しかしヶ丘ニュータウン
| 所在地 | 北海道管内の架空区画(石狩北岸の丘陵) |
|---|---|
| 開発主体 | 北光都邑整備公社(通称:北都公社) |
| 計画面積 | 約1,940ヘクタール |
| 計画人口 | 約72,000人(最終) |
| 都市計画決定 | (第3次地域総合計画に含む) |
| 住宅戸数 | 約19,360戸(民間協賛分含む) |
| 特徴 | 区画ごとに「歩行優先ルール」と「雪害運用」を組み合わせた設計 |
| 運用理念 | 『しかし』を言い訳ではなく調整原理とする地域憲章 |
しかしヶ丘ニュータウン(しかしがおかにゅーたうん)は、日本の北海道に計画された住宅地帯である。開発当初から「安心」と「合理」の両立を掲げたが、のちに独特の生活文化と運用制度が地域の論点として残された[1]。
概要[編集]
しかしヶ丘ニュータウンは、1970年代末の「人口分散」を背景に、丘陵地の微地形を活かした団地群として構想された都市計画である。公社は造成の段階から気象データを建築条件へ自動変換する試行を行い、通称「雪の家計簿」と呼ばれる運用台帳が整備されたとされる[2]。
「しかしヶ丘」という名称は、現地の歌碑に刻まれた標語『しかし、丘は逃げない』に由来するとされる。ただし同時期に、住民説明会での反対意見が相次いだため、広報担当が“反論(しかし)”を織り込む形で合意形成を進めたという別説も有力である[3]。結果として、区画ごとの規約や集会の進行が、言葉の扱いまで含めて制度化された点が、のちの特徴として残された。
なお、ニュータウン全体は複数の自治会と管理組合に分かれて運営され、中央広場の「同意の鐘」も含め、制度の摩擦が文化として蓄積した地域であったとされる。とりわけ1990年代後半以降、人口減少局面で「合意をやり直す手続き」が増えたことが、行政文書上の独自性として注目された[4]。
地理・設計思想[編集]
計画面積は約1,940ヘクタールとされ、丘陵の比高差を最大19.6メートルに収める方針が採用されたとされる。造成土の粒度分布は300ミクロン刻みで管理され、道路の排水勾配は「雪解け前の最小凍結温度」を基準に決められた[5]。
設計思想は「歩ける距離」と「止まれる時間」を同時に最適化するというもので、歩行者導線は通常の徒歩圏よりも短く、代わりに交差部の滞留スペースが多めに配置された。これにより、冬季の横断待ちのストレスを減らす狙いがあったとされるが、住民側からは『止まれる場所が増えた分、会話も増えた』という皮肉が出回った[6]。
また、区画内の管理方式は「温度帯別ルール」と呼ばれる概念で整理された。たとえば、日陰区画では通路の除雪作業を通行帯に応じて段階化し、午前7時の巡回を“観測のみ”と位置付けた。巡回員は路面を直接削らず、気温・凍結指数・積雪粒子の種類を記録することで、以後の削り幅を自動決定する手順が採用されたとされる[7]。この“記録優先”は、のちの行政監査で一部が「生活者から見て分かりにくい」と批判される原因にもなった。
歴史[編集]
構想期:北都公社と『反論の制度化』[編集]
構想はが所管した第3次地域総合計画の付帯事業として立ち上げられた。公社の内部資料では、ニュータウンの合意形成を“反対が出る前提”で設計するとされ、会議の進行は『反論→しかし→代替案→しかし→同意』という反復構造で運用されたという[8]。
この会議進行が、名称にも反映されたとする説明がある。すなわち、反対意見を封じるのではなく、必ず次の文章(代替案)に接続させることで合意の形式を整えるのが狙いだった、というのである。実務担当として名前が挙がるのは、都市計画課の渡辺精一郎(当時、仮名とされることもある)であるとされる[9]。一方で、会議台本の原案は東京の民間コンサルタント集団が持ち込んだという噂もあり、当時の関係者の間で説明が食い違ったと記録されている[10]。
造成〜入居:雪の家計簿と『同意の鐘』[編集]
造成は1985年から段階的に開始され、最初の住宅群はの秋に入居が始まったとされる。入居開始までに整備された公共設備は、児童館のほか、丘陵の見通しを確保するための“風向広場”と呼ばれる細長い区画であったとされる[11]。
制度面で象徴的だったのが、雪害対応を会計処理に似せた「雪の家計簿」である。これは、除雪支出を単純に金額で管理するのではなく、削り回数・削り幅・散布材の粒径・回収率を点数化し、次年度の予算配分に反映させる仕組みとされた[12]。点数は“整数で扱えるよう”100点満点に換算され、最も高得点になった年はの84点台であったと語られている。
また中央広場には「同意の鐘」が設置され、一定数の住民が同意した事項のみが“鳴らされる”という儀式があったとされる。たとえば、駐車場の運用変更が可決された日には、自治会長が午前10時12分に鐘を鳴らす決まりだったという細則が残っている。ただし、この鐘の運用は後年、心理的圧力につながるとして一部の住民から苦情が出たともされる[13]。
人口減と運用の変質:しかしが“修正”になる時代[編集]
ピークは入居後10年ほどとされ、計画人口約72,000人に対し、実測では69,840人まで達したとされる(1998年時点)。しかしその後は、丘陵地の通学費負担や職住距離の問題から、流出が増えたとされる[14]。
その局面で、「しかし」を“合意の言い換え”ではなく“運用の修正”として扱う方針が広まった。北都公社は、制度変更を年1回の総会だけで完結させず、夏季の「しかし会議」(正式名称は“臨時運用再点検会”)を追加したという。臨時会議の議題は毎年13項目に固定され、その内訳が『歩行優先』『除雪手順』『ゴミ集積の温度帯』『風向広場の利用規定』などに細分化されたとされる[15]。
この変質が、ある監査報告書では「手続きの増殖」として批判的に記され、別の研究者は「住民自治の成熟」と評価した。結果として、しかしヶ丘ニュータウンは、都市計画の成功例であると同時に、制度運用の過剰精密さの事例として二重の顔を持つようになったとされる[16]。
社会的影響と生活文化[編集]
しかしヶ丘ニュータウンでは、制度が生活言語にまで食い込んだとされる。住民の会話には「しかし」が多用され、結論へ進む前に“調整の理由”を置く文化が形成されたと報告されている[17]。たとえば、買い物支援の曜日変更を巡る話では『しかし、雪が強い日は』という条件節が自然に会話へ組み込まれたとされる。
教育面では、通学路の選定が“温度帯別ルール”と結びつき、学童が日ごとに歩行導線を確認する慣行ができた。学校側はそれを「気象読解の授業」として取り込み、冬の観測記録を理科の単元にした。北都公社はこれを推奨し、観測ノートに押されるスタンプ数が学期成績の一部として扱われたとされる[18]。
一方で、生活者の実感としては“記録の量が増える”負担が指摘された。除雪当番の住民が、点数化された家計簿の入力作業に1回あたり平均で18分かかったという証言があり、これが共働き世帯の離脱要因になった可能性があるとされる[19]。ただし同時に、運用の見える化によって自治会の紛争が減ったという反論もあり、結果は単純でなかった。
批判と論争[編集]
もっとも頻繁に出た批判は、同意手続きと儀式が“心理的負担”になった点である。先述の同意の鐘については、可決事項の範囲が次第に拡大し、最終的に「生活の微調整まで鳴らすのか」という不満が出たと報告される。自治会の議事録では、鳴らされた回数が年平均で26.7回(〜の平均)とされ、住民の間で『鐘がならない日は、むしろ不安になる』という冗談が広まった[20]。
また、雪の家計簿の点数化についても、統計の単位設計が問題視された。監査側は、除雪作業の成果を「凍結指数の低下幅」で計測している点が現場感覚とズレると指摘した。一方で公社側は、現場感覚を含む“複合評価”として正当化したが、評価項目の重みづけが外部に公開されにくかったことが批判につながったとされる[21]。
さらに、計画当初から掲げられた『安心の両立』が、結果として“運用に安心を依存する体質”を生んだのではないかという論点が立った。ある社会学者のメモでは、しかしヶ丘の安心は「制度が守ってくれる」安心ではなく、「制度を守るために頑張る」安心になっていた可能性があると述べられた[22]。この指摘は、住民から半分だけ支持され、半分だけ否定されたとされる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 北光都邑整備公社『しかしヶ丘ニュータウン計画書:第3次地域総合計画付帯編』北光出版, 1983.
- ^ 鈴木久志『丘陵造成と雪害運用の点数化:雪の家計簿の設計思想』Vol.12, 第3巻第1号, 北方都市工学会誌, 1994, pp. 41-63.
- ^ 渡辺精一郎『合意形成における接続語の制度設計:会議進行台本の実務記録』都市行政研究, 第8巻第2号, 1989, pp. 105-127.
- ^ Marge T. Haldane『Institutionalized Disagreement in Suburban Planning: A Comparative Note』Planning Review, Vol.36, No.4, 2002, pp. 221-239.
- ^ 佐々木礼子『歩行優先設計と冬季滞留空間の心理効果』日本建築学生活論集, 第27巻第9号, 2001, pp. 777-801.
- ^ 北都公社監査対策室『雪の家計簿点数の監査実務(暫定版)』内規資料, 2004, pp. 12-19.
- ^ 山根あかね『「同意の鐘」の社会心理学:住宅地儀礼の再検討』社会心理研究, Vol.19, No.1, 2006, pp. 1-21.
- ^ 工藤勝彦『ニュータウン運用の変質と住民自治:臨時運用再点検会の事例分析』北海道地方行政年報, 第52号, 2010, pp. 33-58.
- ^ 『全国除雪運用データブック(北方版)』日本雪氷環境協会, 1999, pp. 203-210.
- ^ Hiroshi Tanaka『Microtopography and Urban Microclimate Policies』International Journal of Urban Climate, Vol.7, No.2, 2012, pp. 88-105.
外部リンク
- 北光都邑整備公社アーカイブ
- 雪の家計簿オンライン解説室
- 同意の鐘・住民史ギャラリー
- 北方都市工学会の関連資料
- 温度帯別ルールQ&A