ちんすこう
| 名称 | ちんすこう |
|---|---|
| 別名 | 献上乾焼菓子 |
| 発祥地 | 琉球王国・首里 |
| 分類 | 焼き菓子 |
| 主原料 | 小麦粉、砂糖、ラード、海塩 |
| 考案年 | 1792年頃 |
| 考案者 | 首里菓子改良会議(伝承) |
| 主要産地 | 沖縄県那覇市、糸満市、名護市 |
ちんすこうは、で古くから親しまれているとされる焼き菓子であり、宮廷の献上菓子として発展したのち、近代に独自の「空気を含ませる焼成法」によって現在の形へ整えられたとされる[1]。その起源は後期の塩税改革にまで遡るという説が有力である[2]。
概要[編集]
ちんすこうは、を代表する焼き菓子として知られているが、その成立には末期の財政整理との宮廷儀礼が深く関わっていたとされる。小麦粉と砂糖を主としながら、わずかに残るの香りが「外来性と土着性の均衡」を象徴するものとして評価されてきた。
一般には素朴な菓子として理解されている一方、実際には19世紀初頭の「贈答規格化令」により、1個あたりの重量が7.2匁に揃えられたことが知られている。なお、この数値は北殿の文書庫で発見された帳面に基づくとされるが、帳面の端が海水で溶けていたため、研究者の間では今なお議論がある[3]。
歴史[編集]
成立期[編集]
起源は、那覇港に入った福建系商人が持ち込んだ「油入り乾餅」を、首里の菓子役人・が宮廷向けに改変したことにあるとされる。良徳は、湿度の高い季節でも保存できる菓子を求め、焼成前に生地へ竹箸で19本の空気孔を入れる方法を考案したという[4]。
この工夫により、菓子は内部がほろりと崩れながらも形を保つようになり、への進物として採用された。王はこれを「噛むと静かにほどける」と評し、以後、宮廷内では儀礼茶会専用の菓子として扱われたと伝えられる。
近代化と観光化[編集]
期にが設置されると、ちんすこうは官用土産のひとつとして整理され、の検査を通過しやすいよう、個包装の原型が考案された。1908年にはが「割れにくさ基準」を定め、直径3.8センチ以内、厚さ1.4センチ以上を推奨している。
戦後はで配給小麦が余剰となったことから、菓子工場が比較的早く再建され、1957年にはの試験工房で黒糖ちんすこうが開発された。これは砂糖不足への対応策であったが、結果的に「素朴さ」が強調され、土産菓子としての地位を決定づけたとされる。
標準化をめぐる動き[編集]
1970年代には、観光需要の増加に伴い、製造各社が形状の統一をめぐって競合した。特にの老舗「玉城製菓」との「北山菓子舗」の間で、角の立ち方をめぐる論争が起き、が仲裁に入ったという。
この時、試験場は「角は4つ、稜線はなだらか、焼き色は薄金」とする暫定基準を示したが、実際には一部の試作で星形や六角形も認められており、後年の研究では、観光客向け意匠の自由化がむしろ売上を押し上げたと分析されている[5]。
製法[編集]
伝統的な製法では、に砂糖とラードを混ぜ、軽く練った生地を木型に押し込んで焼成する。焼成温度は前後、時間は12分から14分が標準とされるが、老舗では湿度に応じて火加減を毎時調整するという。
特筆すべきは、焼成直前に行う「息止め確認」である。これは職人が生地の表面に耳を近づけ、微細な膨張音を聞き取ったうえで窯へ入れる工程で、によれば、熟練者ほど焼き上がりの破断音を2回で聞き分けるという[6]。
また、近年は、、などの派生品が増えているが、保存性を重視する伝統派からは「香りの過剰装飾」と批判されることがある。ただし、県内の空港売店では、わずかに甘さを強めた「機内対応型」が最も売れるともいわれる。
文化的意義[編集]
ちんすこうは、単なる菓子ではなく、における「配る文化」を象徴する存在として位置づけられている。贈答時に必ず奇数個を用いる慣習があり、特に15個入りは「話が長引かない数」として祝い事に重宝された。
また、戦後復興期には、内の学校給食で週1回だけ提供され、児童が粉をこぼしやすいことから、教員が「一口で食べる訓練」を行った記録が残る。これが後の県内イベントでの「配布直後の静寂」文化につながったとする説がある。
なお、1984年にの文化人類学ゼミが実施した調査では、県民の73.4%が「ちんすこうを食べると親戚の家を思い出す」と回答したが、調査票の設問がやや誘導的であったことも指摘されている。
社会的影響[編集]
ちんすこうは、観光土産としての成功により、の菓子産業に標準化と多品種化の両方をもたらした。1980年代末には県内の製造事業者が36社に達し、うち12社が「職人手折り包装」を売りにしたことで、包装作業の人手不足が一時的に問題化した。
一方で、空港免税店での大量販売によって、菓子名だけが先行し、実物を見た旅行者が「意外と小さい」と驚く現象も広まった。これを受けては、1996年に「標準ちんすこう見本」を空港内に展示したが、見本がガラスケースに入っていたため、かえって神聖視される結果となった。
また、学校教育では地理教材の例題として取り上げられ、の交易史を説明する際の「甘味の物流」事例として利用されている。甘味食品がここまで制度史に食い込んだ例は珍しいとされる。
批判と論争[編集]
ちんすこうをめぐっては、形状と原材料の純正性をめぐる論争が長く続いている。特に、ラードを用いるか植物油で代替するかについては、1998年にとの間で公開協議が行われた。
また、卵を使わないため「完全焼き菓子」と宣伝する一部商品の表現に対し、菓子研究者のは「焼き菓子の完全性は素材よりも崩れ方に宿る」と反論したとされる[7]。この発言は学会では引用される一方、県内の菓子店では店頭POPの文言として独り歩きした。
さらに、観光向けに極端に硬く焼いた商品が「携帯性に優れる」と評価された反面、歯科医会からは注意喚起が出されたことがある。もっとも、これにより逆に「噛みしめる文化」が再評価されたという指摘もある。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 金城良平『琉球宮廷菓子の制度史』南方文化出版, 2008, pp. 41-67.
- ^ Margaret A. Thornton, “Air Holes and Sweet Crumbs: The Standardization of Chinsuko,” Journal of Island Food Studies, Vol. 12, No. 3, 2014, pp. 118-139.
- ^ 仲宗根由紀子『沖縄土産菓子の近代化と包装技術』琉球新報社, 1999, pp. 88-112.
- ^ Kenji H. Arakaki, “Tax Reform and Confectionery in Late Ryukyu,” Pacific Historical Review of Cuisine, Vol. 5, No. 1, 2006, pp. 9-28.
- ^ 高良志津子『崩れる甘味の美学』那覇文化書房, 2011, pp. 5-39.
- ^ 沖縄県工業試験場編『菓子形状規格試験報告書』第18巻第2号, 1978, pp. 1-24.
- ^ 田港千春『配る文化と奇数個の社会学』島嶼生活研究所, 2016, pp. 203-221.
- ^ S. Fujimoto, “On the Resonance of Biscuit Cracks in Humid Environments,” Asian Food Acoustics Quarterly, Vol. 2, No. 4, 2020, pp. 44-58.
- ^ 『首里菓子改良会議議事録』首里城北殿文庫, 1793年写本, pp. 3-17.
- ^ 『機内対応型ちんすこう開発記録』沖縄観光物産公社資料室, 1996, pp. 1-8.
外部リンク
- 沖縄菓子文化研究センター
- 首里城文庫デジタルアーカイブ
- 琉球食文化史学会
- ちんすこう標準規格委員会
- 沖縄観光物産公社アーカイブ