ちんこじゃんけん
| 分類 | 即興遊戯、口上遊び、準競技 |
|---|---|
| 発祥 | 1920年代後半の東京市下町とされる |
| 考案者 | 浅草演芸研究会の無名会員とする説が有力 |
| 使用人数 | 2人以上、上限は慣習上7人 |
| 必要用具 | 両手、卓上、短い掛け声 |
| 主な流行地 | 東京都、神奈川県、大阪市の繁華街 |
| 派生競技 | 連鎖ちんこじゃんけん、座敷式三段変化 |
ちんこじゃんけんは、の都市部を中心に広まったとされる即興型の兼である。三すくみの基本構造を持ちながら、動作の誇張性と口上の長さによって勝敗が左右されることから、しばしば地域の宴席文化と結び付けられて語られる[1]。
概要[編集]
ちんこじゃんけんは、見た目にはに近いが、実際には手の形そのものよりも、出し手が直前に行う所作、声量、間の取り方が重視される遊戯である。勝敗は、石・紙・鋏に対応する三系統の動作に加え、特定の節回しを付けることで補正されるとされ、熟練者ほど動作が遅く見えるという逆説がある。
成立は初期の下町の寄席文化と関連づけられている。とくにの飲食店街で、酒席の沈黙を埋めるために自然発生したとする説が有力であり、1928年には周辺で「指の相撲」と呼ばれていた記録がある[2]。ただし、当時の新聞に見える用例は断片的で、後年の回想録が話を誇張した可能性も指摘されている。
歴史[編集]
成立期[編集]
最初期のちんこじゃんけんは、末から初期にかけて、内の屋台と銭湯帰りの路地で行われた簡易な遊びであったとされる。当時は「ちんこ」の語が掛け声の末尾に付く強調表現として理解されており、現在のような固定名称ではなかった。1929年、の小料理屋『鳩笛』で、新聞記者の岡野栄二が「手のひらを見せるたびに勝敗が覆る奇妙な遊び」として短く紹介し、これが都市伝説化の起点になったという[3]。
1931年には、浅草の興行師・三浦辰之助が、客寄せのためにこの遊びを舞台化したとされる。三浦は「一回の勝負につき掛け声は三拍以内」という独自規定を設け、これが後の「三拍制」の原型になった。一方で、当時の興行記録には三浦の名前が見つからず、後世の口伝を編集した可能性もある。
戦後の普及[編集]
後、ちんこじゃんけんはの呼び込みや工員の休憩時間に広まり、簡易な博打的要素が強まった。特にの周辺では、勝者が缶詰1個、あるいはタバコ2本を得る「物品交換式」が流行したという。1954年にはの青年会館で、同遊戯を「暴力を伴わない序列争い」として青少年講座に取り入れた事例があり、当時の講師ノートには「教育効果は不明だが、子どもが静かになる」と記されている[4]。
1960年代には、テレビのバラエティ番組で断片的に取り上げられたことにより全国化したとされる。もっとも、放送局側は正式名称を避け、画面では「例の手遊び」とだけ字幕を出したため、かえって地方ごとの呼称差が拡大した。大阪では「ちんじゃん」、名古屋では「しぶちん」と呼ぶ地域もあったとされるが、確証は乏しい。
標準化と競技化[編集]
1978年、(JGA)により、便宜上の統一規則として『ちんこじゃんけん暫定規程第4版』が刊行された。ここで初めて、開始前の宣誓、観戦者の黙認、敗者の再戦権などが条文化され、以後は地域差を抱えつつも公式大会の基準となった[5]。
1986年にはの貸会議室で第1回全国選手権が開かれ、参加者36名のうち23名が、9名が、4名がからの出場であった。優勝した遠藤善彦は、右手の初動を0.14秒遅らせる「遅延石」を得意技とし、翌年の決勝では審判3人全員が同時に手元を見失ったという。なお、当該大会の映像は、会場の空調音が大きすぎたため判定不能の場面が多い。
ルール[編集]
基本は・・に相当する三系統であるが、ちんこじゃんけんでは各手に対応する「見せ方」が厳密に定められている。たとえば石系は拳を固めるのではなく、親指を第二関節まで内側に折り、腕を45度だけ外旋させる。紙系は手を広げるのではなく、指先を軽く震わせることで「展開途中」を表すとされ、鋏系は中指と薬指の距離で強弱を判定する。
勝負の前には、必ず「いくぞ、ちん」と「こで決める」の二段口上を交互に唱える地方式があり、これを守らないと無効試合になる。熟練者同士の対局では、口上の長さが7拍を超えると観衆の笑いが先に勝敗を決めるため、実質的には心理戦の一種である。審判は通常1名だが、地方大会では湯呑みを持った年長者が暗黙の審判役を務めることが多い。
文化的影響[編集]
ちんこじゃんけんは、単なる遊戯にとどまらず、やの余興、さらには企業研修のアイスブレイクにも転用された。1993年にの広告会社が実施した社内研修では、参加者74名中61名が「上下関係が一時的に平坦化される」と回答し、導入後3か月で会議開始時刻の遅延が平均6分短縮したと報告されている[6]。
一方で、過度に熱中したことによる揉め事も少なくない。1998年、のボウリング場で発生した「延長十六回戦事件」では、決着が付かないまま閉店時間を迎え、双方がボール返却機の前で抗議した。これを契機に、一部の施設では「ちんこじゃんけんは3連勝で終了」とする内規が設けられた。なお、教育現場では指導要領との整合性が曖昧であったため、学校公式の行事には採用されなかったとされる。
地方差[編集]
関東式[編集]
関東式は、動作の速さよりも「間」の取り方を重視する。とくにでは、勝負前に一礼を挟む礼法が発達し、これを怠ると「空気を読まない石」と呼ばれて不利になった。横浜港周辺では、外国船員との交流の影響で、開始の掛け声だけ英語混じりになる例もあったという。
関西式[編集]
関西式は、掛け声の大きさと観客の巻き込みが重視される。大阪では「見てるやつも一緒に出す」という観戦参加型の変種があり、審判が止めなければ勝負が連鎖的に広がるため、最大で9人が同時に敗者になることもあった。京都の一部では、勝負前に茶碗を伏せることで「格」を整える習慣があり、これが茶道の作法と誤解されたという。
批判と論争[編集]
ちんこじゃんけんは、言葉の響きゆえに公的な場での扱いが難しく、1970年代以降はしばしば「俗悪である」と批判された。特にの一部担当者は、名称が児童向け教材に適さないとして、全国の公立学校への導入を見送ったとされる[7]。
また、1990年代には「本来の民俗遊戯としての価値が、競技化によって失われた」とする保存会と、「もともと宴席の余興であり、格式化自体が不自然である」とする反対派が対立した。2002年のでのシンポジウムでは、発表者4名のうち2名が定義の段階で意見を折り合えず、休憩時間が予定より38分延長された。もっとも、この不一致こそがちんこじゃんけんの本質だとする見解もあり、研究は今なお分裂している。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 岡野栄二『下町遊戯考――昭和初期の手振りと掛け声』東都書房, 1934, pp. 41-58.
- ^ 三浦辰之助『演芸と遊戯の境界』浅草文化社, 1939, 第2巻第1号, pp. 12-19.
- ^ 神谷久一「戦後雑記に見る口上型遊戯の変容」『民俗と都市』Vol. 8, No. 3, 1962, pp. 201-223.
- ^ 遠藤善彦『ちんこじゃんけん競技規程入門』日本遊戯標準協会出版部, 1987, pp. 5-31.
- ^ Margaret L. Henson, 'Performative Hand Games in Urban Japan' Journal of Comparative Play Studies, Vol. 14, No. 2, 1991, pp. 88-107.
- ^ 渡辺精一『宴席における即興性の社会学』港北大学出版会, 1995, pp. 113-149.
- ^ Yasuo Kuroda, 'Competitive Silence and Spoken Gestures' Asian Folklore Review, Vol. 22, No. 1, 2003, pp. 9-26.
- ^ 『ちんこじゃんけん標準化資料集』日本遊戯標準協会, 1978, pp. 1-74.
- ^ 藤井みどり「学園祭余興の制度化と事故」『教育と余暇』第17巻第4号, 2008, pp. 66-82.
- ^ Samuel R. Whitcomb, 'The Hidden Taxonomy of Gesture Games' University of Pacific Press, 2011, pp. 201-219.
- ^ 久保田茂『掛け声の民俗誌』風雅社, 2016, pp. 77-94.
外部リンク
- 日本遊戯標準協会アーカイブ
- 浅草口上文化資料室
- 全国ちんこじゃんけん連盟
- 都市遊戯史研究フォーラム
- 下町民俗ゲームデータベース