にしぼり
| 名称 | にしぼり |
|---|---|
| 別名 | 西絞り、方位封じ、にし縛り |
| 分類 | 染織・保存・方位儀礼の複合技法 |
| 起源 | 18世紀末の西国街道沿線 |
| 主な使用地域 | 京都府南部、滋賀県西岸、山陽地方北部 |
| 関連機関 | 京都染織試験場、農林省食塩保存研究班 |
| 代表的な器具 | 杉板枠、麻縄、向西札 |
| 消滅期 | 1970年代後半 |
にしぼりは、主に後期の沿いで発達したとされる、藁屑と塩を用いて西向きの風味を固定するための民間技法である。のちに南部の染織業、さらに期の食品保存研究へと取り込まれたことで知られている[1]。
概要[編集]
にしぼりは、布や乾物、場合によっては小型の木製標本箱に対して、西方へ偏った湿気や匂いの流入を抑える目的で行われた技法である。一般には保存法の一種と説明されるが、実際にはの方位観との経験則が混ざって成立した半儀礼的な慣行であったとされる[2]。
文献上の初出は11年にの商家帳簿へ記された「にしぼり紙代」の記載であるとする説が有力である。ただし、同時期の側資料には同名の機械部品名が現れ、こちらを起源とする説もあり、研究者の間ではいまだに整理がついていない。
歴史[編集]
成立[編集]
成立は末、の宿場町において、干物の臭気が西風で戻ることを嫌った行商人たちが、荷の西側だけを先に締める作法を始めたことに求められる。これが「西を絞る」ことからにしぼりと呼ばれるようになったとされるが、初期の記録では「西張り」「にししぼり」「荷絞り西法」など表記が揺れており、当初から名称が定まっていなかったことがうかがえる[3]。
京都染織への転用[編集]
期になると、南部の染屋がこの技法を布の色止めに応用した。とりわけの下請け工房では、茶染めの最終工程で布を三回だけ西向きに折り返す「三折りにしぼり」が標準化され、未熟な職人でも失敗しにくい方法として重宝されたという。もっとも、染料より方位札の消費量のほうが多かった年があり、7年には町役場から「札の濫用に注意せよ」との通達が出たとも伝わる[4]。
昭和期の再評価[編集]
28年、の外郭研究会である食塩保存研究班が、にしぼりが実際には通気量の偏りを作るだけでなく、塩分の再結晶を促す可能性があるとして再検証を行った。実験では、杉板枠で固定した干菜の保存期間が平均で11.8日延びたとされ、これが一時的なブームを招いた。しかし同班の報告書の末尾には「なお、向西の向きが南西であったため結果の再現性に難あり」との注記があり、今なお要出典扱いである[5]。
技法[編集]
にしぼりの基本は、対象物をまたはに納め、必ず西側だけを先に結ぶことである。結束には麻縄が用いられ、最後の一巻きだけを通常より7分だけ強く締める「七分締め」が推奨された。これは、風味の漏出を防ぐというより、作業者に「やり切った感」を与える心理的効果が大きかったと考えられている[6]。
地域によっては、締める際にの西寺方面を向いて一礼する作法や、の西岸から取った砂をひとつまみ添える流派もあった。また、豪商の家では季節ごとに「西が強い日」を占い、から数えて17日目以降にしか施工しない例も確認されている。こうした細かな規定が多い一方、実際の保存効果との差はほとんど測定されていなかった。
地方変種[編集]
近江型[編集]
西岸で見られた近江型は、湖風を嫌って布の西辺にだけ米粉を薄く塗る点が特徴である。近江型の職人は「西の湿りは米で受ける」と言ったが、実際には虫が寄りやすくなったため、20年代には急速に廃れた。もっとも、廃れた理由を「虫害」ではなく「西に寄りすぎた」と記す古文書があり、民俗学者を悩ませている。
山陽型[編集]
からにかけては、にしぼりを荷台の荷崩れ防止術として用いる山陽型があった。こちらは実用品としての評価が高く、初期には郵便集配所で簡易採用された例もある。ただし、封緘が強すぎて開封に二人必要になったため、配達時間が平均で3分余計にかかったという。
茶業型[編集]
周辺の茶業型では、茶葉の蒸熱後に木箱へ移す前、箱の西側にのみ柿渋を塗る方式が採られた。これにより香りが「西へ逃げない」とされたが、実際には箱の内側が少しだけ乾きやすくなるだけで、味覚評価は職人の気分に大きく左右されたとされる。なお、この型では箱を開ける方向まで厳密に決められており、誤って東から開けると「一晩寝かせ直し」と呼ばれる罰則があった。
社会的影響[編集]
にしぼりは、単なる保存法にとどまらず、の礼法、地域の方位信仰、さらに職人の同業組合の序列確認にまで影響を与えた。とりわけの老舗では、にしぼりを正しく行える者だけが番頭見習いに進めたため、実務能力よりも結束の美しさが評価されるという奇妙な慣行が生まれた[7]。
一方で、にしぼりの普及は「西を優先する」思考を社会に広めたとして批判も受けた。明治後期には一部の教育関係者が、方位への過剰なこだわりが地理教育を妨げるとして排除を試みたが、逆に理科教材として「風向きと結束の関係」を示す実験に利用され、完全には消えなかった。
批判と論争[編集]
最大の論争は、にしぼりが保存技法なのか、儀礼なのか、それとも職人たちの暇つぶしなのかという点である。40年代の民俗調査では、現存する実践者の約68%が「祖母にそう教わった」と答えた一方、19%は「誰も理由を知らない」と述べ、残りの13%は調査票に西向きの印を描いて返送した。これにより、実態の把握はほぼ不可能となった[8]。
また、の内部資料が一部で公開された際、にしぼりの効果試験に用いられた試料が本来の干菜ではなく、ほぼ同じ形の木片であったことが判明し、研究倫理上の問題も指摘された。ただし、研究班は「木片でも西風の影響は受ける」と反論しており、この主張だけが妙に有名になっている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐伯一郎『西向き結束法の民俗史』京都民俗研究叢書, 1987.
- ^ Margaret A. Thornton, "Directional Binding and Aroma Retention in Early Modern Japan," Journal of East Asian Material Culture, Vol. 14, No. 2, 1998, pp. 113-146.
- ^ 井上千代子『にしぼり図解集 成』私家版, 1964.
- ^ 山村尚『方位と保存: 近世商家の実務技術』吉川弘文館, 2003.
- ^ Haruto Kameda, "The West-Side Seal: A Curious Preservation Ritual," Nippon Folklore Review, Vol. 8, No. 1, 1971, pp. 21-39.
- ^ 京都染織試験場編『茶染め工程における結束圧の変動』京都府産業資料, 1955.
- ^ 農林省食塩保存研究班『食塩と風向に関する試験報告』第3巻第4号, 1954, pp. 9-27.
- ^ 中西隆一『西絞りと荷崩れ防止の実際』大阪商工会議所資料, 1929.
- ^ Élise Duval, "Nishibori and the Politics of Quiet Corners," Revue des Arts Domestiques, Vol. 2, No. 3, 2006, pp. 77-91.
- ^ 『向西札の使い方』京都町方文庫, 1812.
- ^ 林田春樹『木片でも風は受ける: 実験民俗学ノート』東亜大学出版会, 1978.
外部リンク
- 京都染織資料アーカイブ
- 西国街道民俗調査会
- 食塩保存研究班デジタル館
- 向西札保存委員会
- 近江型にしぼり研究室