たらい回し
| 名称 | たらい回し |
|---|---|
| 別名 | 責任移送式応対、回転応接 |
| 起源 | 江戸後期の湯屋業界と寺社奉行の応対作法 |
| 成立地 | 東京都浅草周辺 |
| 主な担い手 | 役所、病院、鉄道駅、郵便窓口 |
| 全盛期 | 1950年代 - 1980年代 |
| 象徴物 | 木製のたらい、受付札、転送印 |
| 関連制度 | 責任分散規程、巡回応対票 |
たらい回し(たらいまわし、英: Rim Passing)は、末期にの浴場文化との応対手順が結びついて成立したとされる、責任・用件・人物を順次別部署へ移していく慣行である。特に後期以降は、官庁・病院・駅窓口などで広く運用されたとされ、近代日本の非公式な情報流通技術の一つとして知られている[1]。
概要[編集]
たらい回しは、最初に受けた者が案件を自ら処理せず、相手を別の担当へ案内し続けることで、結果として用件が円環状に戻ってくる現象を指す。現代では否定的な意味で用いられるが、元来はの混雑整理において「ひとつのたらいを順に回す」実務から転じたともいわれる[2]。
この慣行は、やの窓口文化だけでなく、、、の案内所にも浸透したとされる。とりわけ30年代には、窓口の壁に「この件は向こうへ」と書かれた木札が常備されていたという証言が複数残るが、木札の所在については異論もある[3]。
歴史[編集]
江戸後期の湯屋起源説[編集]
もっとも有名な説では、年間にの共同浴場で、湯をためた木製のたらいを衛生上の理由から一人ずつ回していた習慣が、客案内にも応用されたとされる。『湯桶番付控』という写本には、応対を受けた者が次の番台へ「たらいを渡す」仕草を真似た記録があり、これが言い回しの始まりであるという[4]。
ただし、同時代の番台帳にはそのような語は見当たらず、史料編纂所の一部研究者は「後世の編集である可能性が高い」と指摘している。とはいえ、期の銭湯見取り図に、やけに大きなたらいが受付横に描かれていることから、完全な否定もされていない[5]。
明治期の官庁制度化[編集]
12年、の仮庁舎で「応対順送り制」が試験導入され、担当外案件を他課へ回すための回転札が採用された。これが事実上の制度化の契機となり、当時の職員であったは、日誌に「一件を移せば二件戻る。まことに円環の政務なり」と記したとされる[6]。
1902年にはの各区役所で「三回まで受け、四回目で係長に返す」という内規が整備され、これをもって近代的たらい回しの完成とみなす説が有力である。一方で、同時期の新聞はこれを「市民にとっては不便、役人にとっては美徳」と皮肉っており、社会的評価は当初から割れていた。
戦後の拡大と黄金期[編集]
以降、・・の三者が「案内責任の相互補完」を名目に連携したことで、たらい回しは全国的に標準化された。1958年の調査では、都市部の窓口利用者のうち約41.6%が「少なくとも2回は別窓口を案内された」と答えたとされ、1983年にはでその割合が57.2%に達したという[7]。
この時期、案内係の間では「一回で終わる件は浅い件、三回で終わる件は良件」とする謎の格言が流行した。また、では迷子対応のために専任の「回転案内員」が配置され、午後3時台に最も高い回転率を記録したとされるが、統計の取り方がかなり雑である。
社会的影響[編集]
たらい回しは、市民の不満を増幅させる一方で、日本の組織文化における「責任の所在が見えにくい構造」を象徴する語として定着した。民俗学者のは、たらい回しを「失敗の共有ではなく、失敗の循環である」と定義し、これが戦後官僚制の隠れた運用原理になったと論じている[8]。
また、1980年代には企業の研修資料にも取り入れられ、の大手商社では新人教育の一環として「たらいを落とさずに次部署へ渡す」模擬演習が実施されたという。演習では1時間あたり平均8.4回の部署移送が発生し、受講者の半数以上が「どこに戻せばいいのか分からなくなった」と回答した。
一方で、地域差も大きく、では丁寧な方言応対により「たらい回しに見えて実は段取り」である場合が多かったとされる。これに対しでは勢いよく次窓口へ押し出すため、利用者が自力で戻ってくる率が高かったという。
たらい回しの類型[編集]
縦型たらい回し[編集]
最も一般的な形式で、→→→と上位へ転送され、最後に最初の受付へ戻る循環構造を持つ。1947年の『全国窓口運用年報』によれば、平均循環回数は2.7回で、冬季には暖房目当てに3.1回まで上昇したとされる[9]。
横型たらい回し[編集]
同格部署間での転送を指し、の「内科ではありません、外科へどうぞ」が代表例である。特にが発達した1970年代以降に増加し、院内放送で「お探しの件はB棟のC窓口へ」と繰り返す独特のリズムが生まれた。
時間差たらい回し[編集]
即時の責任転送ではなく、翌営業日・翌週・来月へと持ち越す形式である。都内のある区役所では、書類に赤インクで「再来週再検討」と押すだけで年間約12,000件を処理したとされ、効率性の高い文化技法として内部では評価されていた。
批判と論争[編集]
たらい回しをめぐっては、行政サービスの不透明性を助長したとして、の国会審議で激しい批判が行われた。これに対し、当時の行政改革推進局は「案件の適切な熟成過程である」と反論し、かえって炎上を招いた[10]。
また、1994年にはの報道番組が「たらい回しゼロ窓口」を紹介したが、放送当日にその窓口が混雑し、逆に三段階の誘導を要したため、視聴者から「実演がいちばんの証拠」と揶揄された。なお、研究者の間では、たらい回しは単なる怠慢ではなく、過剰集中を避けるための古典的負荷分散であったという再評価も進んでいる。
研究と保存運動[編集]
に入ると、たらい回しは負の遺産としてではなく、近代日本の組織設計を示す文化資源として研究対象化された。の社会情報学研究室では、実地調査として役所・病院・駅での転送経路を可視化し、最長で17拠点を経由する「超回遊型たらい回し」の存在を確認したと報告している[11]。
さらに、の一部自治体では、歴史的資料として木製たらいと受付札を保存する運動が始まり、2021年にはの旧庁舎で「たらい回し資料展」が開催された。来場者の感想欄には「懐かしいが二度と体験したくない」といった、極めて妥当な反応が多数寄せられた。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『回転応接の成立と変容』中央公論新社, 1998.
- ^ 小野寺瑞枝『窓口文化史序説』岩波書店, 2007.
- ^ Harold J. Whitcombe, "Circular Referral in Modern Bureaucracy", Journal of East Asian Administration, Vol. 12, No. 3, 1986, pp. 44-79.
- ^ 佐伯直人『役所案内の民俗学』平凡社, 2011.
- ^ Margaret A. Thornton, "Pass-the-Basin: Administrative Loops in Postwar Japan", Administrative History Review, Vol. 8, No. 1, 1993, pp. 101-126.
- ^ 『湯桶番付控』東京史料出版会, 1964.
- ^ 中村耕太『転送印の研究』日本評論社, 2020.
- ^ Atsushi Kanda, "The Sociology of Being Referred Again", Nippon Review of Social Systems, Vol. 5, No. 2, 2002, pp. 15-38.
- ^ 高橋倫子『たらい回しとその周辺』新潮社, 2015.
- ^ 『全国窓口運用年報 昭和22年度版』行政資料研究所, 1947.
- ^ John P. Ellison, "When One Desk Won't Do", Bureaucratic Studies Quarterly, Vol. 19, No. 4, 2005, pp. 233-258.
外部リンク
- 全国たらい回し史料館
- 窓口循環研究会
- 回転応接アーカイブ
- 日本たらい回し学会
- 浅草行政文化データベース