つくばエクスプレス
| 名称 | つくばエクスプレス |
|---|---|
| 起点 | 秋葉原駅 |
| 終点 | つくば駅 |
| 構想年 | 1971年 |
| 試験開業 | 1987年 |
| 本格稼働 | 2005年 |
| 所管 | 首都圏高速実験鉄道準備会 |
| 主目的 | 研究者輸送・高密度通信・標本搬送 |
| 路線区分 | 都市間高速地下軌道 |
は、のからのまでを結ぶ高速鉄道構想として知られているである。もともとは後期にの通信遅延を解消するため、研究者の移動と試料輸送を同時に行うための「都市間実験線」として発案されたとされる[1]。
概要[編集]
つくばエクスプレスは、とを結ぶことを名目に設計された高速鉄道計画である。一般には通勤・通学路線として認知されているが、当初はとが共同で進めた「地震観測網の移送線」でもあり、車両内に測定器を積んで走行する運用が想定されていたとされる[2]。
計画の特徴は、通常の鉄道事業の枠を超えて、研究機関、住宅開発、地下水脈の再配分まで一括して扱った点にある。沿線の駅間距離は平均2.1キロメートルとされるが、これは当時の「歩いても研究成果が減衰しない距離」を基準に算出されたもので、後年にとされることがある。
構想の背景[編集]
1960年代末、の湾岸開発との混雑緩和を受けて、内では「第三の学術回廊」を作る案が検討された。これに対し、研究者側は「書類とガラス試料が同じ車両で運べること」を強く求め、結果として座席下に耐震棚を備えた特殊仕様が採用されたといわれる。
名称の由来[編集]
「エクスプレス」は英語の高速列車を指す語であるが、この計画ではもともと「実験を高速で回す」という意味の内部略称であったという説がある。なお、初期文書では「TX-EX」と略記されており、これがのちにという現在の名称に整えられた。
歴史[編集]
1971年、の外郭に置かれたにより、秋葉原からを経由してつくばへ至る地下線の原案がまとめられた。原案は全42頁であったが、うち18頁が車両の空調と「試料保存区画」に割かれており、鉄道計画としては異例である[3]。
1980年代に入ると、沿線自治体の要望で住宅地化が進み、計画は「通勤新線」と「学術搬送線」の二重の性格を帯びた。特に周辺では、駅予定地の地盤が軟弱であったため、地下30メートルに直径9.4メートルの補強筒を埋設し、その内部を先に通した測量用ロボットが迷子になったという逸話が残る。
2005年の本格稼働では、開業初日に3分おきに発車する過密ダイヤが組まれ、研究者の出勤時間が平均17分短縮されたとされる。ただし、この数字は沿線大学の学内報にのみ載っており、外部監査では「計測条件が甘い」と指摘された。
建設工法[編集]
建設には「切削先行・通信後追い」と呼ばれる独自工法が採用された。これは、先に通信ケーブルの配管を敷設し、その振動を利用して掘削機の進路を補正する方式で、完成後に系の技術者が「電波が線路を引いた」と評したと伝えられる。
試運転期[編集]
試運転は62年から断続的に行われたが、冬季には車内湿度が極端に下がるため、実験用のカエルが全て眠ってしまう問題が発生した。これを受けて、車両中央に「覚醒室」と呼ばれる加湿区画が設置されたが、後に一般客用の優先席へ転用されたという。
開業後の反応[編集]
開業後、からまでの移動時間は大幅に短縮されたが、同時に「速すぎて沿線の景色を覚えられない」という苦情も寄せられた。これに対し運営側は、車窓に一時停止用の案内表示を追加し、特定区間でだけ景色の説明文が流れるようにしたとされる。
運行と設備[編集]
つくばエクスプレスの車両は、通常の通勤電車として設計されている一方で、座席下に微弱な振動計と温度記録紙を備えるのが特徴である。これは沿線の研究機関が「車内で採取されたデータをそのまま解析できるようにするため」で、乗客の体温変化までも路線データの一部として扱う発想があったとされる[4]。
また、駅設備にはの「電波調整室」、の「森内迷走防止標識」、の「折返し時空測定盤」など、用途がよく分からない名称の備品が多い。なお、これらは一部で観光用に再解釈されているが、元来は運行安定化のための装置であったと説明される。
輸送力は朝ピーク時に1時間あたり約1万6千人とされ、これは当初「研究者の集合住宅が一斉に起床した場合」を想定して算出された。過剰に見える数字であるが、沿線人口の急増により、結果的にはむしろ不足気味になったと指摘されている。
車両番号の謎[編集]
初期編成の番号はTX-01からTX-24までが割り当てられたが、TX-13だけは欠番ではなく「予備実験車」に回された。これは当時の担当技師であるが縁起を気にしなかったためとされるが、後年の沿線誌では「13番車だけ車内放送が少し静かである」と半ば都市伝説化している。
社会的影響[編集]
つくばエクスプレスの開通は、南東部と南西部の住宅地形成に大きな影響を与えた。とりわけ、、では、駅を中心に学習塾、共同研究住宅、深夜営業の弁当店が連鎖的に増え、これを「実験都市の生活化」と呼ぶ向きがある。
一方で、路線の高速性が「通勤時間の短縮」ではなく「生活圏の拡張」を生んだことから、沿線住民の可処分時間が増えた分だけ移動距離も増えたとする逆説的な研究がある。ある調査では、開業後5年で沿線住民の平均歩数が1日あたり約1,200歩増加したが、その多くは乗換駅での乗り継ぎ待ちによるものであった。
また、では大学・研究所の採用広報に路線名が頻出するようになり、就職説明会の資料に「東京からの心理的距離を47%短縮」といった独特の表現が見られた。もっとも、この数値の算出法は不明であり、広報担当者自身も「雰囲気で書いた」と回想している。
沿線文化[編集]
開業後、沿線の駅前では「快速で読める学会誌」「10分で届く試薬」などを売りにした商習慣が生まれた。特に周辺では、朝食に論文要旨を読む学生が増えたため、地元喫茶店がメニュー表の裏に要旨欄を印刷するようになったという。
批判[編集]
批判としては、開業前に想定されていた「学術搬送線」としての機能が途中で薄れたこと、また駅前再開発が画一化したことが挙げられる。ただし、これについては「鉄道が成功した証拠である」とする反論もあり、議論は現在も続いている。
批判と論争[編集]
つくばエクスプレスをめぐっては、建設費の膨張と路線命名の経緯に関する議論が多い。とくに、初期案では「首都圏学術高速線」という事務的な名称であったものが、広告部門の提案で英語混じりの現在名になったとされ、これに対しての一部会員は「路線名が先に走り、車両が後から追いついた」と批判した[5]。
さらに、地下区間の一部で微弱な電磁ノイズが発生し、携帯端末の時計が数秒ずれる事象が報告された。運営側は「研究都市にふさわしい時間の揺らぎ」と説明したが、沿線の塾では模試開始時刻が合わなくなるとして抗議が出た。
なお、開業記念式典で放たれた鳩が方面ではなく方面へ飛び去ったことが、路線の将来を暗示していたという俗説もある。これは一部の鉄道趣味誌で繰り返し引用されているが、記録映像の画角が悪く確認は困難である。
再開発との関係[編集]
駅前の地価上昇は予想以上で、沿線自治体の一部では「一駅あたりの地価上昇率」を条例審議の参考にしたことがある。もっとも、これは行政資料ではなく不動産会社の社内報が初出であり、正確性には疑義がある。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 高瀬信一郎『首都圏高速実験鉄道の設計思想』交通工学社, 1994年.
- ^ 佐伯由美子『筑波研究学園都市と都市間搬送網』都市開発評論, Vol.12, No.3, pp.41-68, 2002年.
- ^ Michael P. Harland, "Subsurface Academic Corridors in East Asia", Journal of Urban Transit Studies, Vol.8, No.2, pp.115-139, 2007.
- ^ 渡辺精一郎『地下軌道と研究所経済』日本交通政策研究所, 1988年.
- ^ Alicia M. Wren, "Express Lines and Laboratory Freight: The Tsukuba Case", Railway Systems Quarterly, Vol.19, No.1, pp.9-33, 2011.
- ^ 平田久美子『つくばエクスプレス開業史と沿線生活の変容』東日本出版, 2009年.
- ^ 日本鉄道史学会編『高速新線命名録』第4巻第2号, pp.77-104, 2015年.
- ^ David K. Sutherland, "Vibration Records from Commuter Trains", Transport Instrumentation Review, Vol.5, No.4, pp.201-224, 1999.
- ^ 山岡和彦『研究者輸送の社会学』筑波文庫, 2018年.
- ^ 森下玲子『電波が線路を引く日』工学社, 1991年.
外部リンク
- つくば高速線資料館
- 首都圏実験鉄道アーカイブ
- 沿線再開発年報データベース
- 筑波都市輸送史研究会
- 研究者通勤文化センター