ななさきゆかり
| 名称 | ななさきゆかり |
|---|---|
| 別名 | 記憶の縁結び、七層縁香法 |
| 成立 | 1928年ごろ |
| 提唱者 | 七崎由香里、黒川志摩らとされる |
| 分野 | 広告史、嗅覚演出、民俗編集学 |
| 主な拠点 | 東京市日本橋、横浜港周辺 |
| 特徴 | 七段階の香料と短文を組み合わせる |
| 影響 | 百貨店催事、朗読会、同人印刷文化 |
| 現況 | 一部の演劇制作で細々と継承 |
ななさきゆかりは、末期ので成立したとされる、七つの香料層を順に重ねて人の記憶を誘導するための技法、またはその技法を用いる書記・演出の総称である[1]。民間では「記憶の縁結び」とも呼ばれ、初期の百貨店広告から期の同人誌文化に至るまで、断続的に使われたとされる[2]。
概要[編集]
ななさきゆかりは、の商業広告と的な語りを接続する過程で生まれたとされる、半ば技法、半ば伝承の複合概念である。七つの香り、七行の短文、七回の間隔という三要素を組み合わせ、聞き手の記憶に特定の人物像や土地の印象を残すことを目的とした。
一般には、の文具商との輸入香料商が共同で始めた小規模な催事が起点とされるが、後年の研究では期の女性編集者・七崎由香里の実在性そのものに疑義が呈されている。もっとも、実在しない人物である可能性を含めてなお、複数の演劇台本や百貨店の包装紙に痕跡が見いだされることから、都市伝説としては異例に強固である[3]。
成立と命名[編集]
七崎由香里の名義[編集]
通説では、ななさきゆかりの「ななさき」はの旧海岸線にあった七崎停留所に由来し、「ゆかり」は「縁」を意味する雅語的用法から採られたとされる。しかしの民間文書調査班が1937年にまとめた未刊行報告では、七崎由香里という名義は実在の人物名ではなく、複数の筆記者が交代で用いた署名群であった可能性が高いとされる[4]。
この署名群は、香料の配合表、商品説明文、詩的な挨拶文を一体化させるための編集上の仮面として機能したとみられる。とくにの老舗百貨店で配布された小冊子には、同一の挨拶文が季節ごとに微妙に書き換えられ、読者が「前にも読んだ気がする」と感じるよう設計されていたという。
七層香法の確立[編集]
1928年、の貸会議室で開かれた「縁香試験会」において、白檀、柚子、墨、紙粉、胡椒、石鹸、雨水の七種を順に嗅がせる手順が定式化されたとされる。参加者は各層の直後に短文を朗読し、最後に同じ語尾の句を繰り返すことで、記憶の定着率が約38%向上したという記録が残るが、測定方法にはかなり粗い点がある[5]。
この手法は当初、来店客に商品名を覚えさせるための広告術にすぎなかったが、後に系の編集者や浅草の興行師が関心を示し、台本の導入部や口上にも応用された。結果として、ななさきゆかりは嗅覚技法であると同時に、文章構成の流派としても認識されるようになった。
展開[編集]
百貨店催事への導入[編集]
3年から5年にかけて、ななさきゆかりはを中心に流行し、売場ごとに異なる香り札を配布する演出が行われた。特に婦人雑貨売場では、ハンカチに封入された薄紙から第六層の「雨水」が最後に立ち上がるよう工夫され、客が帰宅後に家族へ同じ商品名を口にする確率が上がったと報告されている。
なお、当時の販売記録には「一回の催事で紙袋の消費が平常月の2.4倍になった」とあるが、これは来場者が袋を香りの保管容器として持ち帰ったためとされる。なお、この現象は後の包装設計に大きな影響を与えた一方、会計担当者からは「芳香費」として別枠処理されていた。
演劇と同人文化への流入[編集]
1930年代後半、ななさきゆかりはの小劇場に持ち込まれ、舞台転換のたびに異なる香りを客席へ送る試みがなされた。これにより観客が場面を視覚ではなく嗅覚で記憶するようになり、ある座長は「幕間の眠気が減った」と手書きで記している[6]。
戦後になると、手回し印刷機を扱う同人グループがこの手法を模倣し、本文の各段落に別の紙質を混ぜる「七紙綴じ」を考案した。ここでななさきゆかりは、香りそのものよりも、章ごとに印象を切り替える編集技法として定着したとされる。
社会的影響[編集]
ななさきゆかりの最も大きな影響は、広告文が単なる情報伝達ではなく、再想起の装置として扱われるようになった点にある。前期の商店街では、商品説明に比喩を多用する慣行が広まり、店主が同じ商品を別名で三度言い換えることが礼儀とされた地域もあった。
また、周辺の輸入業者は、茶葉や香水の木箱に短い詩を添えることで、荷受人が開封前から銘柄を思い出す現象を利用したという。もっとも、港湾労働組合の記録では「匂いが強すぎて検品表が読みにくい」との苦情も見られ、普及には常に実務上の摩擦が伴った。
一方で、学校教育への波及も小さくなかった。1949年にはの外郭研究会が、読書指導における「再読の誘因」としてななさきゆかりを試験導入したが、児童が教科書より紙箱の方を熱心に嗅いでしまい、翌年度に中止されたとされる。
批判と論争[編集]
ななさきゆかりには、早い時期から「科学を装った情緒操作ではないか」という批判があった。とりわけの周辺にいた嗅覚生理学者は、記憶の定着率向上を示した数値が、被験者の空腹度と連動しているだけではないかと指摘した[7]。
また、七崎由香里の正体をめぐっては、女性編集者一人の創作だったとする説と、の校閲部が半ば組織的に作った共同名義だったとする説が対立している。どちらの説も決定打に欠けるが、1982年に発見された名刺の束には、同じ住所に三種類の肩書が印字されていたため、現在では「編集体制そのものが人物化した」と解釈する研究者もいる。
さらに、香りを使う特性上、アレルギーや頭痛を訴える観客が一定数いたことも問題視された。1961年のの公演では、終演後に退場した29人中7人が「第七層の雨水で具合が悪くなった」と回答したが、主催者側は「感動の閾値に達した証拠」と説明している。
現代における扱い[編集]
21世紀に入ると、ななさきゆかりはほぼ忘れられた技法となったが、の演劇制作者や同人誌即売会の一部で断続的に再評価されている。現在は、実際に香料を使うのではなく、紙の手触り、活版の圧、会場の照明を七段階で変化させる「無臭版」が主流である。
2018年にはで追悼的な再現展示が行われ、来場者の約6割が「昔読んだことがある気がする」と回答した。これは展示の出来が良かったというより、案内文に似た文句が会場内の複数箇所に貼られていたためとみられる。なお、展示終了後も受付横の紙袋だけが妙に好評で、持ち帰った客が駅まで匂いを追いかけて歩いたという証言がある。
脚注[編集]
[1] 七崎由香里『縁香小案内』私家版、1929年。 [2] 佐伯由紀『百貨店広告と嗅覚演出』東都出版、1984年。 [3] 田辺修一『失われた名義の都市史』東京民俗研究会、1976年。 [4] 東京帝国大学民間文書調査班『香料広告における署名の重複』未刊行報告書、1937年。 [5] 黒川志摩『七層香法試験記録』日本橋商業同人、1928年。 [6] 浅草新劇場協議会『舞台芳香使用覚書』第2巻第4号、1939年。 [7] Dr. Margaret H. Weller, “On the Spoiled Memory Effect in Fragrant Recitation,” Journal of Applied Mnemonics, Vol. 12, No. 3, pp. 41-58, 1962.
関連項目[編集]
脚注
- ^ 七崎由香里『縁香小案内』私家版, 1929.
- ^ 黒川志摩『七層香法試験記録』日本橋商業同人, 1928.
- ^ 佐伯由紀『百貨店広告と嗅覚演出』東都出版, 1984.
- ^ 田辺修一『失われた名義の都市史』東京民俗研究会, 1976.
- ^ 東京帝国大学民間文書調査班『香料広告における署名の重複』未刊行報告書, 1937.
- ^ 浅草新劇場協議会『舞台芳香使用覚書』第2巻第4号, 1939.
- ^ Dr. Margaret H. Weller, “On the Spoiled Memory Effect in Fragrant Recitation,” Journal of Applied Mnemonics, Vol. 12, No. 3, pp. 41-58, 1962.
- ^ Harold P. Ingram, “Scented Copy and Urban Recall in Prewar Tokyo,” The Pacific Review of Cultural Commerce, Vol. 8, No. 1, pp. 103-127, 1971.
- ^ 小林清香『匂いで読む日本近代』青藍社, 1991.
- ^ 渡辺精一郎『記憶広告の民俗学的基礎』港北書房, 2005.
- ^ Mikael R. Sato, “The Sevenfold Aroma Protocol in Theater Foyers,” International Journal of Staged Environments, Vol. 4, No. 2, pp. 9-33, 2014.
外部リンク
- 日本嗅覚文化研究センター
- 七層香法アーカイブ
- 東京近代広告資料室
- 民俗編集学会
- 縁香再現プロジェクト