そろそろ、手帳に、万博を。
| 名称 | そろそろ、手帳に、万博を。 |
|---|---|
| 読み | そろそろ、てちょうに、ばんぱくを。 |
| 別名 | 万博挿入式手帳法、EXPO PLANNING |
| 発祥 | 1970年代後半・大阪文具見本市周辺 |
| 提唱者 | 関西記帳振興会、田所信一郎ら |
| 用途 | 予定管理、目標設定、空白欄の装飾 |
| 特徴 | 会期・パビリオン・来場導線を模した記述 |
| 影響 | 手帳業界、自己啓発誌、地域振興スローガン |
| 関連機関 | 日本文具工業連合会、万年筆文化研究会 |
そろそろ、手帳に、万博を。は、の手帳文化において、年間計画の余白に的な発想を注入するために用いられる標語、またはその標語を中心に発展した記入様式である。元来はの文具卸商組合が提唱したとされ、のちにの手帳愛好家団体により体系化された[1]。
概要[編集]
「そろそろ、手帳に、万博を。」とは、の月間ページや週間ページに、単なる予定を書き込むのではなく、会場動線・展示テーマ・来場者数想定などを比喩的に配置する独特の記入思想である。実務上は予定の整理法であるが、実践者の間では「人生の各月を一つのとして扱う」ことが重視される。
この表現は、のを直接の起源とする説が長らく流布していたが、実際には52年に大阪市内の文具問屋街で行われた「手帳拡張展示会」が先行事例であったとする見解が有力である[2]。ただし、初期の記録は雨漏りで一部が判読不能になっており、現在も研究者の間で解釈が割れている。
標語としての完成形は、1983年にの駅貼りポスターに現れたとされるが、同年の広告代理店内部資料には「そろそろ、予定に、祭典を。」という別案も見つかっている。なお、どちらが先に採用されたかについては、いまだに状態のままである。
歴史[編集]
文具問屋街での原型[編集]
起源はの帳簿紙・手帳カバー卸売業者が、余剰在庫の革表紙を大型イベント風に陳列したことにあるとされる。店頭では、日付欄を「入場ゲート」、メモ欄を「企業パビリオン」と呼び換える試みが行われ、来店客の一部が実際に予定を書いて帰ったという。特に田所信一郎は、1冊の手帳に「午前9時:基調講演」「午後2時:民族衣装館」「夕方:花火実演」と書き込む独自様式を提唱し、これが後の標語の土台になった[3]。
1979年には大阪支部が、記入済み手帳を対象とする小規模コンテストを開催し、応募数は137点であった。優勝作の記入欄には、2月の第3週に「空き地を巨大な回遊路にする」とあり、審査員は「予定表というより都市計画である」と評したと伝えられる。
標語化と普及[編集]
1980年代前半、の編集者・西園寺みづほが、女性向け生活誌『月刊たのしみ手帖』でこの記入法を紹介し、標語を「そろそろ、手帳に、万博を。」と整えた。彼女は連載第一回で、手帳に万博を入れるとは「空白に過密さを、過密さに祝祭性を与えること」であると説明したが、読者アンケートでは42%が意味を理解できなかった。
それでも、1984年頃にはの雑貨店が「万博枠」「国際館欄」「未来館インデックス」を備えた専用リフィルを販売し、月産3,200冊に達したとされる。特に、週末欄だけが極端に大きい「週末パビリオン型」は若年層に人気で、発売から11日で初版が完売したという。
企業導入と行政利用[編集]
1990年代に入ると、内の中小企業を中心に、営業予定の可視化手法として採用が進んだ。ある精密部品メーカーでは、出張計画を「各国館」、納期を「閉幕日」、会議を「アテンダント配置」として記す運用が行われ、会議時間が平均18分短縮したと社内報で報告された[4]。
また、の外郭団体が地方イベントの企画書にこの様式を応用し、来場者導線の項目を「パビリオン巡回率」として記入するテンプレートを配布した。もっとも、担当者の一人は後年「単に見栄えが良かっただけで、行政実務としてはやや過剰だった」と回想している。
様式と運用[編集]
この標語に基づく手帳記入では、通常の「予定」「メモ」「連絡先」に代えて、「会期」「展示テーマ」「来場列」「余韻」の四区分を置くのが基本である。各月の冒頭にはその月の「国家館名」を自作し、たとえば4月を「新緑館」、8月を「冷房分館」と呼ぶ流儀が広まった。
特に愛好家の間で知られるのが「導線の逆転」である。これは、予定を時系列ではなく、会場を回遊する順に書き込む方法で、たとえば1日の流れを「朝の開門→昼の混雑→夕方の物販→夜の撤収」と表現する。結果として、通常の手帳よりも予定が壮大に見えるが、実際の行動はコンビニと郵便局しか往復していないことも多い。
なお、1987年版の実践マニュアルには「一週間に一度は未定館を設けること」と記されているが、この項目は後年の編集で「未定欄の美学」と改題された。研究者の中には、ここにの先送り文化と祝祭願望が最も端的に表れていると指摘する者もいる。
社会的影響[編集]
流行の最盛期には、売り場に「万博対応」という表示が付くことがあり、の大型文具店では関連商品の売上が前年同期比で27%増加したとされる。特にとの相性がよいとされ、インクの色を展示館ごとに変える「館別色分け」が一部の文化人に支持された。
一方で、教育現場では「予定を過大に盛る」傾向を助長するとの批判もあった。大阪市内の私立中学校では、提出される週間計画の約3割が「国際交流会議」「未来技術視察」など実態不明の項目で埋められていたため、教師が「内容のない会期は認めない」と注意した記録が残る[5]。
また、2005年以降はデジタル手帳アプリへの移植が進み、画面上に仮想パビリオンを配置する「デジ万博」機能が実装された。ただし、通知が多すぎて本来の予定が見えなくなるという本末転倒も頻発し、利用者の半数近くが3週間以内に通常表示へ戻したという。
批判と論争[編集]
批判の中心は、この標語が予定管理を「祝祭化」しすぎる点にある。とりわけ、研究者の安藤静子は、2011年の論文で「万博は本来、有限の会期を前提とするが、手帳は無限に更新される。両者を結びつけることは、時間感覚を過度に展示産業へ従属させる」と論じた[6]。
これに対し、愛好家側は「人はそもそも、締切を美しく見せる必要がある」と反論した。また、関西地方の一部書店では、標語を誤って「そろそろ、手帳で、万博を。」と印刷した限定カバーが出回り、むしろこちらの方が語感がよいとしてコレクター市場で高値を付けた。なお、この誤植版は現在もの古書店で時折見つかるというが、実物確認例は少ない。
著名な実践者[編集]
実践者として最もよく知られるのは、エッセイストの高瀬理央である。彼女は毎年1月、手帳の見開きに「開幕セレモニー」を書き、そこから年度末までの予定を来場者動線として再設計することで知られた。特に2016年版では、花粉症の通院予定にまで「屋外展示・天候注意」の注記を付し、読者から「過剰に丁寧である」と評された。
ほかに、の和紙職人・村瀬兼次は、万博用に特注した蛇腹式手帳を制作し、1冊を完全に開くと全長3.4メートルに及んだ。彼は「手帳は持ち歩く会場図である」と述べたが、通勤電車では広げられず、結局は自宅の食卓でしか運用できなかったという。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 田所信一郎『手帳に展示を入れる技法』関西記帳出版、1981年、pp. 14-39.
- ^ 西園寺みづほ「標語化する予定表文化」『月刊たのしみ手帖』Vol. 12 No. 4、1983年、pp. 22-31.
- ^ 安藤静子『祝祭としてのスケジュール』青潮社、2011年、pp. 88-104.
- ^ 村瀬兼次「蛇腹式手帳と回遊性」『和紙工芸研究』第8巻第2号、1994年、pp. 5-19.
- ^ Margaret L. Thornton, “Expo Logic in Planner Design,” Journal of Popular Ephemera, Vol. 7 No. 1, 1998, pp. 61-79.
- ^ Ichiro Nakamata, “The Daypage as Pavilion,” The Bulletin of Applied Calendar Studies, Vol. 3 No. 4, 2006, pp. 201-218.
- ^ 高瀬理央『予定を祝う人々』河原書房、2017年、pp. 44-67.
- ^ 渡辺精一郎「万博挿入式手帳法の初期伝播」『文具史研究』第21巻第3号、1999年、pp. 113-129.
- ^ S. Kuroda, “When a Schedule Becomes a Fairground,” Planning Quarterly, Vol. 14 No. 2, 2014, pp. 9-26.
- ^ 中村佳代子『デジタル手帳の奇妙な未来館』東洋文庫社、2020年、pp. 155-171.
外部リンク
- 関西記帳振興会アーカイブ
- 万博手帳研究所
- 月刊たのしみ手帖デジタル館
- 文具と祝祭の小資料室
- デジ万博利用者会