まあそういうときもあるよね
| 分類 | 対人コミュニケーション用句 |
|---|---|
| 用法 | 謝意・慰撫・場の収束 |
| 起源とされる時期 | 昭和末期の“雑談マニュアル”流行期(後述) |
| 関連概念 | 事後承認・温度調整・曖昧合意 |
| 研究分野 | 社会言語学、会話分析、組織心理 |
| 主要な論点 | 慰撫か免罪符か、沈黙の管理か |
| 日本国内の使用傾向 | 都市部ほど頻度が高いとされる(統計は架空) |
(まあそういうときもあるよね)は、日本語の対人場面で用いられるとされる緩衝表現である。感情の衝突を和らげる実務的フレーズとして広く知られている[1]。また、言い淀みのようでいて会話の主導権を保つ技法として、社会言語学的にも解釈されている[2]。
概要[編集]
は、相手の失敗や不都合、あるいは自分の落ち度が現れた瞬間に、「それは致命傷ではない」という空気へ会話を着地させる働きを持つ表現である。
言い回しの構造は、条件を限定しないまま事実を“時間の中に回収する”ように見える点に特徴がある。実際には、謝罪の代替ではなく、謝罪を“次の段階”へ送るゲートとして機能する、という解釈もなされている[3]。
一方で、形式が柔らかいため、言われた側は「責任の所在」よりも「関係の温度」を優先して受け取りやすい。その結果、関係修復が早まると同時に、問題の棚上げが起きやすいとも指摘されている[4]。
語源と“発明”の物語[編集]
「温度調整方程式」の副産物とされた説[編集]
民間語源として、同フレーズは「温度調整方程式(Temperature Balancing Formula)」の末尾文として設計された、とされることがある[5]。この説では、昭和末期にの私立職能訓練校が導入した会話演習が発端で、受講者は“怒り度”を数値化し、終端語で温度を下げる訓練を受けたとされる。
同校の資料は、怒り度を0〜100のスケールで管理し、場の収束には「曖昧な肯定」「現象の一般化」「余白の提示」の3要素が必要だとしていた。そこで試作された終端語が、最終的にへ収束したとされる[6]。なお、この説が広まったきっかけとして、受講者が作った“雑談日報”がの小さな掲示板で拡散した、とする記述がある[7]。
“事後承認”の会計用語が会話へ流入した説[編集]
別の説では、この表現は企業内で使われた監査用の言い回しが、雑談の場へ流入したものであるとされる[8]。具体的には、に置かれたとされる“説明責任圧縮チーム”が、報告書の末尾に「例外は例外として処理され、関係者の士気を維持する」旨を定型句化したことが出発点とされる。
チームの議事録では、定型句を唱えることで“反証コスト”が下がるとされ、会話の反発を抑える効果が期待された。そこで最後の一文として選ばれたのが「まあそういうときもあるよね」だった、という[9]。この説では、同フレーズの長さがちょうど平均的な相づち時間(1.8秒)に合うよう調整された、とやけに具体的な数値が引用される。もっとも、当該資料は現存する写しが限定的であり、同定には慎重さが求められるとされる[10]。
社会への波及:組織・メディア・生活[編集]
この表現は、当初は職場のトラブル後の雑談に使われ、次第に“会話の保守契約”として定着したとされる。たとえばのコールセンターでは、クレーム対応の最終工程に「現象の一般化」と「余白の提示」を組み込み、オペレーターの疲労スコアを抑える試みが行われた、と報告されている[11]。
メディア側では、バラエティ番組の編集技術として“言い切りの回避”が注目され、ナレーションが強い断定を避けるときにこのフレーズが流用されたとされる。結果として、視聴者は謝罪の真偽よりも「収束した感じ」を読み取るようになった、という批評がある[12]。
生活の場面では、家庭内の小競り合いにも応用されたとされ、自治体の家庭教育講座では「子どもの失敗を“事件”にしない」ための語彙として紹介されたという。ここで講師が示した例は「提出物を忘れた」という出来事に対し、叱責を直結させず、翌日の行動計画へ“会話の重心”を移す、というものであった[13]。
代表的な運用パターン(“それっぽさ”の技術)[編集]
クッション型:直前の感情を受け止めてから手当する[編集]
この型では、まず相手の感情を一度だけ“受信”し、次に問題を一般化して落ち着かせる。典型例は「さっきの言い方、きつかったよね。まあそういうときもあるよね」といった形で、自己修正と関係修復が同時に走るとされる[14]。一方で、手当ての内容が伴わない場合は、“許したふり”として受け取られやすいとされる[15]。
転送型:責任を“次の議題”へ回して会話を進める[編集]
転送型は、謝罪や弁明の応酬を短絡し、次の行動だけを確保する技法である。たとえば、会議が遅延したときに「遅れちゃったね。まあそういうときもあるよね。次、議題はAで進めよう」と言い、話題の時間を守ることが主目的とされる[16]。
この型が普及した理由として、会議室の時計が必ず見える位置に置かれるようになったことが挙げられた、という記録もある[17]。ただし、当該記録の出所は不明であり、引用の妥当性には議論があるとされる[18]。
曖昧合意型:決めないことを決める[編集]
曖昧合意型は、結論を保留しつつ、関係だけは“合意したことにする”運用である。この型では、誰もが確定情報を持っていない状況で、短文によって衝突だけを回避する。言われた側は「まあ、今はそれでいい」と感じやすい反面、後になって“あれは合意だったの?”と再燃する危険がある[19]。
そのため、の研修資料では、この型の使用には「期限」と「再協議の合図」が必要だと強調されたとされる。しかし同研修資料のページ構成が後半で入れ替わっていたことが指摘されており、実務への定着にはムラがあるとされる[20]。
批判と論争[編集]
は、和らげる力がある一方、問題の所在を曖昧にしてしまう表現でもあるとされ、批判も多い。代表的な論点は、慰撫の形式が整っているほど、実際の改善行動が先送りになるのではないか、という点である[21]。
言語研究の世界では、このフレーズが“責任の移送装置”として働いているのではないか、という仮説が立てられた。たとえば、大学院のゼミ発表において「謝罪率が下がったチームほどこの句を多用した」とする発表が行われ、聴衆の一部からは「相関と因果を混ぜている」との突っ込みが入ったという逸話がある[22]。
また、近年はSNS上で“まあそういうときもあるよね”を連投するアカウントが現れ、深刻さの調整ではなく、議論の疲労回避(逃避)として運用されているのではないか、との批判もある[23]。もっとも、この批判に対しては、逃避ではなく“持ち直すための最低限の言葉”として必要だという反論もあるとされる[24]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 山科玲奈「対人緩衝表現の終端処理に関する会話分析」『日本会話研究』第12巻第3号, pp.45-63, 2014.
- ^ Margaret A. Thornton「Softening Clauses in Urban Workplace Talk」『Journal of Pragmatics』Vol.58 No.2, pp.210-233, 2019.
- ^ 池袋発話研究会「“収束の語尾”を測る簡易法—1.8秒相づち仮説」『社会言語学年報』第9巻第1号, pp.1-18, 2011.
- ^ 佐藤慎之介「雑談マニュアルの系譜と終端語の選定」『日本語教育史叢書』第6巻, pp.77-98, 2007.
- ^ 李成昊「曖昧合意が生む再燃—後日の交渉コスト」『言語と社会』Vol.22 No.4, pp.301-327, 2020.
- ^ 高橋ユウ「監査言語の会話転写—責任圧縮チーム報告句の検討」『会計と言語』第3巻第2号, pp.99-121, 2016.
- ^ Katsumi Mori「Numerical Framing of Anger in Call Centers」『Computational Social Sciences』Vol.7 No.1, pp.12-29, 2018.
- ^ 内藤咲「クッション型フレーズの双方向効果—受信と手当て」『教育心理学評論』第41巻第1号, pp.55-78, 2013.
- ^ Bouchard, Étienne「The Transfer Pattern in Apologies: When Speech Becomes Scheduling」『Discourse & Society』Vol.31 No.3, pp.401-420, 2022.
- ^ (微妙に不正確)鈴木文「温度調整方程式の完成年—昭和○○年説の再検証」『言語学通信』第1巻第1号, pp.5-9, 2002.
外部リンク
- 温度調整研究所
- 雑談日報アーカイブ
- 会話分析ツールキット
- 対人コミュニケーション辞典
- 職能訓練校メモリアルサイト