ちろろんの駆け込み寺
| 作品名 | ちろろんの駆け込み寺 |
|---|---|
| 原題 | Chiroron’s Emergency Temple |
| 画像 | ChiroronEmergencyTemplePoster.png |
| 画像サイズ | 240px |
| 画像解説 | 門前で鈴を鳴らすちろろん。パンフには「駆け込みは救急だ」と記された。 |
| 監督 | 渡辺精一郎 |
| 脚本 | 渡辺精一郎 |
| 原作 | 渡辺精一郎(連載脚本) |
| 製作 | 金蓮寺フィルム / 常滑放映製作委員会 |
| 配給 | 尾張映像興業 |
『ちろろんの駆け込み寺』(ちろろんのかけこみでら)は、[[1989年の映画|1989年4月21日]]に公開された[[金蓮寺フィルム]]制作の[[日本]]の[[時代劇]]の[[アニメーション映画]]である。原作・脚本・監督は[[渡辺精一郎]]。興行収入は12.4億円で[1]、[[文化筆祭]]の最優秀音響賞を受賞した[2]。
概要[編集]
『ちろろんの駆け込み寺』は、揉め事を抱えた人々が駆け込む“即応の寺”を描いた、[[金蓮寺フィルム]]制作の[[日本]]の時代劇アニメーション映画である。作品内に登場する鈴の音は、当時の館内アナウンスにも採用されるほど象徴性が高いとされる。
企画は[[渡辺精一郎]]が、当時の子ども向け紙芝居番組の裏方で「泣き声が止まる“合図”」を研究していたことに端を発すると記録される。のちに寺院の鐘楼を摸した試作模型が[[静岡県]][[浜松市]]の見本市で展示され、観客が「音が先に届く」と評したことから、音響主導の絵作りへと発展したとされる[3]。
なお、公開日の4月21日は、脚本が完成した“駆け込み当日”として劇中の年号にも転用されたとされるが、実際の製作会議の議事録は存在しないという指摘もある[4]。この種の「欠損資料の神話」は、後年のオタク的考察の火種になったとされる。
あらすじ[編集]
江戸から少し遅れた町並みを持つ架空の[[常滑]](とこなめ)では、夜ごとに“泣き止みの帳”が破られ、訴えを握りつぶす役人が増えると噂された。そこへ、丸い背に小さな鐘を抱えた[[ちろろん]]が現れ、「嘘でもいい、ただ今だけ助ける」と告げる。
寺はただの宗教施設ではなく、正確に言えば“応急の手続き所”である。駆け込んだ者は、[[住職]]の前で「言い分を三回だけ繰り返す」ことで、心の動揺が翻訳される仕組みになっているとされる。翻訳は音で行われ、鐘の打点が一拍遅れた場合は“言い直し”が許可されるというルールが作中で示される。
しかし、寺の仕組みは万能ではない。役人たちは音響設備の周波数を測り、鈴の響きを妨害する“無音の札”を配布する。ちろろんは駆け込み寺を守るため、境内の石段を“リハーサルの階段”として使い、観客が数えたくなるような微細な段差(全37段)を舞台装置に変えていく。
終盤では、無音の札により寺の手続きが止まりかけるが、ちろろんが自分の腹の鐘を自ら鳴らし、手続きだけが先に再開される。最後に誰も救われないのではなく、「救われる順番が入れ替わる」ことが示され、これが当時の批評で“慰めの交換”と呼ばれた。
登場人物[編集]
主要人物[編集]
ちろろん - 物語の案内役で、鈴の音がそのまま感情の翻訳として機能する存在である。設定資料では体重が「当社比で約9.3キロ」と記されており、公開後にファンが体重計の写真を探し回ったとされる[5]。
[[住職]] - 駆け込み寺の手続き担当で、声を出す前に必ず息継ぎをする癖がある。息継ぎの回数を数えると、嘘の可能性が“判定できる”という俗説が広まり、町内会のレクリエーションにまで影響したとする記述が見られる。
役人・黒針(くろはり) - 訴えの音を測るため、耳栓ではなく“札”を利用する。黒針は劇中で「周波数は人心より滑らか」と演説し、のちにこの台詞が音響学の講義ノートに引用されたという噂があるが、根拠は確認されていない[6]。
その他[編集]
駆け込み客たちは、名前よりも“事情の種類”で呼ばれる。たとえば失くし物の客は「忘却の回収者」、家庭の喧嘩の客は「間違いの巡回者」といった具合である。こうした呼称は、当時の脚本会議で「視聴者の距離を縮めるため」と説明されたとされる。
寺の手伝い役として、片目の門番と、竹を割る音だけを担当する小童がいる。小童は台詞がほとんどなく、音だけで笑わせる設計だったとされ、完成後の試写で“笑いのタイミングが偏った”という内部報告が残っている[7]。
声の出演またはキャスト[編集]
ちろろん:[[柳瀬ミヤ]](「鈴は声の一部として鳴らしてほしい」と監督が指示したとされる)
住職:[[大澤康平]]
黒針:[[石山宗介]]
門番:[[久我玲香]]
小童:[[田端健吾]](台詞が少ないため、録音では“音程の揺れ”だけを指定されたとされる)
なお、終盤の鐘のコーラスはキャストの声を加工したものだが、当時のリマスター制作では同じ素材が確認できず、代替テイクで“似せた”とする記録があり、そこにファンの怒りと解釈の分岐が生まれたとされる。
スタッフ[編集]
映像制作/製作委員会[編集]
製作委員会には[[常滑放映製作委員会]]が参加したとされる。中心人物は[[金蓮寺フィルム]]の企画担当・[[山田皐月]]で、配給交渉の場で「鈴を“宣伝媒体”に変える」方針を主張したという逸話が残る[8]。
作画は、寺の石段と階段の手すりを“数で語る”ために、背景美術が先行して描かれたとされる。特に境内の段数が37段で統一されたのは、背景チームが「数字がずれると記憶が折れる」と考えたからだと説明される。
美術/CG・彩色・撮影/音楽[編集]
当時の技術状況を踏まえ、寺の鈴の反射は3層のセル彩色で再現されたとされる。撮影は二度焼きが採用され、最初の焼きでは“鈴の光”を最優先、二度目の焼きでは“影の遅れ”を整えたと記述されている[9]。
音楽は[[古川トモ]]が担当し、主旋律は“駆け込みの足音”を模したリズムで構成されたとされる。なお、主題歌の歌詞に出てくる「ちろろん」という擬音は、寺の鐘の打点から逆算して作られたと語られており、作曲家本人は「擬音は嘘でもよいが、音程は嘘をつけない」との言葉を残したとされる[10]。
着想の源[編集]
着想の源は、[[渡辺精一郎]]が見たとされる“駆け込み手続き”の光景に求められた。具体的には、[[愛知県]][[常滑市]]の小さな役所で、提出物を急ぐ人々の行列が突然整う瞬間を目撃したという[11]。
この出来事がどの年のものかは資料によって揺れがあり、[[1982年]]説と[[1986年]]説が併存している。こうした曖昧さが、映画の「一年に一度の手続き」設定へと昇華されたのではないか、とする評論もある。
興行[編集]
1989年4月21日に[[尾張映像興業]]によって公開され、初週の動員は推定で31,702人、興行収入は2.6億円と報告された[12]。宣伝では“鈴を鳴らすとパンフが当たる”キャンペーンが行われ、実際に会場のオペレーターが鈴の音量を調整する係として雇用されたとされる。
封切り館は全国で23館、うち地方は[[愛知県]]周辺に寄せた配置だったという。もっとも、同時期に[[大阪市]]の大規模シネコンへも進出したという記述もあり、当時のパンフには「全館同時」と明記されているため、再検証の必要があるとされる[13]。
その後、好評を受けて同年の年末にリバイバル上映が行われ、テレビ放送では視聴率が12.9%を記録したと報じられた[14]。さらに、1992年に海外向け字幕版が作られ、英題を直訳せず“Emergency Temple”としたことで、観客からは“緊急性の宗教”という解釈が広まったとされる。
反響[編集]
批評家の間では、音響の設計が高く評価された。『[[月刊アニメ紀要]]』では、寺の手続きが“台詞より先に理解される”構造であり、観客の感情の順番を入れ替える点が画期的とされた[15]。
受賞面では、[[文化筆祭]]の最優秀音響賞を受賞したほか、同祭の脚本部門でノミネートされたとされる[2]。また、国内の売上記録としては、劇場パンフが約48万部刷られ、うち返品率が0.7%だったという数字が独り歩きした。返品率は通常は公表されないため、出所不明とされるが、それでもファンコミュニティの“正確さ神話”を補強したとされる[16]。
一方で批判として、無音の札の描写が当時の宗教観に触れる可能性があるとして、学校向け上映の際に注意喚起が添えられたという指摘がある。ただし上映実績は公式には確認されていないため、事実か逸話かの境界が曖昧とされる。
テレビ放送[編集]
テレビ放送は[[1991年]][[10月]]に[[日本放送協会]]系で実施されたとされる。放送は2回に分割され、前編は“石段の記憶”を中心に再編集されたと報じられた。
視聴者からは、寺の手続きの「三回繰り返し」の場面で、子どもが自発的に口真似を始めたという報告が相次いだとされる。番組側は放送後に“家庭内の音量マナー”を呼びかけ、鈴に似た玩具の販売が一時的に増えたとされる[17]。
また、再編集版では黒針の台詞が一部差し替えられた疑いがある。字幕の表記揺れが複数の放送回で観測され、編集者の判断が反映された可能性が指摘されている。
関連商品[編集]
関連商品としては、サウンドトラックCD『[[寺鈴システム]]』が発売され、鈴の打点がトラック名に反映されたことで話題になった。たとえば「段差37:減速」「段差36:許可」など、映像と連動するような命名がされているとされる。
ビデオソフト化としては、1993年にVHS版が発売され、ジャケットの色味が現存版で異なるとして“DVD色調問題”の初期事例になったとされる[18]。また、町歩きの観光用冊子として「常滑っぽい道順」マップが配布されたが、実在の道と食い違う部分があり、後年“忠実度の低さが愛されている”という評価に変わった。
さらに、駆け込み寺を模したイベント(受付時間を「鈴が鳴るまで」と定める)が複数都市で開催されたとされる。これらは公式ライセンスではないものの、作品の影響が社会に滲み出た例としてしばしば言及される。
脚注[編集]
関連項目[編集]
参考文献[編集]
※このセクションは要求形式に従って参考文献を下に集約する。
脚注
- ^ 渡辺精一郎『ちろろんの駆け込み寺(映画脚本集)』金蓮寺フィルム、1989年。
- ^ 山田皐月『製作委員会の記録:鈴と手続き』常滑放映製作委員会、1990年。
- ^ 古川トモ『寺鈴システムと打点設計』音響叢書、1991年。
- ^ 柳瀬ミヤ『声の中の鈴』(インタビュー)月刊アニメ紀要、Vol.12 No.4、1991年、pp.33-41。
- ^ 『映画興行年報・1989』日本映像産業統計局、第27号、1990年、pp.101-118。
- ^ 相原直樹『周波数が先に届く:音響主導の物語論』映像心理学研究、Vol.8 No.2、1992年、pp.77-94。
- ^ 久我玲香『台詞のない演技:小童の録音方針』声優技法研究会、Vol.3、1990年、pp.12-18。
- ^ 田端健吾『リハーサル階段の秘密』撮影技術資料集、pp.210-223。
- ^ 『文化筆祭受賞記録集』文化筆祭実行委員会、1990年、pp.58-60。
- ^ Mariko Sato “Sound-First Storyboarding in Late-Eighties Anime,” Journal of Animation Studies, Vol.5 No.1, 1993, pp.9-27.
外部リンク
- 金蓮寺フィルム公式アーカイブ
- 尾張映像興業 レトロ上映案内
- 常滑放映製作委員会 企画資料室
- 文化筆祭 受賞データベース(非公式)
- 寺鈴システム サウンド資料館