ぼぶすん
| 名称 | ぼぶすん |
|---|---|
| 英名 | Bobsun |
| 分類 | 民間生活技術・保存容器文化 |
| 発祥 | 神奈川県沿岸部 |
| 成立時期 | 1908年頃 |
| 主な使用地域 | 関東地方、東北南部 |
| 関連組織 | 日本ぼぶすん協会 |
| 代表的資料 | 『ぼぶすん規格試案』 |
ぼぶすん(Bobsun)は、を中心に用いられたとされる、円筒状の容器と発酵香を組み合わせた民間生活技術である。20世紀初頭の沿岸部で体系化されたとされ、のちにの下町文化に吸収された[1]。
概要[編集]
ぼぶすんは、木製または薄鋼板製の筒形容器を指す語であり、内部に香草、塩、乾燥大豆皮を層状に詰め、数日から数か月かけて熟成させる技法を含む総称である。単なる容器ではなく、蓋の締め込み具合によって内容物の発酵速度を制御する点に特徴があるとされる[1]。
この技法は、当初は周辺の倉庫街で荷役作業員が簡易保存法として用いたものであったが、末期には家庭用の「台所ぼぶすん」として再解釈され、昭和戦前期には学校給食の試験運用にも持ち込まれたという。なお、の内部文書に「ぼぶすん係」の記述があるとされるが、現物の所在は確認されていない[要出典]。
歴史[編集]
成立と初期拡散[編集]
起源については、にので船大工の須藤慶三が、潮風で乾きにくい海苔と味噌をまとめて運ぶために考案したとする説が有力である。須藤はもともと帆布加工の職人であったが、円筒内部に炭粉を薄く敷くことで湿気を抑えたところ、保存性が飛躍的に向上したと伝えられる。
この方式は、頃にはの荷揚げ仲間の間で「ぼぶすん締め」と呼ばれるようになった。語源は、荷樽が積み重なる際の鈍い反響音「ぼぶ、すん」に由来するとされるが、後年の民俗学者の間では、英語の職名表現からの転訛である可能性も唱えられた。
大衆化と規格化[編集]
、料理研究家の片倉ミヨ子が本所区で開いた講習会において、ぼぶすんを「匂いを閉じ込める家庭技術」として紹介したことが転機となった。片倉はの夜間講習で衛生学を学んだ人物とされ、彼女の配布した『三分でできるぼぶすん手入れ法』は、のちに2万7,000部ほど再版されたという。
にはが設立され、器体の直径を18cm、蓋の段差を3mm以内とする準規格が定められた。これにより、地方ごとに異なっていた締め具の形状が整理された一方、青森型の深底式と静岡型の浅蓋式の対立が激化し、協会総会が半ば騒擾状態になったという記録が残る。
戦後の変質[編集]
戦後になると、ぼぶすんは食料保存の道具から、都市生活における「においの境界管理」を象徴する文化へと変化した。の地域番組『台所の作法』では、四畳半に設置されたぼぶすん棚が「近代家族の静かな共同体」として称揚された。
一方で、の前後には、観光案内書がぼぶすんを「日本的であるが説明が難しいもの」の代表例として紹介し、外国人向け土産として小型化された金属製ぼぶすんがで大量に売られた。もっとも、実際に中に何を入れるのかは店ごとに異なり、ある店では乾燥昆布、別の店では紙製の折り鶴が封入されていたという。
技法[編集]
ぼぶすんの基本工程は、洗浄、乾燥、詰め込み、締結、静置の五段階から成る。とくに詰め込みの際には、内容物を押し固めすぎず、底部に「息抜き層」を3〜5mm残すことが重要とされる。
熟成判定には、容器を軽く叩いたときの音の濁り、蓋縁に現れる白い粉状の析出、ならびに「夕方に近づくほど蓋が重く感じる」という経験則が用いられる。これらは科学的に裏付けられているとする報告もあるが、の研究グループによる再現実験では、条件を揃えても再現率が43%から91%まで大きく揺れたとされる[2]。
なお、上級者は気圧の変化を読むために、の前日予報を見てから締め具合を調整する。これは「晴れの日は1/4回転、雨の日は1/8回転弱める」という経験的な目安であり、関東の一部では今なお職人の間で受け継がれている。
社会的影響[編集]
ぼぶすんは、単なる保存術にとどまらず、近代日本の家庭内秩序を象徴する制度的な道具として扱われた。特に北区の集合住宅地帯では、ぼぶすんの設置位置を巡って隣人間の紛争が生じたとされ、昭和40年代の町内会議事録には「共同廊下への設置禁止」が明文化されている[3]。
また、教育現場では、の補助教材として採用された時期があり、児童が自作の紙製ぼぶすんを持ち帰る授業が行われた。これにより、家庭の食卓をめぐる会話が増えた一方、父親が誤って鉛筆削りを詰めた例が続出し、複数の学校で回収が行われたという。
文化面では、歌手の三条ルリが1971年のシングル『ぼぶすん哀歌』で「蓋の向こうの静けさ」を歌い、都市郊外の喪失感を表現したとされる。この曲はオリコンで34位を記録したとも、そもそもチャートに載っていないとも言われ、資料の整合性に難がある。
批判と論争[編集]
ぼぶすんをめぐる最大の論争は、その起源をめぐるものである。船大工起源説、寺院の香具箱転用説、さらにはの鉄道倉庫由来説まで存在し、いずれも決定打に欠ける。とくにに刊行された『東アジア保存技術史』が、ぼぶすんを「戦時下の物資統制から生まれた人工的民俗」と断定したことで、支持者と反対派が激しく対立した。
機能面でも、においの封じ込めを重視するあまり、内部に湿気がこもりやすいという批判がある。これに対し愛好家側は「湿気こそがぼぶすんの深みである」と反論してきたが、実際には梅雨時に失敗例が多く、毎年6月になると日本ぼぶすん協会の相談窓口に約480件の問い合わせが寄せられるという。
さらに、1990年代以降は、インテリア雑貨としての再商品化により本来の技法が失われたとの指摘がある。とりわけ風の簡素な白色モデルが流通したことで、「ぼぶすんの精神が空洞化した」と批判する論者も少なくない。
主要な型式[編集]
ぼぶすんにはいくつかの型式が存在し、用途と地域によって細分される。もっとも一般的なのは前述の標準型であるが、これ以外に港湾型、台所型、儀礼型、そして展示用の空筒型が知られている。
港湾型は外壁に黒色樹脂を塗布し、船倉の振動に耐えるよう補強されたもので、でも一定数が確認されている。台所型は家族単位での運用を前提とし、蓋裏に献立表を挟める構造を持つ。儀礼型はの祭礼で海産物の奉納容器として使われたとされるが、現存例は極端に少ない。
空筒型は、内容物を一切入れず、その空洞を「待つための器」として展示する美術館向けの派生である。これはにで開催された企画展「内側の作法」で注目され、来場者が中を覗き込む行列が館内を一周したと記録されている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 片倉ミヨ子『三分でできるぼぶすん手入れ法』家庭衛生社, 1928.
- ^ 須藤慶三『沿岸荷役と筒形容器の研究』浦賀港文庫, 1911.
- ^ 日本ぼぶすん協会編『ぼぶすん規格試案』第2版, 1935.
- ^ 田島兼作「ぼぶすんの湿度制御に関する実験的考察」『生活技術学会誌』Vol. 14, 第3号, 1949, pp. 21-38.
- ^ Margaret H. Sloane, 'Bobsun and Domestic Containment in Postwar Japan,' Journal of East Asian Material Culture, Vol. 7, No. 2, 1961, pp. 114-129.
- ^ 佐伯春夫『東アジア保存技術史』新潮社, 1979.
- ^ 中村妙子「蓋縁析出物の音響的分類」『東京農業大学紀要』Vol. 22, 第1号, 1986, pp. 5-19.
- ^ William R. Connelly, 'On the Bobsun Seal: A Note from Yokohama,' Pacific Anthropology Review, Vol. 11, No. 4, 1992, pp. 201-218.
- ^ 三条ルリ『ぼぶすん哀歌』と都市郊外の感傷」『大衆音楽研究』第9巻第2号, 1972, pp. 66-80.
- ^ 『内側の作法:空筒と待機の美学』展覧会図録, 東京都現代美術館, 1998.
外部リンク
- 日本ぼぶすん協会公式記録館
- 横浜港生活技術アーカイブ
- 東京下町民俗資料データベース
- 東アジア保存技術研究会
- ぼぶすん普及連盟