ほうりん
| 分野 | 民俗工芸・音響用素材 |
|---|---|
| 別名 | 方輪被覆材/飽輪箔(あうりんはく) |
| 起源とされる地域 | 諏訪湖周縁(架空の史料による) |
| 主な用途 | 祭礼太鼓・鐘・即興合図音の調律 |
| 基本構成 | 植物繊維+炭化粉+塩化金属微粒子 |
| 成立年代(伝承) | 末期(諸説あり) |
| 関連する制度 | 音具検査(村役場の内規) |
| 議論点 | 安全性と「音の再現性」の疑義 |
ほうりん(英: Houlin)は、主にの民俗工芸圏で用いられるとされる「音のための素材名」である。言い伝えでは、と呼ばれる円環構造に基づく加工体系が語源とされる[1]。
概要[編集]
ほうりんは、音具(太鼓・鉦・鐘など)の表面に施す被覆素材、あるいは素材それ自体を指す名称として語られている。一般に「柔らかいのに鳴りが落ちない」「濡れると音が増える」といった性質が強調されるが、その具体は文献ごとに揺れるとされる[2]。
成立の経緯は、祭礼の規模拡大と、遠隔地からの行列参加が増えた時期の調整技術にある、と説明される場合が多い。もっとも、後世の編集者は「調整」と「言い伝え」を混ぜて書いた節があり、結果としての周辺に由来する物語として定着したとする説がある[3]。
なお、辞書的な定義だけ見ると「音響材料」の一種に見えるが、実際には「方輪(円環構造)」の作法、つまり材料の扱い方まで含んだ概念として流通していたとされる。特に、被覆層の厚みを測るために、針に糸を結び、糸が滑り始める点を基準にするという、妙に古風な計測手順が伝わっている[4]。
歴史[編集]
起源:太鼓の“戻り”を止めるための方輪説[編集]
伝承では、ほうりんの原型は、の湖霧が濃い年に、祭礼用太鼓の音が「途中で戻る」現象として記録されたことにあるとされる。村の音具担当であった「小判師(こばんし)」と呼ばれる職人集団が、太鼓膜に薄い炭化粉を振り、さらに植物繊維で“戻り”を固定しようと試みたことが始まりだと説明される[5]。
その後、工芸師の(架空の実名とされる)や、周辺の鍛冶集団が関わり、方輪の考え方が導入されたとされる。具体的には、厚みを一定にするために円環状の型で被覆を“押し広げ”、粉末が一箇所に溜まらないようにした技法であるとされ、これが「ほうりん(方輪の音)」へつながった、という物語がよく引用される[6]。
ただし史料の体裁は整っている一方で、年号の挙げ方が妙に丁寧である点が指摘される。たとえば「4年(1857年)第3日曜の夜、湿度86%で試作」といった記述があり、温湿度計の普及状況と照合すると疑わしい、とする研究者もいる。とはいえ、これは“雰囲気の盛り方”として残ったのだろう、と解釈されることも多い[7]。
普及:官製ではなく村役場の内規で広がった[編集]
ほうりんは、全国に広がったことで知られるが、実際にはからの公認制度ではなく、むしろ村役場の「音具検査」の内規として増殖したと説明される。中でも、の架空の出先機関である「音具検査掛(おとぐけんさかかり)」が、被覆の厚みと音の減衰を結ぶ簡易換算表を作成し、配布したという[8]。
換算表は、太鼓の中心から外周までの距離を、指の関節で数える方式(3関節=約27mmなど)で作られており、手元の道具だけで検査できたことが普及の理由とされる。結果として、ほうりんは「素材」から「運用規格」へ性格が変わった、とされる[9]。
社会への影響は、祭礼の“到達音”を揃えたことにある。霧の季節でも合図が聞き分けられるようになり、行列の誘導が円滑化したという。さらに、音具職人の徒弟制度が強化され、ほうりんを学ぶことが「一人前の音屋(おとや)」になる条件として機能した、と記述されている[10]。
近代の変質:科学計測と“嘘っぽい安全神話”[編集]
明治期以降、材料の成分分析が進むと、ほうりんは「植物繊維+炭化粉+微粒子」の複合体として理解されるようになった。ここでの分析機関に所属していたとされる研究者が、顕微鏡観察に基づき「粒径が均一なほど残響が伸びる」と報告した、とする資料がある[11]。
一方で、社会的には“安全神話”が先行した。村の内規は「誤って舐めても大丈夫」とは書いていないはずだが、なぜか「指先だけ舐めて音を確かめたら事故が減った」という逸話が広まり、結果として“舐め検査”が一時的に流行したとされる。もっとも、その流行の統計として「事故率が年間0.8件から0.2件になった(1863年〜1866年)」のような数字が挙げられるのは不自然であり、後世の編纂者が加筆したのではないか、という疑いが残る[12]。
この時期、とは異なるが行政に準ずる役割を担っていたとされる「地方資材監督庁」の通達(架空)が「ほうりんの塩化金属微粒子は“音が濁らない限度”に限り使用可」と定めたため、用途は拡大した。ただし、濁りの測定が誰の耳にも同じ基準で可能かは、当然ながら論争になったとされる[13]。
批判と論争[編集]
批判の中心は、「ほうりんの“性能”が再現不能である」点にある。材料の配合比は伝承では「炭化粉を“息を吐いたときの白さ”まで」といった曖昧表現であり、現代的には定量が難しいとされる[14]。さらに、方輪型の押し広げ工程が少しでもずれると、音が“跳ねる”ように聞こえるため、工房によって評価が割れるという。
また、アレルギーや微粒子吸入の観点から、安全性が疑われた時期もある。もっとも、擁護派は「祭礼は屋外で短時間である」「厚みが指先1枚分(約0.13mm)」であると主張し、反対派は「0.13mmという数字が一人歩きした」として、原史料の誤読を指摘したとされる[15]。
最後に、ほうりんを“音の文化資本”として扱うことへの反発がある。つまり、技術教育が徒弟制に結びつき、外部の作り手が参入しにくい構造が形成された、という批判である。実際、地方の工芸見本市で「ほうりん用被覆のみを出品可」と制限された年があり、審査員が「耳で測る」方式を採用したため、購入者側から公平性が問われたと記録される[16]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 諏訪音具研究会『ほうりんと方輪の系譜』郷土資料叢書, 2008.
- ^ 渡辺精一郎『音のための被覆作法—押し広げ工程の記録』松本工芸出版, 1912.
- ^ 山本清治『微粒子が残響に与える影響:素朴素材の顕微鏡報告』日本音響学会, Vol.12第3号, pp.41-58, 1896.
- ^ H. K. Rutherford『On Ring-Form Coatings in Folk Percussion』Proceedings of the International Acoustics Union, Vol.7, pp.201-219, 1911.
- ^ 地方資材監督庁『音具検査内規(試案)』地方官庁資料, 第1巻第2号, pp.5-33, 1880.
- ^ 田中春蔵『祭礼の到達音を揃える:方輪被覆の現場報告』長野民俗技術誌, Vol.3第1号, pp.17-29, 1934.
- ^ Matsui Yutaka『Residual “Return” Phenomena in Large Drums』Journal of Early Sound Studies, Vol.2, pp.77-96, 1962.
- ^ 小林清矩『舐め検査の流行と終息—数字は誰が書いたか』音具史論叢, 第9巻第4号, pp.301-318, 1978.
- ^ 佐伯みどり『方輪型型押しの幾何学:伝承の再現性に関する一考察』幾何学工芸年報, Vol.26第1号, pp.12-25, 2001.
- ^ A. R. McLellan『Humidity and Folk Tuning: A Retrospective』Transactions of the Weather & Arts Society, Vol.18, pp.509-533, 1949.
外部リンク
- ほうりん方輪資料館
- 諏訪湖音具アーカイブ
- 地方資材監督庁資料データベース
- 残響計測メモ(嘘まじり)
- 音具検査掛のひな形集