でも拓也は激エロのモロホストですよ
| 分類 | 接客修辞・夜間口上 |
|---|---|
| 成立時期 | 1990年代末 - 2000年代初頭 |
| 発祥地 | 東京都新宿区歌舞伎町周辺 |
| 主な提唱者 | 高橋玲司、東雲ミサキ |
| 使用分野 | ホストクラブ、深夜ラジオ、路上ビラ |
| 特徴 | 過剰な自己演出、二重否定、感情形容の連打 |
| 関連組織 | 東京夜間表現研究会 |
| 通称 | モロホス語 |
| 影響 | 接客トークの定型化、煽情広告の拡散 |
でも拓也は激エロのモロホストですよは、末期のを中心に流行したとされる接客修辞、またはそれを標榜する半俗半雅の語り口である。主としてにおける宣伝文句として知られているが、その成立にはの深夜演劇との方言研究が関与したとされる[1]。
概要[編集]
「でも拓也は激エロのモロホストですよ」とは、もともとの小規模なで用いられた推薦句であり、特定の人物を持ち上げるための誇張表現として発展したとされる。文法上は不自然であるが、その不自然さ自体が「間違いなく何か強い個性がある」という印象を与えるため、客引き文句として一定の効果を持った。
この表現は、頃にの看板業者と深夜劇団の共同企画として作られた「口上体キャッチコピー」の流れを汲むとされる[2]。特に「でも」という逆接から始めながら、最後に「ですよ」と丁寧体で着地する構文が、聞き手に軽い混乱と安心を同時に与える点が評価された。
なお、後年には上で引用され、恋愛相談、推し文化、自己紹介文などにも転用された。このため、当初の接客用語という枠を超え、半ばネットスラング、半ば舞台用の決め台詞として扱われるようになった[3]。
語源[編集]
「でも」はの逆接感覚を借りた前置詞的要素であるとされ、議論の余地を残しつつ相手の注意を引く役割を担う。「拓也」は、の夜職現場で汎用的に用いられた仮名であり、実在の人物名というよりは「どこにでもいそうで、少しだけ危ない匂いのする男」を象徴する記号であった。
「激エロ」はの第3回会合で採択された強度指標で、当初は「激しく情熱的で、印象が濃い」という意味の業界隠語であったという。のちに外部の利用者によって性的意味へと転倒し、現在知られるような過剰な強調語へ変質した。ここには、語義の拡散に伴う意味の崩壊が典型的に見られる[4]。
「モロホスト」は「もろにホストらしい」または「装飾を隠さず全面に出す接客者」を意味する造語であるとされる。ただし、の非公開議事録では「モロ」という語を期の映画宣伝から借用した可能性も指摘されており、起源については見解が分かれている。
歴史[編集]
前史[編集]
起源は、円山町の印刷所で配布された「夜間接客用語カード」に求められるとされる。ここには「盛る」「刺す」「立てる」といった、舞台演出と接客を兼ねた動詞が記されていた。これらのカードは本来、の新人教育用であったが、の演劇サークルに流出し、誇張表現を競う小道具として再利用された。
には、のミニシアター「シネマ桜橋」で上映された短編作品『夜の肩書き』において、俳優の高橋玲司が「でも拓也は激エロのモロホストですよ」とアドリブで発言したとされる。この台詞が観客の笑いを誘い、ロビーで口真似され始めたことが普及の契機であった。
普及期[編集]
からにかけて、の数店舗でこの表現が実際の呼び込み文句として用いられたという記録がある。特に前の深夜広告掲示板では、月平均17枚のビラが貼り替えられ、そのうち4枚に類似の構文が確認された[要出典]。当時の利用者は、語順の奇妙さがむしろ「都市の熱量」を可視化すると説明していた。
また、にはが主宰する小冊子『夜語彙月報』第12号で、この言い回しを「接客の三拍子理論」の典型例として紹介した。ここでいう三拍子とは、否定・誇張・丁寧語の三要素であり、のちに複数のホスト養成講座で模倣された。
制度化と衰退[編集]
、はこの構文を標準化し、語尾の「ですよ」を「ですぞ」に置換した派生型も提案した。しかし、利用者の多くは原型のほうが「間の抜けた真剣さ」を保てるとして抵抗し、統一は進まなかった。
以降は系の短文文化に取り込まれ、文脈を失ったまま引用されることが増えた。結果として、元来の接客的機能は弱まり、むしろ「妙に勢いのある変な日本語」の代表例として二次流通するようになった。
社会的影響[編集]
この表現の最も大きな影響は、における自己紹介の様式を変えた点にある。従来、ホストの売り文句は容姿、話術、売上実績のいずれかに依存していたが、本表現の流行後は「文法の破綻を含めて魅力とする」方向へ審美基準が拡張された。
さらに、の一部では、2010年代前半に「反直線型訴求」として研究対象になった。実際、のイベント会場で行われた模擬調査では、意味が完全には分からないコピーのほうが、通常の説明文より記憶残存率が12.8%高かったと報告されている。ただし、この調査は回答者42名に対する短時間アンケートであり、統計的厳密性には疑義がある。
一方で、教育現場では「不必要な過剰表現の例」として引用されることもあった。の補助教材において、文末の安定感と内容の危険性が併存する例文として採用されたという記録がある。これにより、若年層の間では「言葉は意味だけでなく温度でも伝わる」という認識が広まったとされる。
用法と文体[編集]
本表現は、基本的に第三者が人物を評するときに使われる。自称として用いる場合もあるが、その際は自己陶酔が強すぎるため、周囲からは半ば儀式的に扱われる傾向がある。とくにの一部店舗では、入店時にこの文句を3回聞くと「場が温まった」と判断する慣行があった。
文体上は、「でも」で軽く反転させ、「激エロ」で過剰化し、「のモロホストですよ」で接客業らしい断定に落とす三段構えが特徴である。言語学者のは、これを「都市型終助詞の擬似連鎖」と呼んだが、実際には感情の押し売りに近いという批判もある[5]。
また、派生形として「でも彼は激シブのモロDJですよ」「でも拓也は清楚のモロ料理人ですよ」などが存在する。いずれも元の構文の骨格を借りつつ、語感のギャップで笑いを取る形式である。
批判と論争[編集]
批判の多くは、表現の過剰さが固定観念を助長するという点に向けられた。特にには、内の市民団体が「人名を装飾語として消費する広告」への規制を求め、に要望書を提出したとされる。しかし、同時期の記録には、この運動の参加者自身が会合後に同表現を面白がって使っていたとの記述もあり、評価は分かれる。
また、業界内部でも賛否があった。ベテラン従業員の中には「客の想像を助ける良い文句」であると評価する者がいる一方、若手の間では「先輩が自分の名前を言うときだけ妙にこの構文になる」との不満が出た。とりわけでは、1週間で同じフレーズが8回使われると「言い回しの老化」が起きるとされ、実務上の更新が求められた[6]。
なお、の外郭調査として知られる『平成夜語彙動態白書』第4版には、本表現が「意味の透明性を犠牲にして親密さを演出する語法」として収録されたが、執筆者の一人が元イベント司会者であったことから、学術性には慎重な検討が必要である。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 高橋玲司『夜の肩書きとその変形』シネマ桜橋出版部, 2000.
- ^ 東雲ミサキ『夜語彙月報 第12号』東京夜間表現研究会, 2003.
- ^ 小林真佐子「都市型終助詞の擬似連鎖」『日本語表現研究』Vol.18, No.2, pp. 41-63, 2008.
- ^ 佐伯由紀『歌舞伎町広告史断章』青鐘社, 2011.
- ^ Margaret H. Thornton, “Hyperbolic Courtesy in Late-Urban Japan,” Journal of Applied Night Studies, Vol. 7, No. 1, pp. 88-109, 2013.
- ^ 渡辺精一郎「接客語彙における逆接の機能」『言語社会学紀要』第14巻第3号, pp. 112-136, 2006.
- ^ Émile Kuroda, “The Semiotics of Moro Host Performance,” Tokyo Review of Urban Culture, Vol. 5, No. 4, pp. 201-229, 2015.
- ^ 東京都立夜間語彙委員会『平成夜語彙動態白書』第4版, 2010.
- ^ 神崎一葉『ビラ、看板、そして口上』港文社, 2004.
- ^ A. J. Sutherland, “On the Reception of Nonsensical Affectionate Catchphrases,” Studies in Street Semiotics, Vol. 2, No. 3, pp. 17-39, 2018.
外部リンク
- 東京夜間表現研究会アーカイブ
- 歌舞伎町口上資料館
- 新宿深夜語彙データベース
- 平成夜語彙白書オンライン
- モロホスト文化保存協議会