にしんの賽
| 分類 | 民間占術(賽を用いる予兆体系) |
|---|---|
| 主要素材 | 干ニシン粉末、木灰、少量のタール |
| 主な地域 | 北部沿岸(特に周辺) |
| 成立時期(通説) | 期 |
| 成立時期(異説) | 初期(工業試作起源) |
| 用途 | 漁獲、天候、相場、祭礼の吉凶判断 |
| 関連行為 | 振り回し、数刻み、唱和(短句) |
| 研究対象 | 民俗学・食文化史・工業史の交点 |
(にしんのさい)は、の港町で発達したとされる「魚占い用の賽(さい)」である。干したの粒と微量の灰分を練り込んだ立方体を振り、漁や市況を読む習俗として記録されたとされる[1]。ただし、その起源は近世の航海術ではなく、20世紀前半の金属加工技術から派生したとする説がある[2]。
概要[編集]
は、漁期の前後に限って用いられる占具として説明されることが多い。一般に、干ニシンを微粉砕し、と少量の粘着成分を加えて立方体へ成形したものが「賽」とされる。使用者はそれを手のひらで10回転がし、次に静かに落として出目と手触りから予兆を読み取るとされた[3]。
成立経緯については、港町の「縁起読み」に自然発生的に由来したという説明が広まっている。一方で、の旧制機械系教育機関に設置された小型試験炉から流出した“油分調整用の微タール”が、賽の焼き固め技法と結びついた結果だとする異説もある[4]。このため、民俗資料では「食べ物由来の占具」とされながら、技術史の読解では「工業副産物の転用」として整理されることがある。
呼称と構造[編集]
「賽」という語は通常はサイコロのそれを想起させるが、本項では“数(さ)を授かる器”として解釈されることがある。特に北部沿岸では、同じ形でも粒度の違う賽を別用途に仕分けたとされる。たとえば粒径が「0.42mm〜0.58mm」に収まるものは“遠征前”用、「0.30mm未満」は“市況確認”用と呼び分けられたという[5]。
また、表面の目(面数)は6つとされるが、実際の習俗記述では7面目の“音”が重視されたともされる。賽を落とす際の甲高い響きは「波が高い」、鈍い響きは「潮が澱む」という対応づけがある。加えて、出目の読みは単純な数字だけでなく、振り回した回数(唱和の長さ)で補正されるのが特徴とされる。たとえば「唱えが9拍」のときは吉を半減し、「11拍」のときは凶を裏返すと説明されることがある[6]。
このような補正は、当時の市場で流行した“相場の分割表示”の言葉遊びが持ち込まれた名残だと推測されている。なお、賽を振る手の温度が低いほど「不漁が延びる」ため、冬場は炭火のそばで計量してから渡す風習があったと記される[7]。
歴史[編集]
前史:ニシンと“数の制度”[編集]
の前史は、漁の見通しを“数”に落とし込もうとする試みから始まったとされる。19世紀末の沿岸では、日和見の口伝が過度に主観的であるとの批判があったため、の管内で“出港届の様式改訂”が行われたという記録が引かれることがある。届出は当初、天候を文章で記していたが、の様式改定で「風の強さ」を指数化(0〜5)する欄が導入されたとされる[8]。
この指数化の考え方が、後の賽の“出目補正”につながったと説明される。ただし当該資料の年代は資料間で食い違いがあり、編集者によって「先例があった」と強調されたり「誤読がある」と控えめにされたりする。たとえばの古書集に「数制度はすでにに確立」とある一方、別写本ではとなっている[9]。このズレは“嘘の混入”として扱われることがあるが、実際には賽の文化が複数の港で再編集された痕跡だとする見方もある。
成立:試験炉と港の小判会議[編集]
通説では期に成立したとされる。転機として語られるのが、から運ばれた小型試験炉と、それに付随した粉末固化技術である。工業側の関係者として、に所属していたとされる技師・がしばしば名指しされる。彼は「粉末に微タールを混ぜると崩れにくい」と記したとされ、さらに“占具に転用される余地がある”と書き残したという[10]。
一方、民俗側では「港町の小判会議」が強調される。これは漁師や仲買人が集まり、売上を“賽の出目”で分配調整する会合だったとされる。会合名は公式文書に出ないが、の内部記録の筆耕部分に「会議後、賽箱を分厚くした」という趣旨の傍記が見られるとされる[11]。ただし記録の筆者名が確認できないため、研究では“筆の癖から推定”とされることがある。
実際の技法は細かく語られる。賽は作成後、で3日乾燥し、4日目にだけ“音合わせ”の試験をしたとされる。乾燥時の重さは初期から「正味の1.7%」だけ減るのが標準で、それ以上減ると“凶が強く出る”とされた[12]。ここまで具体的な条件が残っているため、後世の作り話だと疑う声も少なくない。しかし疑いが強いほど、記事ではその“数字の正確さ”が逆に信憑性として働く、と編集方針が述べられたことがあった。
普及と衰退:相場の電子化と“最後の振り”[編集]
後期に入ると、賽は漁村の儀礼としては残ったものの、商業の意思決定から徐々に退いたとされる。理由は「相場の見える化」が進んだことだと説明される。具体的には、頃から経由で価格情報が早く届き、予兆より情報が勝つようになったという[13]。
また、賽を扱う過程での衛生面の指摘も出たとされる。干ニシンは湿度で匂いが戻り、賽の表面がベタつく場合があるため、保健所の指導が入ったとする記述がある。ただし指導日としてが挙げられ、別資料ではとなっている。記事執筆者はこの矛盾を“地域差”で処理し、最終的には「最後の振りが行われた日」をの冬至前日と書くのが常套になった[14]。
最後の振りの場面は固定化している。浜に集まった老漁師が賽箱を開け、出目が“2・5・6の順”にならないと海が落ち着かない、と唱えたとされる。ところが実際の出目記録が残っておらず、記録が「回想だけ」である点を理由に、学術的には慎重に扱われる。ただし慎重に扱うほど、当時の空気まで含めた物語性が増すため、民間の解釈では“むしろ都合が良い”と受け止められている。
社会的影響[編集]
は、占いというより「共同意思決定の儀式」として機能したとされる。賽を振る瞬間には異論が抑えられ、結果が出た後は分配や出港タイミングを共有できたと説明される。そのため、漁期の争いを“数字に回収する装置”として見る研究もある[15]。
一方で、市場側には波及効果もあった。仲買人は賽の出目を聞いて、注文を前倒しにすることがあったとされる。特にでは「出目が6に偏る年は、仕入れが3割増える」という俗説が残ったとされる[16]。この数字は統計ではないが、当時の“取引台帳の見出し”に赤字で記されたという話が引かれ、あたかも根拠があるように読まれてしまう。
さらに、賽の材料であるニシン由来の粉末は、食文化にも波及した。占具として使われた後、使い終わった賽を煮汁へ落として“味が整う”とする地方習慣が広がったとされる。これは衛生学的には疑問があるため、研究者の中では「都市伝説」として切り分けられてきた。ただし切り分けが行われるほど、むしろ“食べてしまう人がいたからこそ話が残った”という想像が働くと指摘されている。
批判と論争[編集]
批判は主に3系統に整理される。第一に、賽の説明があまりに技術的で、民俗学としての素朴さを失っている点が問題視された。たとえば粒径や乾燥減量率(1.7%)のような値は、工業記述の文体に似ているため、後世の編纂者が“それらしく”作ったのではないかという疑義がある[12]。
第二に、史料の系譜が追えない点である。たとえばの技師の手帳は所在不明とされ、引用の出典ページ番号が書かれないことがある。編集者は「要出典の扱いを避けた」と記すが、結果として“脚注が薄い文章が本文を支える”という状態になる[17]。第三に、衛生・法規の議論が不整合である。ある論者は衛生指導が早く入ったと主張し、別の論者は逆に放置されたと主張するなど、結論が揺れている。
とはいえ、論争自体がの社会的価値を保ったとも解釈される。疑わしさがあることで、儀礼が“神秘性を帯びた娯楽”として再定義され、地域のイベントに組み込まれたとする見方もある。最終的に、賽の実在性よりも、「共同体がどう語りを使ったか」が重要であるとされ、研究の関心が移ったとまとめられることが多い。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『粉末固化と微タール調整の試験記録』北海道工務局技術報告書, 1934.
- ^ 佐伯由香『北方港町の出目儀礼—にしんの賽の社会機能』北海道民俗研究会, 2008.
- ^ 山崎俊朗『漁の意思決定を数にする—指数化された出港届』月刊海事史, 第18巻第4号, pp. 41-58, 2011.
- ^ Margaret A. Thornton『Tokens of Forecasting in Northern Fishing Communities』Journal of Maritime Anthropology, Vol. 7, No. 2, pp. 113-129, 2014.
- ^ 菊池和馬『食文化史と占具転用の境界』食と民俗の交差点, 第2巻第1号, pp. 9-27, 2016.
- ^ 鈴木アヤ『唱和拍数が吉凶を反転させる条件に関する一考察』日本語数理民俗学会誌, 第5巻第3号, pp. 77-96, 2020.
- ^ 北海道商工会議所『小樽地区取引台帳の傍記に関する整理』内報, 1969.
- ^ 『札幌電報局五十年史—価格情報の到達速度と意思決定』札幌電報局, 1982.
- ^ Hiroshi Tanaka『Drying Loss and Sound Matching: A Pseudo-Scientific Reading of Fishing Divination Cubes』Proceedings of the Curious Materials Society, Vol. 3, pp. 1-22, 1999.
- ^ 小田島恵里『数字で縛る共同体—にしんの賽と分配調整の言説』北方史叢書, 第12巻第2号, pp. 201-223, 2005.
外部リンク
- 北方民俗アーカイブ
- 港町数物語ライブラリ
- 占具材料データベース
- 小樽商工会議所デジタル文書
- 北海道工務局技術史見聞録