ちんほ
| 名称 | ちんほ |
|---|---|
| 成立 | 18世紀末ごろと推定 |
| 地域 | 長崎、横浜、神戸ほか |
| 分類 | 口頭暗号・職能符丁 |
| 用途 | 港湾連絡、帳合、運搬指示 |
| 使用者 | 通詞、問屋、検疫吏、運搬夫 |
| 特徴 | 短音節の反復と板符号の併用 |
| 衰退 | 昭和20年代までに急速に消滅 |
| 代表資料 | 『長崎符丁集成』ほか |
ちんほは、後期にの通詞層のあいだで成立したとされる、短冊状の符号板を用いた口頭暗号の総称である。のちに期の郵便実務や港湾検査にも転用され、限定的な符丁文化として知られている[1]。
概要[編集]
ちんほは、音節の短さと視認性の高い印刻を組み合わせた、港湾実務向けの符号体系である。一般には単なる隠語と誤解されがちであるが、実際にはの順序、検査済み貨物の識別、通詞間の合図を一体化した実用的制度として機能したとされる[2]。
名称の由来については諸説あるが、最も広く流布しているのは、の「陳報」札を略したものが転訛したとする説である。ただし、所蔵の『元符帳』には、すでに年間以前の記述が見られるため、成立年代にはなお議論がある[3]。
歴史[編集]
成立と初期の運用[編集]
ちんほの原型は、末期に出島周辺で用いられた木札符号にあるとされる。とくにと接触のあった通詞の一団が、貨物名を直接口にせずに伝達するため、二拍の短音と片仮名一字を書いた札を併用したことが起源とされる。もっとも、現存する最古の札は3年のもので、しかも裏面に「さかな」と墨書されているため、用途の断定には慎重であるべきだという指摘がある。
初期のちんほは、主として硝石、綿布、薬種の三分類に使われた。ある記録では、通詞のが誤って「ちんほ」を二度唱えたため、貨物が別桟橋へ回送され、結果としてで半日分の積み替え遅延が生じたとされる。この逸話はしばしば「ちんほ騒ぎ」と呼ばれるが、史料上の裏づけは薄い[4]。
明治期の制度化[編集]
7年、の港湾整理令に関連して、ちんほは半ば公認の連絡法として再編された。とくにでは、検査済み荷物に赤印を押す代わりに、係員が小声で「ちん、ほ」と告げる運用が一時的に採用されたと伝えられている。これにより、外国商人との会話を妨げずに荷役を進められるようになったという。
この時期には、教育用の『港湾符号便覧』が民間で複数刊行され、との倉庫業者のあいだで流通した。便覧には「ちんほは急がず、しかし遅らせず」との謎めいた標語が掲げられており、実務規範と精神訓話が混線した典型例として研究対象になっている。
大衆化と地方変種[編集]
期以降、ちんほは港湾の外へ漏出し、鉄道貨物の積票や市場の口頭メモにも用いられた。とりわけの雑穀問屋では、相場が乱高下した日に「今日はちんほでいけ」と言えば、品目を伏せて伝票を回す慣習があったとされる。これにより、商店街の若手番頭が半ば遊戯として覚え、やがて「ちんほできる者は仕事が早い」と称されるようになった。
一方で、各地の変種が増えすぎた結果、では「ちんぽ」に近い音で発音する派と、「ちんほ」のほうを強く区切る派が対立したという。1927年には地方紙『港と倉庫』がこの対立を「符丁内の小規模内戦」と呼んだが、実際には棚卸しの発声練習に過ぎなかったとの見方が強い。
運用体系[編集]
ちんほの運用は、単純な隠語ではなく、三層の規則で構成されていたとされる。第一に、音韻層では「ち」「ん」「ほ」のうち一拍を伸ばすことで意味が変化し、第二に、板符号層では札の角度によって方向を示し、第三に、視線層では受け手がどの桟橋を見ていたかで最終意味が決定された。
代表的な用例として、「ちんほ・左」が再検査、「ちんほ・伏」が冷蔵庫への仮置き、「ちんほ・二」は二人組での搬出を意味したとされる。なお、の一部資料には「ちんほ・雨」が存在すると記されるが、雨天時に限りすべての指示が無効化されるため、実際の機能は不明である[5]。
社会的影響[編集]
ちんほは、近代日本の港湾労働における連帯形成に寄与したと評価されることがある。とくにでは、ちんほを理解できる者が急増した結果、労働組合の会議で議事整理の補助語として採用され、議長が発言を切る際に「ここはちんほで」と言う慣行まで生まれたという。
また、教育現場への影響も無視できない。1934年、の商業学校では、簿記の授業で「ちんほ方式」を模した伝票訓練が行われ、学生の記憶定着率が17.8%向上したとの報告がある。ただし、この数値は欠席者を除外した計算であり、統計の扱いに疑義があるとして後に注記された。
批判と論争[編集]
ちんほは便利な一方で、閉鎖的な職能文化を助長したとの批判も受けた。特に初期の商工行政では、外部者に意味が伝わらないため帳簿改ざんの温床になるのではないかという懸念が示され、の一部官僚は使用禁止を検討したとされる。
しかし、実際には禁止令が出る前に、現場側が「ちんほは音ではなく手順である」と主張して定義を拡張してしまい、行政側が追いつけなくなった。ある会議録では、係長が「これは符丁か儀礼か」と問いただしたところ、通詞が「両方である」と答え、以後そのまま議事が散会したと記されている。
衰退[編集]
戦後、トラック輸送と電報の普及により、ちんほの実務的必要性は急速に低下した。28年ごろにはの古参職員がわずかに使用していたが、1957年の荷役機械化で事実上途絶えたとみられる。
ただし、完全な消滅ではなく、の倉庫街やの卸売市場では、今なお年配者が冗談半分に使うことがあると報告される。もっとも、若手に通じないため、発話のたびに説明が必要となり、結果として符号体系としての利点は失われた。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐伯宗一『長崎符丁集成』海鳴書房, 1968年.
- ^ M. R. Thornton, "Port Ciphers and Labor Memory in Modern Japan", Journal of Maritime Folklore, Vol. 12, No. 3, pp. 41-79, 1994.
- ^ 渡会春彦『近代港湾と口頭暗号』港都出版, 1979年.
- ^ 岡本澄子「ちんほ札の系譜」『日本民俗経済史研究』第8巻第2号, pp. 113-140, 1987年.
- ^ Edward J. Halpin, "The Sound of Loading: Ritualized Commands in East Asian Harbors", Transactions of the Port History Society, Vol. 21, pp. 201-229, 2002.
- ^ 宮地信夫『港と沈黙の言語』新潮港湾社, 1991年.
- ^ 長谷川理香「明治初期税関文書にみる符丁運用」『史料館紀要』第27号, pp. 55-88, 2008年.
- ^ Kobayashi, A. & Chen, L. "On the Semantic Drift of Chinho in Warehouse Speech", Asian Studies Review, Vol. 38, No. 1, pp. 9-26, 2016.
- ^ 田辺修一『伝票と合図の文化史』東港アカデミー出版, 2020年.
- ^ 『港湾符号便覧 改訂第三版』関西物流史資料館, 1935年.
- ^ 杉原美津子「ちんほ・雨の謎」『地方商業史ノート』第14巻第4号, pp. 7-19, 1978年.
外部リンク
- 長崎港史アーカイブ
- 港湾符丁研究会
- 出島口承文化データベース
- 近代物流史デジタル年表
- 符号学民俗資料室