ぱまじ
| 名称 | ぱまじ |
|---|---|
| 別名 | 浜回し、間拍子、三拍じり |
| 発祥 | 三浦半島沿岸部 |
| 成立時期 | 末期から初期と推定 |
| 主な用途 | 挨拶、交渉、謝罪、場の緊張緩和 |
| 伝播経路 | 漁村の寄り合いから市場、演芸、放送へ |
| 研究機関 | 民俗表現研究会・湾岸分科会 |
| 標準化文書 | ぱまじ作法暫定要覧(1978年) |
ぱまじとは、の沿岸部で発達したとされる、定型句と即興の身振りを組み合わせて意思疎通を行う民間の儀礼的手法である。後期にはの下町を中心に若年層へ拡散し、のちに広告・放送・接客の分野へ輸入されたとされる[1]。
概要[編集]
ぱまじは、短い音節を反復しながら手首・肩・視線の三点をずらして場の空気を整えるとされる対話技法である。通常の会話の補助として用いられるが、地域によってはそれ自体が挨拶や断りの意味を持つ。
名称の由来については諸説あり、沿岸の漁師が「波を待つ」ことを「ぱまじる」と呼んだのが転訛したとする説、あるいはの問屋街で帳合の最中に使われた符丁が広まったとする説がある。いずれも確証は乏しいが、の分野では、語感の軽さと実用性の高さが早くから注目された[2]。
歴史[編集]
起源伝承[編集]
もっとも古い記録は11年の『浦浜日録』に見える「ぱまじ三度、舟立つべし」の一節であるとされる[3]。ただし同書は後世の加筆が多く、実際には期の書写本である可能性が高い。
の古老への聞き取りでは、ぱまじは荒天の日に船を出すかどうかを揉めずに決めるための“半ば冗談、半ば規範”として生まれたという。漁場で大声を出すと潮が変わるという迷信と結びつき、言い争いを避けるために、言葉の代わりに一定の拍と指差しで同意を示す型が整えられたとされる。
都市化と大衆化[編集]
末から初期にかけて、ぱまじはの市場、寄席、路面電車の車掌補助などに流入した。とりわけ周辺では、早口の商談に割り込む合図として「二拍・半笑い・右掌」の型が流行し、1934年には『都新聞』夕刊で「下町の新作法」として紹介されたという。
戦後になるとの地方番組で、方言指導の一環として“場を壊さない応答”の例示に使われたことから、若年層の間で再解釈が進んだ。1958年のの飲食店組合調査では、店員の約37%が「ぱまじ的な返し」を無意識に使用したと回答しているが、調査票の設問がやけに誘導的であったため、信頼性には疑義がある[要出典]。
標準化運動[編集]
には、民俗研究者のらが中心となり、失われつつある地域作法を整理する目的で『ぱまじ作法暫定要覧』を編集した。ここで初めて、基本型を「起拍」「回避」「収束」の三段階に分ける記法が導入され、教育現場や地域イベントに応用されるようになった。
もっとも、標準化は各地の流派をかえって先鋭化させた。銚子では「潮先派」、鳥羽では「返礼重視派」、輪島では「無言強調派」が対立し、1979年の合同実演では三者三様に黙り込んだまま三分間だけ拍を打ち続けるという珍事が起きた。この記録は民俗学会の要旨集に残るが、観客の半数は途中で弁当を食べ始めたという。
分類[編集]
ぱまじは、用途と拍数により大きく四類に分けられるとされる。第一に、第二に、第三に、第四にである。
また、地域差も大きい。では語尾を上げて同意を促す傾向があり、では沈黙を長く保つことで誠意を示す型が多い。これらはしばしば同一名称で呼ばれるが、実際には互換性が低く、観光客が真似すると単なる挙動不審に見えることがある。
社会的影響[編集]
ぱまじは、戦後日本の接客文化に一定の影響を与えたとされる。百貨店の売り場では、断定を避けつつ顧客の選択を促す所作として採用され、1970年代には関連の案内係研修にも取り入れられたという。
一方で、過剰なぱまじは「曖昧さの美徳」を拡大しすぎるとして批判された。現場では、児童が答えを言わずに拍だけで意思表示をする事例が報告され、都内のある小学校では1976年度に“ぱまじ禁止週間”が設けられた。もっとも、その後のアンケートでは、教員側も休み時間の電話取次で無意識にぱまじを用いていたことが判明している。
批判と論争[編集]
ぱまじをめぐっては、しばしば「本来の型」が何かという論争が起きてきた。の周辺で行われた座談会では、研究者のが「ぱまじは語ではなく間である」と述べたのに対し、伝承保存派は「三拍以上は異端である」と反論した。
また、1983年にで開催された実演会では、企業スポンサーの意向により“より明るく、より親しみやすいぱまじ”が採用され、結果として手振りが過剰に大きくなった。この改変は、伝統の簡略化ではなく「空港の案内表示化」であるとして強い批判を浴びた。なお、会場販売された解説冊子の奥付には、誤って88年と印刷されていた。
現代の用法[編集]
現在のぱまじは、主として地域イベント、企業研修、動画配信のネタ文化の中で生き残っている。とくに系の解説動画では、再現不能な動作として扱われることが多く、コメント欄では「結局ただの会釈では」「いや拍がある」と議論が続いている。
には、リモート会議での“画面越しぱまじ”が一部で流行した。これはカメラに向かってわずかに肩を落とし、右手を一度だけ持ち上げる所作であるが、通信遅延のため同時性が失われ、結果として全員が別々のタイミングで謝罪しているように見えるという欠点がある。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 菅原俊平『ぱまじ作法暫定要覧』湾岸民俗資料刊行会, 1978年.
- ^ 牧野澄子「間拍子としてのぱまじ」『民俗表現研究』第12巻第3号, 1981年, pp. 44-67.
- ^ 石原義隆『三浦半島沿岸の対話儀礼』港北書房, 1969年.
- ^ Harold T. Wexler, "Gesture, Pause, and Harbor Speech in Eastern Japan," Journal of Comparative Folklore, Vol. 18, No. 2, 1974, pp. 101-129.
- ^ 佐久間信一『下町の符丁と拍子』都民文化新書, 1985年.
- ^ Aiko N. Rutherford, "The Three-Beat Courtesy System of Pamaji," Studies in Asian Vernaculars, Vol. 7, No. 1, 1992, pp. 9-36.
- ^ 『浦浜日録』影印解題編集委員会『浦浜日録校訂本』神奈川郷土出版, 2001年.
- ^ 中村和枝「昭和後期における接客所作の再編」『社会言語と実践』第5巻第4号, 1998年, pp. 88-112.
- ^ 田辺一郎『ぱまじと現代広告』電通文化研究叢書, 2007年.
- ^ M. S. Alder, "On the Misreadings of Courtesy Gestures," Transactions of the Pacific Ethnographic Society, Vol. 22, No. 4, 2010, pp. 201-219.
- ^ 菅原俊平・編『ぱまじ事典』関東民俗協会, 2016年.
外部リンク
- 湾岸民俗アーカイブ
- ぱまじ普及協会
- 関東儀礼動作研究センター
- 下町口承文化データベース
- 三浦半島伝承博物誌