せせらぎハイツ八號塔501號室連続失踪事件
| 発生時期 | 1987年11月 - 1992年3月 |
|---|---|
| 発生場所 | 東京都武蔵野台地西縁・せせらぎハイツ八號塔 |
| 被害 | 失踪者推定14名、関係者28名 |
| 原因 | 未解明(501號室位相ずれ説など) |
| 関係機関 | 警視庁立川中央署、都営住宅管理公社 |
| 別名 | 501号室案件、八號塔消失簿事件 |
| 特徴 | 同一住戸でのみ連続的に失踪が記録された |
| 後日談 | 1994年に管理台帳が再編され、事実関係が一部不明化 |
せせらぎハイツ八號塔501號室連続失踪事件は、西部の郊外団地群に建設された八號塔のを中心に、居住者が短期間のうちに相次いで姿を消したとされる一連の事件である。住戸の構造、管理規約、住民票の移動記録が複雑に絡み合った都市怪異事件として知られている[1]。
概要[編集]
本事件は、末期から初期にかけて、八號塔のに入居した者が、数日から数か月のあいだに相次いで失踪したとされる都市事件である。住民票上は転出、管理台帳上は空室、しかし郵便受けには生活の痕跡が残り続けるという異常な整合性の悪さが、事件の特異性を際立たせた[2]。
当初は単なる無断退去や家賃滞納として処理されていたが、立川中央署の生活安全課が1989年に内部資料「八號塔住戸遷移表」を作成したことで、同一号室にのみ失踪が集中している事実が注目された。後年、、、の交差領域で研究対象となり、現在では「住戸起点型失踪現象」の代表例とされることがある[3]。
発生の経緯[編集]
八號塔はにの外郭団体によって竣工した12階建ての集合住宅で、501號室は北東角の吹き抜けに面した特殊区画であった。設計担当のは、当時流行していた省エネルギー設計を採用し、共用廊下の通気を確保するために501號室の玄関前だけを0.8メートル張り出させたが、この「半歩出た玄関」が後年の異常の起点になったという説がある[4]。
最初の失踪記録は12月、会社員のが「夜勤明けに戻らない」として届け出られた件である。翌月には単身者の、さらに4月には老母と同居していたが消えたとされ、いずれも家財の一部、靴、洗面用具、そしてなぜか郵便局の不在票だけが残されていた。管理人の証言によれば、失踪の前夜には必ず501號室のインターホンが3回、間を置いて2回鳴る音が聞こえたという[5]。
失踪の構造[編集]
住民票と実体のずれ[編集]
事件を複雑にしたのは、失踪者の多くが警察上は行方不明、区役所上は転出、上は配達継続という三重状態に置かれていたことである。とくに以降、住民異動届の受付番号が501號室分だけ妙に連番になっていたことから、区役所の事務職員が「同じ人が何度も引っ越してくるように見えた」と回想している[6]。
この不整合は、後にで争われた損害賠償請求訴訟の資料からも確認されるが、判決文では「実在性の確認が困難」とだけ記され、核心には触れられなかった。なお、同事件の記録には、失踪者の一人が転出先としての架空地名を申告していた形跡があり、捜査員を混乱させたとされる。
501號室位相ずれ説[編集]
都市伝承研究家のは、501號室が通常の住戸ではなく、建物全体の「共用配管の節目」に位置するため、一定条件下で人間の生活リズムが建物外へ滑り出すとする位相ずれ説を提唱した。彼女の調査では、失踪の前後3日間に浴室排水音が通常の2.4倍記録され、また玄関マットの摩耗方向が毎回東南東に偏っていたという[7]。
この説は一部の研究者から「文学的である」と批判されたが、事件を民俗学的に理解するうえで広く引用されている。実際、八號塔では501號室のみ壁厚が他室より11ミリ薄く、冬季の結露が極端であったことから、居住者の心理的不安が失踪を誘発したという現実的な説明も併存している。
捜査と公的対応[編集]
は1990年に特別調査班「八號塔生活動線確認班」を編成し、延べ47名の聞き取り調査を行った。だが、住民の証言は「白い封筒を持った男を見た」「エレベーターが5階で必ず1秒止まる」など断片的で、物証は501號室の押し入れ奥から見つかった古い規格の鍵束13本のみであった[8]。
また、は安全対策として501號室のドアノブを3回交換し、照明を昼白色から電球色へ変更したが、失踪件数に有意な減少は見られなかった。むしろ、交換後の半年間に限って「入居したはずの人物が契約書上だけ残る」現象が増加し、記録係が夜間に台帳のページ番号を数え間違えるという事態が相次いだ。
事件の広がり[編集]
本事件は、やがて全国紙の三面記事や深夜ラジオの怪談番組を通じて拡散し、初期の集合住宅不安を象徴する題材となった。とくに夏の『都市の部屋』特集では、の元ディレクターが「現代版かぐや姫」と評したことから、文学・テレビ・オカルト雑誌の三方面で取り上げられた[9]。
一方で、事件を模した模倣行為も発生し、各地の賃貸広告に「501号室は避けるべき」という噂が付随するようになった。これに対し不動産業界は、501番台の部屋番号に対する心理的忌避を「五階後部症候群」と呼び、内装色を明るくすることで回避を図ったが、八號塔の影響はやの団地名にも飛び火したとされる。
批判と論争[編集]
事件の実在性については、当時から「単なる記録ミス」「転居の追跡不能案件に過ぎない」とする批判が根強い。とりわけ都市社会学研究室のは、失踪者14名のうち実名確認が取れたのは9名のみであり、残る5名は管理会社の仮登録番号ではないかと指摘した[10]。
ただし、反対派であるの初代会長は、1993年の講演で「失踪とは人間が空間に対して行う最終的な退去である」と述べ、事件を記録の問題に還元する態度を批判した。なお、この講演録には、質疑応答の途中で会場の照明が3分間だけ落ちたという記述があり、要出典とされることが多い。
後世への影響[編集]
事件後、の設計指針には「単一住戸への苦情集中を避けるための分散確認条項」が盛り込まれ、全国の管理組合で「501号室チェック」が慣例化した。これにより、郵便受けの向き、排水音、玄関の張り出し寸法まで点検対象となり、住宅点検文化が一段と細分化したとされる[11]。
また、都市伝承としては、同事件を題材にした『501号室の午後』や、のノンフィクション風小説『八號塔の鍵』が刊行され、いずれも一定の人気を得た。もっとも、後年の研究では、これらの作品が事件そのものを記録したのではなく、事件を口実に「部屋番号に宿る不安」を商品化したものだとする見方が有力である。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 松浦和彦『八號塔調査報告書』立川文化出版社, 1994.
- ^ 江口修司『都市住戸と記録の裂け目』東京社会学会誌, Vol.12, No.3, pp.44-61, 1996.
- ^ Rebecca L. Horn, "Serial Vanishings in Planned Housing Estates", Journal of Urban Folklore, Vol.8, No.2, pp.113-129, 2001.
- ^ 中川玲子『団地怪異学序説』新潮社, 1998.
- ^ Arthur Bennett, "Room 501 and the Theory of Spatial Drift", Proceedings of the British Association for Paranormal Housing, Vol.4, pp.7-19, 2003.
- ^ 東京都住宅供給公社『八號塔建築図面集成』内部資料, 1978.
- ^ 西園寺玲子『失踪の民俗誌』岩波書店, 2005.
- ^ 有賀慎一『都市の部屋――テレビが記録しなかったもの』NHK出版, 1992.
- ^ 松原千景『位相ずれする家』講談社現代新書, 2008.
- ^ 小林志保『501号室案件とその周辺』警察大学校研究紀要, 第17巻第1号, pp.201-233, 2011.
外部リンク
- 八號塔資料室
- 日本失踪学会アーカイブ
- 都市怪談研究センター
- 立川生活史デジタル図書館
- せせらぎハイツ保存会