pp. 41-58.
- ^ M. A. Thornton, "Acoustic Compaction in Postwar Harbor Works," Journal of Applied Civil folklore, Vol. 7, No. 2, 1971, pp. 113-129.
- ^ 佐伯一郎『港倉型補助具の設計と運用』運輸資料刊行会, 1958年.
- ^ 黒田真理子「ごりたろと地域労務文化」『都市と港』第4巻第1号, 1989年, pp. 9-22.
- ^ E. S. Whitcombe, "Noisy Soils and Quiet Docks," Proceedings of the Maritime Engineering Society, Vol. 18, 1960, pp. 201-214.
- ^ 港湾技術史研究会編『ごりたろ作業の再現実験報告』潮風書房, 2007年.
- ^ 鈴木栄子『臨時港湾補修便覧 第3版 解説』北海編集局, 1954年.
- ^ 橋本義雄「打音は人格に宿るのか」『臨海労務評論』第9巻第2号, 1962年, pp. 77-81.
外部リンク
- 港湾技術史アーカイブ
- 臨海労務文化研究所
- 東京湾岸工法資料館
- ごりたろ保存会
- 日本打音補修協会