まりもふ
| 名称 | まりもふ |
|---|---|
| 分類 | 球状藻類培養・毛織保温複合技術 |
| 成立 | 1927年頃 |
| 発祥地 | 北海道釧路地方 |
| 提唱者 | 高橋清蔵、E. M. フレッチャー |
| 用途 | 衣料保温、観賞、寒冷地保存 |
| 標準化機関 | 北海道寒地生活技術協会 |
| 関連産業 | 繊維、観光、民間養殖 |
| 代表的記録 | 1934年の阿寒観測報告 |
まりもふは、の周辺で成立したとされる、球状藻類の培養法およびそれを応用した毛織保温技術の総称である。末期の民間研究から発展したとされ、のちに系の寒冷地産業試験で注目された[1]。
概要[編集]
まりもふは、球状に育成されたの外周を、羊毛繊維または綿糸で微細に被覆し、低温下での保湿性と弾力を高めた素材系統を指す語である。単なる観賞物ではなく、かつてはからにかけての寒冷地生活において、乳幼児の寝具芯材や保存袋の緩衝材として用いられたとされる[2]。
この語は、もともと「まりも」と「もふもふ」を接合した市場俗称であったが、1930年代後半にの試験報告へ転記された際、誤って一つの技術名として扱われたことから定着したとされる。なお、初期の資料では「まるもふ」「マリ毛布」とも表記が揺れており、研究者の間ではこの揺れ自体が製法の地域差を示すのではないかと議論されている[3]。
成立の経緯[編集]
まりもふの起源は、後半に阿寒湖畔の宿泊業者が、土産用の丸い藻塊を乾燥防止のために羊毛で包んだことにあるとされる。宿帳に残る断片的な記述によれば、冬に暖房の不調で藻塊がひび割れたため、女将の提案で毛糸を巻いたところ、客が「小さな毛布のようだ」と評したのが契機であったという。
この話を拾ったのが、出身の技師・高橋清蔵である。高橋は、阿寒湖で採取した球状藻を用い、湿度45〜58%、氷点下7度前後という条件で外殻の収縮率を測定した。彼はその試験ノートの余白に「もふの張力が保温に寄与する」と記しており、のちにこれがまりもふ理論の原点とされる[4]。
一方で、同時期に渡来していた人展示技師エドワード・M・フレッチャーが、の農産物博覧会でこれを見て「living cushion」と呼んだ記録もある。フレッチャーは藻類を繊維化できると誤解していた節があり、この誤読が国際博覧会経由でまりもふの神秘性を強めたと考えられている。
構造と製法[編集]
標準製法[編集]
標準的なまりもふは、直径3.2〜8.4センチメートルの球状藻塊を、未洗毛の羊毛、または当時は高価であった糸で六層ないし八層にわたり包覆する。外層にはを薄く含ませた防水処理が施され、これにより水没時の崩壊を2〜4週間遅らせることができたとされる。
ただし、羊毛が厚すぎると内部の藻が呼吸困難を起こすという問題があり、1931年の試験では保温性を重視した試作品47点のうち、16点が「過もふ」と判定された。判定基準はきわめて曖昧で、熟練職人の手触りだけが最終判断だったという。
観賞型と実用型[編集]
観賞型は、の旅館を中心に流通し、ガラス容器に入れて窓辺へ置く形式が一般的であった。実用型は、農家の納戸や方面の漁師小屋で、氷結を避けたい小物の緩衝材として再利用された。
また、には「抱きまりもふ」と呼ばれる大型品が試作され、乳児用座布団として販売された記録がある。安全上の配慮から内部に乾燥藻粉を詰める方式が採られたが、湿度が上がると独特の磯臭さが生じ、百貨店側が展示を3日で取りやめたと伝えられている。
普及と産業化[編集]
まりもふは初期、寒冷地の土産物と生活資材の中間に位置する商品として急速に広まった。港から本州へ出荷された年間数量は、時点で推定1万2400個に達し、その約37%が観賞用、51%が実用品、残りが用途不明であったとされる[5]。
では、の雑貨店がこれを「北方の知性が生んだ癒やし具」と広告し、文士や写真家のあいだで流行した。とくに詩人の瀬名川霧人が、まりもふを膝に置いて原稿を書くと誤字が減ると主張した逸話は有名であるが、後年の検証では単に湿気で紙がまとまりやすかっただけではないかとの指摘がある。
産業化の頂点はによる規格化であり、直径、弾力、外毛の反発係数まで細かく分類された。規格票はA〜Fの6段階で、A級は「手のひらで押して戻りが2秒以内」とされたが、実際には検査員の気分で差が出たとされ、のちに内部監査で問題化した。
社会的影響[編集]
まりもふは、単なる物産を超えて、寒冷地における「柔らかさの価値」を可視化した点で社会史上重要とされる。特にの北海道では、硬質な生活道具が多かったため、まりもふは家庭内における触覚的な安心の象徴として受容された。
また、にも入り込み、では家庭科の補助教材として「藻類保護と糸巻き」の実習が行われたという。生徒が作った試作品は文化祭で「理科と手芸の中間」として評判を呼び、近隣の学校から見学希望が相次いだ。
一方で、まりもふの大量採取が湖沼生態系に影響したとする批判もあり、には保護運動が起こった。もっとも、対象となった球状藻が実在種なのか、あるいは観光客向けに作られた複合標本だったのかは議論が分かれており、自然保護団体と土産物組合の対立は10年近く続いた。
批判と論争[編集]
まりもふをめぐる最大の論争は、それが本当に技術なのか、あるいは商品名の誤記から生まれた文化現象なのかという点にある。特にの『北海道民俗工芸年報』では、記述の大半が聞き取り調査に依存しており、同一の証言者が別ページで「包む前の方がかわいい」と述べていることから、研究の信頼性に疑義が呈された[6]。
また、の寒地試験班が提出した報告書には、まりもふの保温効果を示す図表が掲載されているが、その曲線はなぜかのデータとほぼ一致していた。これについて当時の班長は「比較対照として便利だった」と説明したが、後年の再検証で単純な転記ミスだったことが判明した。
それでも支持者は多く、彼らは「まりもふは物質ではなく、北国の手触りそのものを制度化したものだ」と主張する。この立場は学術的というより信仰に近いが、地域振興策としては今なお一定の影響力を持つとされる。
脚注[編集]
[1] 北海道寒地産業史編纂委員会『阿寒湖周縁における生活技術の変遷』北方出版、1979年、pp. 41-44。
[2] 斎藤みどり「球状藻類と保温繊維の接合に関する民俗学的考察」『釧路民俗研究』Vol. 12, No. 3, 1988, pp. 112-126。
[3] 北海道庁商工課『昭和初期観光土産品統一報告書』1937年内部資料、pp. 9-10。
[4] 高橋清蔵『阿寒湖藻塊試験ノート』未刊稿、1929年、pp. 3-7。
[5] Marjorie L. Tate, “Thermal Crafts of Northern Japan,” Journal of Applied Folklore, Vol. 4, Issue 2, 1935, pp. 88-97。
[6] 『北海道民俗工芸年報 1958』第7巻第1号、北海道民俗工芸協会、pp. 55-61。
関連項目[編集]
脚注
- ^ 北海道寒地産業史編纂委員会『阿寒湖周縁における生活技術の変遷』北方出版, 1979年.
- ^ 斎藤みどり『寒地生活と球状藻の民俗誌』北海道学術文化社, 1988年.
- ^ 高橋清蔵『阿寒湖藻塊試験ノート』未刊稿, 1929年.
- ^ 北海道庁商工課『昭和初期観光土産品統一報告書』内部資料, 1937年.
- ^ Marjorie L. Tate, “Thermal Crafts of Northern Japan,” Journal of Applied Folklore, Vol. 4, No. 2, 1935, pp. 88-97.
- ^ Edward M. Fletcher, “Living Cushions and Wet Wool Devices,” Proceedings of the Pacific Exhibition, Vol. 1, Issue 1, 1934, pp. 14-29.
- ^ 村上徳次郎『北海道毛繊維雑考』北方工芸新聞社, 1941年.
- ^ 北見一郎『まりもふ規格と寒地市場』北海道経済評論社, 1956年.
- ^ Lydia K. Hammond, “Lake Algae as Domestic Insulation,” Canadian Journal of Ethnographic Materials, Vol. 9, No. 1, 1962, pp. 201-219.
- ^ 『北海道民俗工芸年報 1958』第7巻第1号, 北海道民俗工芸協会, pp. 55-61.
外部リンク
- 北海道寒地生活技術アーカイブ
- 阿寒湖民俗工芸研究会
- 北方生活素材データベース
- まりもふ保存推進連絡協議会
- 昭和土産文化資料館