ねこぎつね
| 名称 | ねこぎつね |
|---|---|
| 別名 | 猫狐、寝子狐、二尾獣 |
| 分類 | 民間伝承・擬獣信仰 |
| 初出 | 平安後期の寺社記録とされる |
| 主な分布 | 京都盆地、北陸、三河沿岸、江戸下町 |
| 象徴 | 招福、夜警、境界通過 |
| 関連信仰 | 稲荷信仰、猫又信仰、浜辺の辻占 |
| 近代化 | 明治期の郷土玩具化、大正期の児童雑誌掲載 |
| 禁忌 | 片手で数を数えること、塩を盛らずに呼ぶこと |
ねこぎつねは、各地の農村部で伝承されてきたとされる、との性質を併せ持つ妖獣、またはそれを模した民間信仰上の存在である。夜間にと結びつくかたちで語られることが多く、近代以降は郷土玩具や児童文学の題材としても知られている[1]。
概要[編集]
ねこぎつねは、猫のしなやかさと狐の変化性を合わせ持つとされた存在である。伝承上は、家屋の梁や蔵の上に現れ、目撃者に小さな幸運を与える一方、半刻ほど遅れて厄災を持ち去るとされる。
民俗学上は、の山間寺院で行われた夜祭の記録に、12世紀末ごろから断片的に現れるとされる。もっとも、その記述は後世の筆写で増補された可能性が高く、所蔵本の書誌調査では、少なくとも3系統の異同が確認されている[2]。
起源[編集]
寺社記録にみる初期像[編集]
最古層の記録では、ねこぎつは『尾が二つに分かれ、鳴けば鼠が黙る』とだけ記されている。これは当時の系写本にしばしば見られる誇張表現の一つと解釈されてきたが、の湖東地方に伝わる口碑では、実際に寺の米倉を守る役目を負っていたともいう。
なお、末期には、夜間の見回りを担う僧兵が猫耳状の烏帽子をかぶっていたことから、その姿が獣化して伝承化したという説もある。ただし、この説はとされることが多い。
稲荷系伝承との接続[編集]
鎌倉期に入ると、ねこぎつねはの使いとして再解釈され、白狐に紛れて台所に入り込む『台所守り』として描かれるようになった。とくにの旧家に伝わる『夜半の二つ目』の話では、ねこぎつねが油揚げを食べる代わりに、帳簿の誤記を正したとされる。
この再解釈は、当時の米価高騰と蔵の盗難増加を背景に広まったとみられている。民間では、ねこぎつねを縁起物として戸口に描く習慣が生まれ、のちの護符文化にも影響した。
民俗的特徴[編集]
ねこぎつねは、見かける季節によって吉凶が変わるとされた。春に現れれば田植えの順調、夏に現れれば蚊除け、秋に現れれば収穫増、冬に現れれば火伏せの兆しであるとされる。
一方で、三回連続で鳴いた場合は、家人の誰かが遠方へ旅立つ前触れとされた。これに関しての古記録には、年間だけで17件の『鳴き別れ』が記録されているが、実際には近隣の見世物興行との混同も指摘されている。
また、ねこぎつは魚よりも塩昆布を好むとされ、供え物には必ず片結びの麻紐を添える習慣があった。これは結界を示す簡易な作法であり、後期にはの縁日で玩具として売られるようになった。
近代化と玩具文化[編集]
明治期の郷土玩具化[編集]
20年代、の玩具商・沢村松蔵は、猫と狐を半々にした張り子を『ねこぎつね』の名で売り出した。松蔵は当初、売れ残りの狐面の耳を猫耳に付け替えたにすぎなかったが、の前身団体である玩具研究懇話会がこれを採り上げ、以後、赤い首輪と金泥の尾が標準意匠として定着した。
同店の帳簿には、に月産48個、に月産312個と記されており、地方巡業の土産として一気に普及したとされる[3]。
大正期の児童文学[編集]
10年前後には、児童雑誌『』が『ねこぎつねと雨の橋』を連載し、都市部の子どもたちの間で知られるようになった。作中のねこぎつねは、橋のたもとで迷子を導く善性の存在として描かれ、以後、伝承の凶兆性はやや薄まった。
編集部の回顧録によれば、この連載は当初『ねこの化けもの』として投稿されたものを、当時の編集長・が『狐要素を足せば地方色が出る』と改稿した結果であるという。
社会的影響[編集]
ねこぎつねは、農村の夜回り、商家の防犯、そして子どものしつけにまで用いられた。『ねこぎつねが見ている』と言うだけで夜更かしをやめる子どもが多かったとされ、各地の家庭教育における半ば非公式な規範として機能した。
また、初期にはの意匠部が、商家の看板にねこぎつねを描くことで客足が増えるとする調査結果をまとめた。もっとも、調査対象34店のうち26店が同じ提灯業者に依頼しており、統計としてはかなり怪しい。
批判と論争[編集]
民俗学の分野では、ねこぎつねは『猫又信仰の枝分かれにすぎない』という見方と、『狐憑きの緩衝装置として独立した信仰である』という見方が対立している。とりわけのでは、会場ロビーで『尾の数が重要か、耳の形が重要か』をめぐる応酬が3時間続いたと記録されている。
また、の一部地域では、ねこぎつの図像が実際の飼い猫の品種改良と混同され、保健所への問い合わせが相次いだ時期があった。これにより、1980年代には自治体が『ねこぎつはペットではない』という注意書きを配布したが、かえって観光土産として人気を呼んだ。
文化財・現代の扱い[編集]
現在では、ねこぎつは主に郷土資料館、稲荷系祭礼、アニメの背景美術などで再解釈されている。のでは、漆塗りの小面にねこぎつの意匠を施した『夜守り面』が毎年23点限定で制作される。
には文学部の学生サークルが『ねこぎつね実見会』を名乗って夜の鴨川沿いを調査し、翌年の会誌で『影の動きが狐、足音が猫』と報告したが、指導教員からは『観察条件が悪い』として軽く退けられた。にもかかわらず、この報告はネット上で再燃し、ねこぎつね人気の小規模な再流行につながった。