逆トイレ
| 名称 | 逆トイレ(ぎゃくといれ) |
|---|---|
| 種類 | 多用途儀礼兼展示施設(旧称:逆方向実用館) |
| 所在地 | 茨城県北霞郡逆河町 |
| 設立 | 54年(1979年) |
| 高さ | 19.7 m(屋上“交換窓”まで) |
| 構造 | 鉄筋コンクリート造、一部免震床(偽装) |
| 設計者 | 設計組合〈霞郡動線研究会〉渡辺精一郎 ほか |
逆トイレ(ぎゃくといれ、英: Reverse-Toilet Pavilion)は、にある[1]。現在では、非常口標識に由来する独特の動線設計と、住民参加型の“用途転換”文化で知られる[1]。
概要[編集]
は、単に排泄機能を備える建築ではなく、排泄以外のあらゆる行為を“主目的”として成立させる逆転設計を特徴とする建造物である[1]。
施設理念は「用を足す前に、用の定義を足す」という言い回しに要約され、来館者は入口で“使う予定の行為”を申告し、案内係が動線を組み替える仕組みとされる[2]。
現在では、地域の祭礼・講習会・即席の商談・迷子の保護までを一つの屋内文化として取り込み、排泄を“しないで済む安心”を展示する場として運用されていると説明される[2]。ただし、設計当初は実際の衛生目的が隠されたまま進められたとも指摘される[3]。
名称[編集]
名称の「逆」は、トイレという語の語感を反転させた言葉遊びであり、当時の町役場が掲示した公募要項に由来するとされる[4]。
一方で、施設の正式名称は「逆河町逆方向実用館」であったが、周辺の屋台が“逆トイレ”と呼び始めたことで通称が優勢になったとされる[4]。
地元の掲示板では、逆トイレの由来として「非常口の矢印だけが逆向きだった日がある」という伝承が語られている[5]。この伝承は、実際の設計図には該当箇所が見当たらないものの、当時の工事日誌に“矢の誤植”として一度だけ記録があると紹介されている[5]。
沿革/歴史[編集]
構想(“用途の逆流”計画)[編集]
北霞郡の逆河町では、昭和初期から「駅前の空地で相談事が途切れ、口論だけが残る」という苦情が多かったとされる[6]。その対策として、1970年代に入ると“行為別の小部屋”を一体化する発想が生まれた[6]。
町の要請を受けたは、動線を直線でなく円環にする案を提出したとされる[7]。同会は、円環の中心を「排泄動作の記号」ではなく「思考動作の記号」に置くことで、施設全体が“会話のための器”に転用されると提案したと記録されている[7]。
建立と“交換窓”の成立[編集]
は54年に着工し、工期は1年11か月、総予算は当初で計画されたとされる[8]。ただし、途中で内装仕様が増え、予算が合計へ膨らんだとも記載される[8]。
完成後の象徴が屋上のである。交換窓は“持ち物を渡す窓”ではなく、“来館者の行為申告を交換する装置”として運用されると説明された[9]。しかし実際には、交換窓の裏側に衛生備品を隠匿していたとする証言も残っている[9]。
さらに、当初設計には非常口標識の向きを“反転”させる規定が盛り込まれていたが、保健当局の指導により矢印をそのままにしたまま壁面だけを回転させたとされる[10]。このため、来館者には「矢印だけが逆に見える日がある」という体験談が広がったとされる[10]。
施設[編集]
は地上2階建てで、1階は「待つ」「読む」「話す」「詫びる」といった行為群を受け入れる区画として運用される[11]。2階は“用途の例示”を展示するギャラリーであり、申告がない場合は自動的に「即席の講義」モードへ切り替わるとされる[11]。
建物内部には、一般的な便器配置に相当する位置へ、布地のスクリーンと投影装置が組み込まれたと説明される[12]。これにより、来館者が排泄を連想しにくい心理的距離が作られていると解釈されている[12]。
また、床面の意匠としてが一周している。これは“歩行の周期”を可視化するもので、行為申告の用紙が置かれるたびに、床の反射率がになる仕掛けがあるとされる[13]。もっとも、電源系統が改修された現在では、当時のが再現されていないという内部関係者の証言もある[13]。
建築的には、鉄筋コンクリート造に見えるが、免震床を“隠す”ために重量のある飾り板が敷かれているとされる[14]。この点は、耐震性の説明よりも“儀礼の重さ”を優先したという批評に結びついている[14]。
交通アクセス[編集]
への最寄りは、町外れの架空駅「」である。徒歩所要は約とされ、案内板には“逆向きの矢印に従え”と書かれているという[15]。
自家用車の場合は、を終点方面へ進み、の裏手を左折すると到達すると説明される[15]。なお、駐車場は分が確保されているが、繁忙期には来館者の“用途申告”を受けるために、半数が臨時の待機スペースへ転用されるとされる[16]。
バスはが、朝・昼・夕の3便のみ運行する。運行時間はおおむね「9:40、13:10、16:30」で、遅延時には案内係が越しに乗車手続きを代行すると案内されることがある[16]。
文化財[編集]
は、建築史の文脈からは単なる遊戯施設と見なされがちであるが、町の独自基準により「動線儀礼建造物」として登録されている[17]。
の内部資料では、施設の外壁に残る“誤植痕”が意匠価値として扱われ、昭和末期の登録文化財相当として保存対象になったとされる[17]。具体的には、非常口標識の矢印の取り替え痕が、現在もの裏側に残されていると説明される[18]。
さらに、屋上周辺の床タイルが、当時の試作材「霞郡反射化粧材」であるとして、保存会が年1回の清掃儀礼を行うとされる[18]。ただし、試作材の由来については「防湿目的だった」という説と、「来館者の行為選択を誘導する心理設計だった」という説が併存すると指摘されている[19]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 逆河町教育委員会『逆河町における動線儀礼建造物の記録(昭和編)』逆河町役場, 1986.
- ^ 渡辺精一郎「逆方向実用館の心理動線設計に関する覚書」『建築動線研究』第12巻第3号, pp. 41-58, 1980.
- ^ Margaret A. Thornton, "Ritualized Circulation in Municipal Micro-Architecture" Vol. 7, No. 1, pp. 88-103, 1982.
- ^ 霞郡動線研究会編『円環化する施設管理』霞郡出版, 1978.
- ^ 鈴木みどり『住民参加型公共施設の運用実態』霞央学術出版社, 1991.
- ^ 北霞保健局『衛生目的を隠した建築運用に関する監査報告』北霞保健局, 1983.
- ^ 中村啓太「誤植が生む伝承——非常口標識の逆転をめぐって」『地域建築史通信』第5号, pp. 12-27, 1996.
- ^ 逆河町『逆河町史資料集(工事日誌補遺)』逆河町役場, 2004.
- ^ Akira Sato, "Symbolic Windows and the Sociology of Purpose" 『Urban Objects Review』Vol. 19, No. 4, pp. 201-219, 2001.
- ^ 施設保存会『霞郡反射化粧材の清掃儀礼』施設保存会叢書, 2012.
外部リンク
- 逆河町逆トイレ保存会
- 茨城動線アーカイブ
- 霞郡コミュニティバス時刻表
- 北霞逆河停留場案内板写真館
- 用途申告システム研究室