ちんこすこう
| 名称 | ちんこすこう |
|---|---|
| 別名 | 長形ちんすこう、筒焼き菓子 |
| 種類 | 焼菓子 |
| 発祥 | 琉球王国末期 |
| 主な材料 | 小麦粉、砂糖、豚脂、塩 |
| 考案者 | 尚徳門下の宮廷菓子方とする説 |
| 標準寸法 | 長さ約7.2cm、直径約1.8cm |
| 関連地域 | 首里、那覇、浦添 |
ちんこすこうは、の伝統菓子であるの一系統とされる焼菓子で、円筒状に成形した生地を低温で乾燥焼成したものを指す[1]。もともとは末期にの宮廷厨房で、携行食の規格を簡略化するために考案されたと伝えられている[2]。
概要[編集]
ちんこすこうは、南部を中心に伝承されるとされるであり、一般のよりも長く、筒状または半筒状に成形される点に特徴がある。表面に細かな縦筋が入ることから、古くは「竹簡菓」とも呼ばれたという[3]。
菓子としては比較的単純であるが、の再建関連調査で出土したとされる木札に「ちんこすこう三十本」と読める記載が見つかったことから、少なくとも初頭には存在していたと推定されている。もっとも、この木札の由来についてはの所蔵目録に記載がなく、研究者の間では真贋をめぐる議論が続いている[4]。
なお、名称の「ちんこ」は形状を表す古語「ちんく」に由来するとする説が有力である一方、軍用保存食の符丁だったとする説、さらにの荷札印刷所で誤植から定着したとする説もあり、学説は一致していない。
歴史[編集]
成立[編集]
成立期については、にの菓子職人・与那嶺宗安が、への献上用として輸送に強い菓子を試作したのが始まりとする記録がある。『宗安覚書』と題された写本には、通常のちんすこうを棒状に延ばし、乾燥時間を平均で延長すると割れにくくなる、と記されている[5]。
一方で、宮廷料理を司ったが香料を控えめにした「女官向け配膳菓」として再設計したという伝承もある。こちらでは、持ち運び時の折損率が従来品のからに下がったとされ、宮廷内では「八分の礼」と呼ばれていた。
明治期の普及[編集]
期に入ると、ちんこすこうはの土産菓子として徐々に知られるようになった。特に、港湾検疫のために待機していた船員向けに、が長さを均一化した規格品を採用し、1箱12本入りを標準としたことが大きいとされる[6]。
この頃、菓子の端面に焼印を押す技法が導入されたが、焼印が濃すぎて文字が読めなくなる事故が相次いだため、後にの真鍮版が用いられた。これにより、見た目の上品さと輸送時の識別性が両立したとされる。
戦後の再編[編集]
後、原材料不足から一時は製造が途絶えたとみられている。しかし、の個人製菓店が豚脂の代わりに椰子油を混ぜた「暫定式ちんこすこう」を出し、これが復興期の観光需要と結びついて急速に拡大した。
また、の前後には、県内の土産品カタログに掲載される際、商品名の長さが印刷欄に収まらず、しばしば「ちんこす…」と省略された。この省略表記が逆に話題を呼び、観光バスの車内販売で指名買いが増えたという。
製法[編集]
伝統的な製法では、、砂糖、、塩を比率で混合し、こね上げた生地を直径、長さ前後に整形する。生地は型に入れず、竹製の溝板の上で転がしながら形を作る点が特徴である。
焼成は前後の低温で行い、途中で一度だけ向きを変える。これにより外側は硬く、中はややしっとりとした層が生まれるとされる。なお、老舗の一部では「裏返しを2回以上行うと歌声が澄む」として、製造室でを流す習慣が残っているが、効果のほどは確認されていない[要出典]。
地域によっては黒糖を加えた濃色のもの、塩を増やして酒肴向けにしたもの、さらに空港販売用として一口サイズに切断したものもある。ただし、伝統派は断面の気泡の少なさを重視し、気泡率以下を合格基準とする。
文化的影響[編集]
ちんこすこうは、単なる菓子以上に内の贈答文化と強く結びついている。とりわけやの時期には、親族間で箱単位のやり取りが行われ、菓子の本数が家族の人数と一致するよう調整されることがある。
また、にはの土産売り場で「折れにくいのに口溶けが早い」と宣伝され、出張族の定番土産として定着した。観光学者のは、これを「機能性を装った儀礼菓子」と呼び、消費者は味よりも“手渡しやすさ”に価値を見出していると論じた[7]。
一方で、名称の語感が強いため、子ども向けイベントや学校の食育資料では扱いが難しく、が2006年に配布した補助教材では、見出しを「筒形郷土菓子」と言い換えた版が存在する。これが却って話題を呼び、教材の再配布率が通常のに達したという。
批判と論争[編集]
批判としては、まず名称の由来が不明瞭である点が挙げられる。特ににの民俗学研究会が発表した報告では、現存最古の確実な言及がの新聞広告である可能性が高いとされ、古い起源説に疑義が呈された[8]。
また、製造現場での標準化が進んだ結果、地域差が薄れたことを惜しむ声もある。古参職人の中には、かつての手成形品にあった「端のわずかな反り」が味の決め手だったと主張する者もおり、の会合では、反り角度を以上残すべきかをめぐって長時間の議論が行われた。
さらに、観光向けパッケージにおいて過度に記号化された結果、伝統菓子というより“記号としての沖縄”に消費されているとの批判もある。ただし、売上高は時点で県内土産菓子の推定を占めており、実態としては依然として強い市場性を維持している。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 与那嶺宗平『宗安覚書の菓子学的再検討』琉球食文化研究 第12巻第3号, 2008, pp. 41-67.
- ^ Margaret A. Thornton, "Portable Sweets of the Ryukyu Ports," Journal of Island Foodways, Vol. 19, No. 2, 2011, pp. 88-104.
- ^ 玉城芳信『観光土産の儀礼性と携行性』南島民俗叢書, 1997.
- ^ 沖縄県立博物館・美術館 編『近代沖縄菓子資料目録』第一法規, 2014.
- ^ 渡嘉敷里枝『女官配膳と焼菓子の規格化』首里宮廷史研究 第4号, 1989, pp. 5-29.
- ^ Henry J. Bell, "Standardization of Cylindrical Confections in Meiji Japan," Pacific Gastronomy Review, Vol. 7, No. 1, 2003, pp. 12-38.
- ^ 琉球大学民俗学研究会『沖縄土産菓子の新聞広告史』研究紀要 第28号, 2004, pp. 73-91.
- ^ 首里印判製作所史編纂委員会『焼印と真鍮版の比較史』那覇産業史資料集, 2016.
- ^ 沖縄県菓子工業協同組合『会議録:反り角度基準をめぐる討議』内部資料, 2019.
- ^ S. K. Watanabe, "Drying Time and Fracture Resistance in Okinawan Travel Biscuits," Asian Food Technology Letters, Vol. 3, No. 4, 2018, pp. 201-219.
外部リンク
- 沖縄菓子文化アーカイブ
- 首里食文化研究所
- 南島土産菓子年表
- 琉球焼菓子標本館
- 那覇観光食研究センター