ぜら
| 名称 | ぜら |
|---|---|
| 読み | ぜら |
| 英語表記 | Zera |
| 初出 | 1908年頃 |
| 提唱者 | 渡辺精一郎 |
| 分野 | 理化学・都市衛生・民俗研究 |
| 関連地域 | 東京府、横浜港、神戸港 |
| 主要文献 | 『境界保持反応論』 |
| 象徴的施設 | 芝浦臨海試験所 |
ぜらは、末期の理化学講座で用いられた仮説的な「境界保持反応」を指す語である。後に後の都市再編と結びつき、の衛生行政と民間信仰の双方に影響を与えたとされる[1]。
概要[編集]
ぜらは、物質が特定の温湿度条件下で「内と外の性質を曖昧に保つ」現象、またはその現象を人工的に再現する試みを指すとされる用語である。元来はの化学実験室で使われた専門語であったが、のちにの防疫計画や家庭用保存技術に転用された。
一方で、ぜらは単なる学術用語ではなく、やの露店文化において「崩れないのに固まらないもの」を指す俗語としても広まった。1920年代には、ぜらを応用したと称する菓子、紙袋、漆器用下地材が相次いで登場し、新聞紙面では「ぜら景気」と呼ばれる小規模な流行が記録されている[2]。
歴史[編集]
起源[編集]
ぜらの起源は、理化学講師の渡辺精一郎がの旧実験棟で行った寒天保存の実験に求められる。渡辺は、試料が完全に凝固する直前にわずかな揮発性油を加えると、内部の気泡が「境界面で停止する」ことを見出し、これを「ゼラ界保持」と呼んだ。のちに助手の山岸トメが誤って「ぜら」と略記したことから、語が独立したとされる。
ただし、当時のノートには「zella」「sela」など表記揺れが多く、実際にどの綴りが先だったかは定まっていない。また、渡辺が参考にしたとされる欧州の保存学論文には、そもそも該当語が存在しないとの指摘がある[3]。
普及と転用[編集]
の後、仮設住宅で食器や薬瓶が破損しやすかったことから、内務省衛生局は「ぜら処理」を試験的に導入した。これは木箱の内側に薄い膠質層を塗り、湿度変化によるひび割れを抑える措置で、の倉庫街で月平均1,480箱に適用されたと記録される。
同時期、の輸出検査所では、ぜら処理された陶器が「輸送中に音が鈍い」という理由で高く評価された。これにより、ぜらは衛生技術というより「割れにくさの美学」を表す言葉として独り歩きし、職人の間では「ぜらが通る」と言えば手直し不要の仕上がりを意味するようになった。
制度化[編集]
にはの外郭機関として「臨界保存研究会」が設けられ、ぜらの標準化が試みられた。会合は月2回、の仮会議室で開かれ、会員は合計37名であったとされる。その内訳は理学者14名、衛生官8名、商工業者11名、民俗採集者4名で、最後の4名が毎回議事録を妙に長文化させたという。
この時期に制定された「ぜら三則」は、温度差3度以内、湿度差12パーセント以内、容器角度15度以内で保持せよとするものであったが、現場では「角度15度」という条件だけが妙に独り歩きし、東京の菓子屋で商品陳列の作法にまで転用された。なお、この規格が本当に実施されたかについては、後年の官報に記載がないため異論もある[4]。
理論[編集]
ぜら理論では、物体は完全な硬化や完全な流動ではなく、その中間で外界との接触を最適化する状態を持つとされる。この状態を「ぜら相」と呼び、の振動が表層で棚上げされることにより、見かけの安定性が生じると説明された。
後年の研究では、これは実際には材料科学というより、湿度管理と容器設計の総合技術に近かったと考えられている。しかし当時は、これを「保存の気配」とみなす思想が強く、の茶商やの洋菓子店では、ぜら相を再現するために銅鍋を3回叩いてから冷却する独自儀礼まで生まれた。
また、渡辺の弟子である田所久子は、ぜらの成立に「人の見栄」が関与することを指摘した。すなわち、完全に固いよりも少し不安定に見える方が高級に見える、という消費心理である。この論点は当時の学会では軽視されたが、のちの包装デザイン論に密かに継承された。
社会的影響[編集]
ぜらは都市生活において、壊れやすいものを壊れにくく見せる技術として重宝された。特にの沿線では、ぜら加工の弁当箱と薬箱が「通勤の安心」と結びつき、1930年代前半には市内で年間約27万個が流通したとする試算がある。
また、民間信仰への影響も大きい。下町では、引っ越しの際に壊れ物の箱へ小石を一つ入れると「ぜらが立つ」とされ、の一部では今も年始に石を替える家があるという。これが本当に伝統なのか、戦後の観光向け創作なのかは判然としない。
戦後には、ぜらは直接の製法名としては衰退したが、「中途半端に見えて長持ちする」商品を褒める語として広告に残った。1958年の百貨店催事では、包装紙だけで来場者の43%が購入意欲を示したとされ、宣伝文句に「ぜら的安心感」という表現が多用された。
批判と論争[編集]
ぜらをめぐっては、当初から「科学用語を装った商業用語ではないか」との批判があった。特にの化学者・佐伯末吉は、1929年の講演で「ぜらは実験結果ではなく、職人が不完全な仕上がりを正当化するための便利な言葉である」と述べたと伝えられる。
これに対し、渡辺派は、ぜらの価値は再現性よりも「失敗の管理」にあると反論した。もっとも、1934年に発表された再現実験では、同一条件でも成功率が18%から74%までぶれたため、学術的評価は大きく揺らいだ。なお、実験室の湿度計が故障していたとの記録もあり、ここが一番の要出典箇所とされる。
さらに、民俗学の分野では、ぜらを古来の「境界信仰」の一形態とみなす説も提出されたが、採集例の多くが昭和後期の聞き書きであることから、後世の解釈が混入した可能性が高い。
現代における位置づけ[編集]
21世紀に入ると、ぜらは学術用語というより、デザインや食品保存の文脈で再評価された。にはの共同研究で、ぜら処理に類似した多層包装が災害備蓄に有効であると報告され、自治体向けカタログに採用された。
また、SNS上では「ぜらっぽい」という形容が、完成度は高いがどこか説明しにくい物事を指す隠語として流通した。東京都内の若年層を対象にした調査では、意味を正確に説明できる者は7%に満たなかったが、響きが良いという理由で使用経験は31%に達したとされる。
このように、ぜらは実体としては曖昧でありながら、都市の保存技術、包装文化、そして説明不能な安心感の記号として長く生き残っているのである。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『境界保持反応論』東京理化書院, 1912年.
- ^ 山岸トメ『ぜらノート抄』本郷出版部, 1915年.
- ^ 佐伯末吉「保存学における概念の逸脱」『化学時報』Vol. 18, No. 4, pp. 211-228, 1929年.
- ^ 臨界保存研究会編『ぜら規格資料集』農商務省外郭刊, 1932年.
- ^ 田所久子「包装と見栄の相関について」『都市生活研究』第7巻第2号, pp. 44-59, 1936年.
- ^ W. H. Candler, “On the Apparent Cohesion of Semi-Set Materials,” Journal of Applied Domestic Science, Vol. 12, No. 1, pp. 3-19, 1937.
- ^ 大沢一郎『震災後東京の衛生技術』東亜文化社, 1949年.
- ^ 横浜港務調査局『貨物振動と陶器評価の関係』港湾資料叢書, 1956年.
- ^ Margaret A. Thornton, “Packaging as a Civic Emotion,” Proceedings of the Anglo-Japanese Material Culture Symposium, Vol. 3, pp. 88-104, 1978.
- ^ 小田切瑞穂『民俗工学の系譜』青潮社, 2008年.
外部リンク
- ぜら史料アーカイブ
- 臨界保存研究会デジタル館
- 芝浦臨海試験所年報コレクション
- 本郷理化学旧蔵資料室
- 都市包装文化研究センター