ねんね
| 名称 | ねんね |
|---|---|
| 分類 | 睡眠儀礼、幼児語、民間生活術 |
| 成立 | 1908年頃(東京府下の家庭衛生運動の中で整理) |
| 提唱者 | 渡辺精一郎、黒田トメ子ほか |
| 中心地 | 東京都神田区・本郷区 |
| 主な媒体 | 育児書、童謡、家庭看護講習会 |
| 特徴 | 揺り動作、低声反復、布団配置の角度管理 |
| 関連団体 | 帝都睡眠改良協会 |
ねんねは、乳幼児を就寝状態へ移行させるための日本独自の儀礼的行為、またはそれを中核に発展した生活文化を指す語である。現代では幼児語として知られる一方、末期ので体系化された「睡眠同調法」の俗称としても扱われる[1]。
概要[編集]
ねんねは、一般には乳幼児を寝かしつける際の呼びかけや動作を指す語であるが、初頭のでは、これを家事技術として標準化しようとする動きがあったとされる。とくにの育児講習会で広まった「三拍・二揺・一停止」の手順は、のちに家庭内の寝かしつけの作法として定着したという[2]。
この概念は、単なる幼児語としての「ねんね」と、都市近代化のなかで生まれた管理法とが、編集上ほとんど区別されないまま合流した結果として説明されることが多い。一方で、当時の新聞には「ねんね器具」や「ねんね時間割」の広告が断続的に確認されるとされ、家政学と民間伝承の境界にまたがる現象であったとみられている[3]。
歴史[編集]
成立の背景[編集]
ねんねの原型は、にの私設看護講習所で行われた「夜泣き軽減実験」に求められるとされる。講師のは、の衛生学講義を下敷きに、揺りかごの振幅を1分間に18回へ揃えると入眠率が83%まで上昇する、と報告した[4]。ただし、この数値は配布資料の余白に手書きで追記されたもので、後年になってから権威づけに利用されたとの指摘がある。
同時期、下町の産婆が「ねんね節」と呼ばれる短い旋律を導入したことで、寝かしつけは単なる実務から半ば儀礼へと変化した。黒田は「子を寝かせるのではなく、家の音を眠らせるのである」と述べたと伝えられ、のちにこの言葉は帝都睡眠改良協会の標語に採用された[5]。
大正期の普及[編集]
期に入ると、ねんねは都市中流家庭の必修技能として推奨されるようになった。とくにに刊行された『家庭におけるねんね実践法』は、初版2,400部が3か月で完売し、増刷の際には「祖母の経験則を科学語で包み直しただけ」との批判もあったが、当局はこれを家庭衛生の啓発書として黙認したという[6]。
またの見世物小屋では、見習い看護婦による公開デモンストレーションが行われ、観客が寝かしつけの成功を拍手で判定するという奇妙な催しが流行した。記録によれば、最も人気のあった演目は「八畳間で3人同時にねんねする方法」で、成功率は日によって大きく揺れたものの、最長記録は47分であったとされる。
昭和初期の標準化[編集]
初期には、の前身組織が家庭看護の標準化を進めるなかで、ねんねの工程がさらに細分化された。具体的には、布団の敷き始めを東向き、子どもの頭部を北寄りに3度傾ける「北三度法」が採用され、これにより入眠までの平均時間が12分短縮されたと報告されている[7]。
しかし、1933年の調査では、規格化されたねんねを「息苦しい」と感じる家庭が27%に上ったことから、協会は「情緒を残したまま数値化する」という方針へ転換した。ここで導入されたのが、寝かしつけ時の声色を3段階に分ける「ねんね声階法」であり、低音域の過多が逆に覚醒を招くという逆説的な知見が、のちに児童心理学へ流入したとされる。
方法論と用語[編集]
ねんねの実践法は、大きく「抱揺」「反復」「静止」の3工程に分けられる。帝都睡眠改良協会の内部資料によれば、抱揺は1回あたり2.4秒、反復は6回を上限、静止は7秒以上を要するとされ、これを逸脱すると「眠気の気化」が起こるという[8]。
用語面では、「ねんねする」は就寝を意味するだけでなく、物事を一時停止させる比喩としても用いられた。鉄道省の一部職員は、運休予定を回覧で知らせる際に「本件、ねんね扱い」と記していたとされ、こうした行政用語への流入が、ねんねの社会的広がりを示す証拠としてしばしば引用される。なお、地方によっては「ねんねこ」「ねむね」などの派生形もあり、これらは本来別系統とする説もあるが、編集合戦の末に同一項目へ統合された経緯がある。
社会的影響[編集]
ねんねの普及は、乳幼児の睡眠だけでなく、家庭内の役割分担にも影響を与えた。とくに「ねんね係」という言い方が都市部の新聞広告に現れ、家政婦募集の条件に「夜間ねんね経験3年以上」と記される例もあった[9]。これにより、寝かしつけ技能が労働として可視化されたことが、労働市場の微細な再編を促したとみられる。
また、の一部小学校では、児童が家庭で観察したねんねの手順を作文にする課題が出され、優秀作は壁新聞に掲示された。この取り組みは「家庭の科学化」の成功例として称揚されたが、実際には子どもたちが祖父母の寝相まで詳細に書き込み、教員が収拾に困ったという逸話が残る。
批判と論争[編集]
ねんねをめぐる最大の論争は、それが民間の口伝か、近代的な育児技術かという点にあった。家庭科学派は「再現可能な技術」であると主張したが、民俗学者のは、ねんねは本来、地域の子守唄・揺り椅子・湿度感覚が複合した環境文化であり、手順のみを切り出すのは暴力的であると批判した[10]。
さらに、には「ねんね過剰症」が雑誌『母と子』で取り上げられ、過度な揺動により子が起きるどころか、親の方が先に眠る事例が多数報告された。帝都睡眠改良協会はこれを「成功の一種」と説明したが、読者投書欄には「三日で家族全員が時差ぼけになった」との苦情が相次いだ。
後世への継承[編集]
戦後、ねんねは学術用語としての位置づけを失ったものの、幼児語・家庭内表現として生き残った。またには民間放送で「今夜のねんね」などの子守番組が制作され、ラジオの音量を絞ったまま聴く家庭が増えたことで、結果的に深夜帯の視聴習慣に影響したとされる[11]。
一方で、に入ると、ねんねの「正しい手順」を再現するワークショップが内の育児支援センターで開催され、参加者の満足度は高いものの、終了後に「家に帰ると子どもが別の方法で寝る」との報告が相次いだ。これに対し、講師は「ねんねとは技術ではなく、家庭ごとに異なる眠りの合意形成である」と述べたとされる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『家庭における入眠同調法』帝都衛生出版, 1909年.
- ^ 黒田トメ子『ねんね節と幼児安静術』東亜看護協会, 1912年.
- ^ 小林蘭子『大正期家庭科学における睡眠管理』母子文化研究所紀要, Vol. 4, pp. 33-58, 1921.
- ^ 渡辺精一郎・田所義雄『夜泣き軽減のための揺動回数測定』帝国大学医科紀要, 第18巻第2号, pp. 112-129, 1908年.
- ^ 小野寺駒雄『民俗としてのねんね語彙』日本民俗学雑誌, 第7巻第1号, pp. 5-27, 1934年.
- ^ Margaret A. Thornton, Sleep Synchronization in Urban Households, Journal of Domestic Hygiene, Vol. 12, No. 3, pp. 201-219, 1931.
- ^ 佐伯みつ『北三度法の実際と応用』厚生家庭叢書, 1935年.
- ^ 帝都睡眠改良協会編『ねんね標準手引 第三版』協会資料室, 1933年.
- ^ H. J. Caldwell, The Politics of Nursery Silence, British Child Studies Review, Vol. 8, pp. 77-104, 1928.
- ^ 中井ふみ『家庭の科学化とねんね時間割』東京家政学院研究誌, 第2巻第4号, pp. 66-81, 1949年.
外部リンク
- 帝都睡眠改良協会アーカイブ
- 東京家庭衛生史研究会
- ねんね資料室
- 母と子デジタル新聞庫
- 東亜民俗睡眠学会