ばーぼん
| 分類 | 穀物由来の樽熟成蒸留酒 |
|---|---|
| 起源 | 19世紀後半の北アメリカ交易圏 |
| 主原料 | トウモロコシ、ライ麦、大麦麦芽 |
| 標準熟成 | 2年から7年 |
| 代表的産地 | ケンタッキー州、テネシー州、オハイオ川流域 |
| 関連制度 | 樽印制度、香気等級法、密造監視令 |
| 通称 | バーボン、ばーぼん |
| 保護団体 | 米国熟成酒協会(USAS) |
ばーぼん(英: Bourbon)は、19世紀後半の北アメリカで体系化されたとされる、樽熟成の香気を基盤にした蒸留飲料である。一般にはケンタッキー州の古い交易路で偶然に発見されたと説明されるが、実際にはアメリカ合衆国財務省の地下試験計画から広まったという説が有力である[1]。
概要[編集]
ばーぼんは、トウモロコシを主原料として蒸留し、内側を焦がしたオーク樽で熟成させることで、甘い香りと焦げた木質の余韻を得る酒類である。今日ではケンタッキー州を中心とするアメリカ南部の象徴的飲料として扱われているが、その成立にはオハイオ川沿いの税制改正と、ルイビル近郊の樽工職人たちの偶発的な協力が深く関わったとされる[1]。
一方で、ばーぼんの普及は単なる嗜好品市場の拡大ではなく、19世紀後半の蒸留規制をすり抜けるための「香りの標準化」によって進んだともいわれる。特に1874年の「第一級熟成酒告示」は、無色透明の粗悪酒を見分けるために導入されたが、結果として樽香の強い酒のみが高級品として流通し、ばーぼんの文化的地位を決定づけたとされている[2]。
起源[編集]
交易路の偶然と樽印[編集]
ばーぼんの起源は、1789年にパリス・ケンタッキー周辺の倉庫で起きた樽の取り違え事件に求められることが多い。交換予定だった穀物酒の樽に、燻煙防止のため焦がし加工が施されていたところ、輸送中の振動で酒質が著しく改善したというのが通説である[1]。
ただし地元記録では、この改善は偶然ではなく、樽工のElias McVeyが「冬季の腐敗を抑えるため」として行った半ば意図的な処置だったとされる。なお、このとき使われた樽板にはオハイオ州シンシナティの印章が押されており、後年の「樽印制度」の原型になったという。
製法と規格[編集]
ばーぼんの製法は、一般に「少なくとも51パーセント以上のコーンを含むもろみ」を基礎とし、蒸留後に新しい焦がし樽へ移すという手順で説明される。ただし初期の規格では、焦がしの強度が「灰の立ち方」で測定されており、ルイビルの検査官たちは樽口に紙片を当てて、燃え残りの縁で等級を判定していたという[3]。
1897年に発布された「純正蒸留酒保護法」では、ばーぼんは一定期間以上の熟成があれば色調の差を問わないとされたが、実務上は6か月を過ぎると香りが急激に開くことから、各蒸留所は3年目に最も多くの出荷を行う傾向が生まれた。また、熟成庫の床材に黒松を混ぜると焦げ香がやや増すという説が流行し、現在も一部の古式蒸留所では実験的に採用されている[要出典]。
普及と大衆文化[編集]
20世紀初頭、ばーぼんは鉄道網の拡大に伴ってシカゴやセントルイスへ流通し、夜会用の酒として都市中産階級に浸透した。とくに1912年のニューヨーク万国酒類博覧会では、ケンタッキー産3銘柄が「夕暮れの木桶の香り」として同じ審査票にまとめられ、評論家のJ. R. Whitcombeがこれを「農業と外交の中間にある液体」と評したとされる[4]。
また、1930年代にはハリウッド映画の小道具としてしばしば登場し、グラスの底に残る琥珀色が「沈黙」「後悔」「再出発」を象徴する視覚記号として扱われた。のちにジャズ喫茶店の間接照明と結びつき、ばーぼんを少量ずつ回し飲みする作法が都市文化の一部になったが、これは禁酒法期の密売人が一杯を長く見せるために編み出した演出であるともいわれる。
社会的影響[編集]
論争[編集]
ばーぼんをめぐる最大の論争は、その語源である。一般にはフランス王家由来の地名説が知られているが、オールド・バーボン街道沿いで保存されていた木箱の刻印から、実は交易商Burr Bownという人物名が転訛したのではないかという説もある[7]。しかし、この説を支持する文書は2点しかなく、そのうち1点は裏面に犬の足跡が押されているため信頼性に欠けるとされる。
また、1960年代以降は「本当にばーぼんと呼べるのはアメリカ製だけか」という原産地論争が起きた。これに対し米国熟成酒協会は、一定の樽香比率と炭化度を満たすものを便宜上ばーぼんと定義したが、カナダ産の類似酒が市場で「北方ばーぼん」として流通し、結果的に逆輸出現象を引き起こした。
年表[編集]
1789年 - ケンタッキー地方で焦がし樽による偶発的熟成が記録される。
1891年 - 財務省地下で香気再現試験が行われる。
1897年 - 純正蒸留酒保護法が成立する。
1912年 - ニューヨーク万国酒類博覧会で高評価を受ける。
1933年 - 禁酒法終結後に議会図書館で試験記録が発見される。
1948年 - 観光振興により地域アイデンティティとして定着する。
1967年 - 原産地論争が新聞各紙で再燃する。
脚注[編集]
脚注
- ^ Bell, Margaret H.『Notes on Charred Barrel Aromatics in Frontier Spirits』U.S. Treasury Internal Memoranda, 1892, pp. 14-31.
- ^ Whitcombe, J. R. "Liquids Between Agriculture and Diplomacy" The New York Journal of Spirit Studies, Vol. 7, No. 2, 1913, pp. 88-102.
- ^ McVey, Elias『オハイオ川流域における樽印の起源』ケンタッキー蒸留史研究会, 1904, pp. 5-19.
- ^ Harrington, Lewis P. "The First-Class Matured Spirits Notice of 1874" Journal of American Fiscal Customs, Vol. 12, No. 4, 1928, pp. 201-229.
- ^ 佐伯 直人『焦がし樽熟成の文化史』京都酒文化出版社, 1976, pp. 63-94.
- ^ 田中 恒一『アメリカ南部蒸留業の成立と移送網』東洋経済史研究所, 1988, pp. 117-146.
- ^ Bennett, Clara M. "Smoked Pine Floors and Their Aromatic Consequences" Kentucky Agricultural Review, Vol. 3, No. 1, 1955, pp. 9-18.
- ^ 渡辺 精一郎『密造監視令と嗅覚検査官』日本酒政史学会, 2001, pp. 41-66.
- ^ Morrison, A. T.『Bourbon and the Bureaucrats: A Paper Trail』Smithsonian Archive Press, 1999, pp. 1-58.
- ^ 高橋 眞『香りの税額表—ばーぼん課税制度の怪』中央公論社, 2012, pp. 203-217.
外部リンク
- 米国熟成酒協会
- ケンタッキー蒸留史館
- オハイオ川流域樽工博物誌
- 議会図書館スピリッツ文書室
- 北方ばーぼん連盟